昨年12月ポーランドで国連気候会議COP24が開催されましたが、温暖化防止の対策とかその成果になると相変わらずで首をひねってしまいます。温暖化に伴う気候変動で近年世界の各地で未曽有の気象災害が頻発していますが、地球の危機だと言っても世界は結束して対処することの困難さを晒すばかりで、本当のところどれほどの危機感を持っているのだろうと疑ってしまいます。「京都議定書」が出されたのは1997年ですが、温暖化ガスの排出量削減目標を数値化したりして取り組みを示したようにも見えるのですが、本当のところ世界の温暖化ガスの排出量は依然として毎年過去最高を更新するように増え続けているようです。
国連がリーダーシップを取る温暖化防止、気候変動、地球環境に関する国連会議をニュース等で長い間見てきましたが、結果的には掛け声だけで殆ど何もなされていないのと同じで、近年急加速で悪化している気象状況からすると、とてもではありませんが間に合わないし既に手遅れだと思っています。気候変動最悪のシナリオを変えるには直ちに世界が生活や生き方を変える必要がありますが、世界の実情は相変わらず経済最優先で温暖化対策は後回しか付け足しでしかないようです。
スウェーデンの少女グレタトゥーンベリさんをトランプ大統領やプーチン大統領が揶揄して、世界の実情、大人の実情が分からぬ小娘的に軽く一蹴していますが、大国のリーダー達がそれでは世界が動くはずもなく、ましてや自国の利益だけを考えているのなら世界のリーダーとは決して言えないはずです。都合の悪いことはフェイクだでっち上げだと片付けるトランプ大統領は、温暖化気候変動問題は科学者のでっち上げだと何が何でも経済至上主義ですが、世界の心理的実情は実はトランプ大統領に近いように思えます。
人は直接間接に過去のデータから経験値を得て、例えば気象庁が近年やたらと使う観測史上初というような未経験な領域は、実体験をするまでは想定外のはずです。東日本大震災の人的被害も、まさかあんな大津波が押し寄せるとは想定外の出来事であったことが、被害をとんでもなく大きくしたのは間違いないはずです。温暖化気候変動も観測史上初の連続で過去のデーターが役に立たなくなってきていますが、人は実体験するまでは今までそんなことはあったためしはないし今後もあり得ないだろうと、未体験な領域は信じようとしません。
更に厄介なのは人は私もそうですが自分は大丈夫、自分にそんなことは起こらないと、全く根拠のない自己神話を心のどこかに持っていることです。生まれてきた命には必ず終わりが来ると頭で分かっているつもりでも、まさか自分の命に終わりが来るとは最後まで思っていないのが本音のようです。温暖化気候変動による地球の危機も、そんな人の心理構造からするとまだ起こり始めで起こり切っていないだけに実感が乏しく、危機感を持つまでに至ってはいないと考えますが、ただ一つ明確なのは実感として危機感を持った時は完全に手遅れだろうということです。 続きます。