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2020年04月29日

前記「コロナ渦」続き

既に世界中に拡散してしまったコロナウイルス感染は確かな治療薬と予防薬ができない限り終息はしないだろうことは分かってはいますが、私が懸念するのはそれまでに最短でも1年は要するとしたら、今のままだととんでもなく膨大な数の失業者が出るのではないかということです。帝国データバンクでも1年続けば倒産する企業は60万社になると予測しているし、無収入になれば3か月しか持たない企業が大半だとしています。コロナ騒動が終息するのを待って企業活動を本格的に再開しようと思っても、それが1年後だと大半の企業が倒産してしまっていて、どこもかしこも失業者で溢れかえって国は崩壊します。中小零細企業で3か月、大企業でも1年となると持つかどうか分からないというのであれば、6月をメドに企業活動を再開させる必要があるのだと思います。ウイルス感染拡大のリスクはありますが、ウイルスとの戦争だと言うなら企業は生き残りを賭けて細心の注意と準備をして活動を再開しないと、例えば1年後とかコロナ騒動が終息してもその時国民が生きていく術を失くしていたら、結局ウイルスとの戦争に負けたことになるのだと思います。
私は今回のコロナ騒動で政治と行政には改めて危機対応能力の無さを痛感しました。もしこのコロナ騒動の挙句膨大な数の失業者とその家族が生活苦に陥って、万とかいう単位の餓死者や自殺者を出したなら、国会議員は与野党関係なく全員刑務所に入るべきだと思います。国民の命を守れないのなら何のための国会議員であるのか、その責めは当然負わなばならないし、その覚悟が無いのなら政治家などになるなと言いたいです。
行政も危機対応とか緊急対応とかは全く機能不全です。対市民の仕事はできるだけ分かりやすく単純化すればいいものを、何だってあれほど細かく煩雑にしかも分かりにくくするのだろうと思って見てきましたが、お役所仕事の一つの特徴は自分の仕事を担保することを優先してきたようだということです。例えば市民が提出する書類にしても、専門用語とかの意味とか馴染みがないと初めてでは書けないようなものが多いです。市民が書けないようにして置いて自分の仕事を担保するというやり方をして、今となって仕事が煩雑過ぎて職員不足で手が回らないことだらけというのは、自分勝手が過ぎるのではと言いたくもなります。ODAとか日本は途上国に海外援助資金をあれほど出しながら、それを活用する国々にあまり喜ばれなかったそうですが、役人根性というか活用にあたり小うるさい注文が有難みを消していたとか。今の行政の機能不全も本質的には同じで、資格審査に手間取り過ぎたりした挙句実効性が著しくそがれたり、手遅れになったり、役人である前に一人の市民として自分たちの仕事を見直す必要があるのだと思っています。
時代はこれから過激に変わりそうです。人類は破滅か生き方を変えるかというほど大きな転換期に入りつつあるのだと思っています。既に過去の気象データーは何の役にも立たないほど気象環境は変化し続けていて、20年後とか30年後に地球はどんな姿であるのだろうか全く見通せません。私は今回のコロナウイルス騒動は、気候変動によってもたらされる何十年後かの地球を先取りして、その災悪をシュミレーションしているようだとどこかでそう感じています。旧態依然のままでは生きていけない時代に入りつつあるのだから、危機対応能力とか緊急対応能力を高めないとこれからは厳しくなるばかりです。
posted by 明石 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年04月26日

コロナ渦

コロナウイルス感染の緊急事態宣言が連休明けの5月6日までとして出されていますが、現状からすると終息の見通しは全くないばかりか、検査数が少なくて感染の実態がまるで掴めず、感染力の強さからすると或いはとんでもない数の感染者が全国的に広がっているのではないかと思ったりもします。厚生省も抗体検査を行って感染者の割合を調べることを決めたようですが、米国ニューヨークでは3000人の抗体検査を行った結果14%が感染していたと驚くような結果が出ています。日本でどんな結果が出るのか分かりませんが、1%でも120万人だから10%だと1200万人となりモグラたたきか鼬ごっこを繰り返すことになって終息は難しくなるようです。既に世界中にコロナウイルスは拡散してしまっているから、確かな治療薬と予防薬ができない限り世界的に終息に向かわないだろうことも、このウイルス感染は第何波まであるのだろうと思ってしまいます。
他者との接触を避けてなるべく自宅に居るようにするのも限界があります。3か月程度5月いっぱいくらいが限界なのではと私は思っていますが、例えば失業して3か月以上無収入が続けば生活が困難になったりして、コロナか餓死か的な選択が突きつけられたりします。昨日のニュースでコロナ騒動が始まって以来3700人余りが全国で解雇されたとのことですが、一体何の数なのだと思ってしまいます。全国の観光産業は殆ど営業停止状態になっているし、飲食店や繁華街の灯も消え、娯楽産業も大半が営業停止中、芸能関係スポーツ関係も活動停止状態等々、どれほど夥しい数の人々が無収入になっているのか、企業を解雇された数だけを失業者とカウントするととんでもない間違いを犯します。個人店主とか小規模事業主は無収入で家賃も払えず経営難、従業員は失業で全国だとどれほどの数に膨れ上がっているのか分かりません。
私は大雑把に言っても今の日本の半分くらいは3か月も収入が途絶えると生活苦に陥るのではないかと思っています。大企業のトヨタでも生産停止しているくらいだから企業とて安泰ではないはずです。今の状態が続くと企業も厳しくなるのは間違いなく、コスト削減スリム化して何とか生き残ろうと、非正規切りから人員整理を始めるはずです。6月になればそれがはっきり見えてくると、何故か私の感ピュータはそう告げています。                                続きます。
posted by 明石 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年04月12日

パンドラの箱

米国でこの3週間で失業保険申請が1600万件を突破したとの報道がありましたが、世界はコロナ騒動の真っ只中依然拡散一方でその終息は全く見通せません。我が国でも安倍首相が「緊急事態宣言」を出しましたが、その概要は不要不急の外出を控えてなるべく自宅に留まるよう自粛しましょう程度で、法的強制力もなく国の宣言と言えるのか疑問です。あれなら強いお願いにした方が良かったのではないかと思いますが、結局のところはコロナ騒動に対する本気度がその程度でしかなかったと言われても仕方がないはずです。
何が何でも感染源を絶つ強い意志で臨むなら、感染源になりやすい職種職域とかを法的強制力を持って営業停止要請を行うはずですが、それは補償の問題が絡むので避けたかったのだろうと推測すると、何か官僚体制が透けて見えてくるようで嫌な気分になります。
日本で今失業者がどれほどの数になっているのかまだ分かりませんが、トヨタ自動車あたりで生産ラインを止めているくらいだから推して知るべしです。日本の全就業者数は6000万少々で、非正規雇用は38%だから2000万前後にはなるはずで、この大多数が失業者になることを思うと何か冷や汗でも出そうです。非正規雇用は正社員の半分以下の給料で生活は苦しく、失業すれば余力のなさから食べていくことが直ちに困難になります。
バブル崩壊後20年以上続いたデフレスパイラルのなか、ことに就職氷河期と言われた10年ほどの間に、企業は非正規雇用をコスト削減の抜け道として、社会をいびつな構造にしてしまいました。今のような経済界全体が一時営業停止のような非常時、非正規雇用はまさに不況時のコストダウンスリム化のためにあるのだからと真っ先に解雇されるはずです。営利追及を本分とする企業の生態は程度の差こそあれ本質的にブラックなのだと、私の見方はもはや持論のようです、
私は政治の一番大切な仕事は何時如何なる状態においても国民の命を守ることだと思っています。失業して途端に極端な生活苦に追い詰められる非正規雇用とか、仕事が無くなればたちまち死活問題になる個人及び零細企業とか、余力のない処に政治は真っ先に手を差し伸べなければ、とんでもなく多数の命を見殺しにして国は間違いなく崩壊します。どれほど莫大な金額になろうとも国民の命をは守らなければならない、その強い決意が政治には必要なはずです。先の民主党政権があきれ果てるほどあまりにお粗末で、その後の安倍政権を私は評価していたのですが、最近どうも官僚寄りで嫌な気がします。あんな宣言を出すようでは心もとなくもありますが、ここは国民の命を守るのが政治家の一番大切な仕事と腹をくくって決断しないと、安倍政権が終わる程度ではなく、国が終わることになりそうだと危惧します。
コロナウイルスは当初の予想に反して、世界中に拡散してパニックに陥らせている様をみると、さながら現代版「パンドラの箱」になりつつあるようだと感じ始めています。
posted by 明石 at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年03月31日

コロナ騒動の向こうに

コロナウイルスが世界中に拡散して、人の往き来も物流もさながら鎖国状態のように各国門戸を閉ざしています。そんな報道映像を見ながらふと思うのは、これまでの過剰なグローバリズム市場経済を終わらせる良い機会にならないかということです。市場経済は世界を覆い尽くして既に飽和状態になっているし、米国でトランプ氏が自国第一主義を掲げて大統領になった時から、世界の各国も次第に内向き傾向を示すようになり始めて来ましたが、今回のコロナウイルス騒動が更にそれを加速させるのか注視しています。グローバル化が国境を取り払えならコロナウイルスは go home 全く真逆で、先進国で右翼が台頭し出してから始まる先祖返り的自国主義の流れと重なるように見えたりします。
私は過剰なグローバリズム経済には辟易で、世界の各国自国で間に合うことは自給して、無い物不足する物を輸入して、余る物とか特産品を輸出する、ゆるやかな交易に戻したらどうなのだと思ってしまいます。科学や時代がバックできないことは承知していますが、今の時代の延長線上に破滅しか見えないなら、方向転換するしか生きる道はないのだと思います。だから世界が内向き傾向にあるということは、自分を見つめ直すことに繋がるなら、次への移行段階として在り得べき姿とも捉えられます。
ではトランプ大統領の言う自国第一主義が正論かと言うと、自分が一番大切、自国が一番大切という意味ではあまりに当たり前で、わざわざ言うほどのことなのかとなりますが、これが自分さえ良ければ全て良いとなると破壊的暴徒となります。人は幸せになりたいとか豊かになりたいとかの個人的欲求を抱えて社会の中に生きているのだけれど、自分だけが良ければいいでは決して幸せにも豊かにもなれず、社会全体が良くならないと自分も良くならないことにいずれ気付きます。国と国との関係も同じで、自国が良ければ全て良いでは戦争ばかりで、決して幸せにも豊かにもなれません。世界の国々全体が良くならないと自国が良くならないのは多分同じはずです。
経済におけるグローバリズムは独占欲支配欲による経済戦争で、国別個人別でも極論すれば唯一の勝者とそれ以外の圧倒的多数の敗者しか生まない、より資本力の高い者だけが勝ち残る資本主義の構造そのものです。国別個人別でとんでもない格差社会、というより極々一部の超富裕層による富の独占社会では、国としても個人としても誰も幸せにも豊かにもならない、グローバリズムは体のいい口実でしかないようです。
けれど例えば地球環境問題とか気候変動問題とかコロナウイルスのような世界規模の感染症とか、世界が結束して協力協調して対処しなければならない、本当の意味でのグローバリズムは必要です。こちらの側で考えると、全体が良くならないと自分が良くならない、との意味が良く分かると思います。
経済至上主義も資本主義も市場経済も、おそらくもう限界点に達していると思ってます。人類に未来はあるのかと問われると答えることができないほどに、温暖化気候変動とか地球環境の悪化の脅威は年毎に切迫して来るのを覚えます。経済至上主義がどれほど破壊を尽くして地球を傷付け、人類自身をも損なってきたのか、そのツケをこれから払わされることになります。自ら生き方を変えなくても、いずれ変えざるを得ないほどに環境が変わることになりそうですが、生き残れるのなら地球の再生回復に努め、共存共生の理念が骨肉化するような人類に生まれ変わってほしいと、思ったり願ったりします。


posted by 明石 at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年03月21日

温暖化最先鋒 南極大陸

今年2月南極で6日に18、4度、14日に20、75度と二度過去最高温度を更新したとの報道がありましたが、「嘘?」と絶句してしまいました。地球上で温暖化が一番進んでいるのは南極だそうで、この50年間で他の地域の平均気温は0,75度上昇しているのに比べて、南極では3度上昇と4倍も温暖化が進んでいるそうです。その結果この5年間で南極の氷が溶けるスピードがそれまでの3倍になっていることが最近の調査で分かったとされています。
南極の氷が全部溶けるとどれほど海水面が上昇するのかを調べてみると、40m〜70mと幅がありますが60mという説が一番強いようです。60m海面が上昇すると河口に広がる平野部は殆ど海面下に沈み、世界で一体どれだけ平野部が残るのか唖然とします。アフリカ大陸あたりは残りそうですが、熱波に襲われて何も作れなさそうだととどめを刺されています。今のところ南極の氷が全部溶けるとの予測はありませんが、60mも海面が上昇して残った陸地が熱波に襲われて灼熱地獄になったら、逆に氷の無くなった南極大陸くらいしか住めるところはなくなるのではと溜息が出ます。
私が怖く思うのは、温暖化気候変動はこれまでを見ても、学者の予想をはるかに上回って進行が速いということです。それは例えば地中海中のメタンガスが噴出する等の副作用が計算の中に入っていなかったことなどがあるはずで、これからもそんな計算外の結果的に知りうることが多々あるはずだと思えます。
南極大陸に乗っかている氷は平均でも2450mの厚さがあり、それが全部溶けるには何百年も要し、暗に考えられないと言ってるようですが、既に溶ける速度がこの5年で過去の3倍に進み、地球全体の温暖化も火ダルマ的急加速であることを考えると、何百年後かが次第に近い未来に成り代わったりするのではと思ったりします。現在の科学力、人知では計り知れない化学反応のようなことが自然の中で起こったりするのではないかと思ったりします。
それに南極の氷が全部溶けなくても、例えば海面が3m上昇しても東京の海抜0メートル地帯とか致命的に打撃を受ける所は世界の至る所にあるようで、それが10mだと日本の海岸沿いの平野部とかは殆ど海に呑まれることになります。考えたくなくても既にとっくに地球は温暖化気候変動の渦中に入っています。どこに向かうのか、何が起こるのかを注視していないと最低限の備えも出来なくなるだけです。
posted by 明石 at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年03月07日

米国大統領選挙予備選挙

米大統領選の民主党候補指名争いで再出馬のサンダース氏が前回以上の支持を得て、果たして超大国アメリカという国全体を動かすほどの大きなうねりとなるのか、私も興味深く注目しています。サンダース氏は前回ヒラリークリントン氏と指名争いをした時、資本主義陣営の要の米国で社会主義的な候補者は奇異にも見えたのですが、あれから更に学生とか若い層の熱烈な支持を広げてきているようです。
サンダース氏の政策主張を見てみると、「歳出拡大、法人税率の引き上げ、国民皆保険の実現、数兆ドル規模の気候変動対策、学生ローンの債務帳消し、公立大学の無償化、社会保障の拡充、発電産業の国有化、富裕税等々、、、、」特段社会主義的なようにも見受けられないのですが、企業、金融業等の経済界や富裕層には承服しがたい項目もあって、現状では実現困難なことばかりであるようです。サンダース氏は革命だと言ってるようですが、立ち位置を貧困者の側に移すという点ではそうかも知れませんが、あれほど銃による無差別殺傷事件が毎年多発しても一向に銃規制に向かわない岩盤的に頑固な米国社会を変えることが可能だろうかと思ったり、だが貧困者や低所得者が多数派になれば時代は動かざるを得ないのではと思ったりします。
私は資本主義ももう終末期だと思っています。1%の富裕層に富が集中するような社会は格差とかいうレベルではなく、資本主義の必然と言うか富の集中独占社会で、民主主義は建前で飾られているだけで中身は何もないのが実情です。
オバマ前大統領がchangeと訴えて全米にうねりを起こしたのは、希望が持てる社会に変わることを人々は願ったということであるのだろうし、その後ヒラリークリントン氏がトランプ氏に敗れたのも、代表的な既存の政治家では何も変わらないとそっぽを向かれたことであるようです。何でトランプ氏が大統領になれたのか、見慣れた政治家たちとは破天荒と言えるほどに型破りであったのが大きな要因となったようです。型破りであるが故に社会を変えてくれるかも知れないとの期待感があったはずです。
だが残念ながらトランプ大統領では企業優遇、富裕層優遇はますます顕著で、生活苦に喘ぐ低所得層に最悪の結果しかもたらさないだろうし、損得勘定むき出しのあまりに自己中心的な姿勢は、これまで世界を牽引してきた米国の栄光と誇りをもう既に十分落としているし、世界のリーダーの座を自ら降りて米国の地位の没落を加速させているだけに見えます。
私は米国国民ではありませんがサンダース米国大統領を見てみたい。資本主義の結末、ほんの1%の富裕層が富を独占するような社会を壊さないと、残り99%の大多数に未来が開けないのは明白です。サンダース氏が実現不可能な政策を列挙していると揶揄されがちですが、生活苦に喘ぐ貧困層が更に増えて多数派になった時、そんな他人事みたいに言っておれるだろうかと思ってしまいます。サンダース氏は自ら民主社会主義者と公言していますが、私の見方は右だろうが左だろうがそんなレッテル分けは関係なしです。今生きているこの社会の不合理不都合を少しでも取り除いて住みやすくするために一歩でも前進する、それだけのことにレッテルは不要です。究極の理想の姿を描いてそういう社会を目指すのではなく、今生きている社会のおかしなところを一つ一つ正して積み上げていくことで、結果的に出来上がった社会が理想的であればベストかなとは思ったりします。後になるほど住みやすいまともな社会になってゆかないのなら、人類の歴史に意味はないことになります。
米国国民も社会が変わることを、それも希望が持てる暮らしやすい社会に変わることを、期待し続けているのは間違いないはずです。社会を変えようとする唯一の候補者サンダース氏は、米国の岩盤保守層や高齢者に受け入れられるのは多分まだ無理だろうと思いますが、私は米国に民主社会主義を自称する大統領が誕生するのを見てみたい。没落の途にあるとは言えいまだ世界最大の超大国にサンダース大統領が誕生すれば、世界は、時代は、激動の途につくのではと思ったりします。
posted by 明石 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年02月26日

70歳 ?

休眠時7℃以下の低温遭遇が必要時間取れた上での暖冬なのか、芽が少し動いて膨らみそうで、2月にブドウの苗木を植え付けたことは記憶にないのだけれど、昨日12本植え付けました。3月になれば予約注文のミカンの苗木が120本送られてくるので、そちらの方も早くなるかもしれず、仕事は臨機応変にということです。
この冬12月から1月の初旬にかけて、ブドウとミカンの苗木床計800uほど、例によってツルハシと二本鍬で掘り耕しました。重労働なので1日6時間、面積にして40〜50u以上はしないようにしていますが、タバコを止めてまる3年が経過して体調が少し変わってきたようで、以前より息切れしなくなったというか持久力が増したような気がします。このキツイ作業を衰えを計るバロメーターにしているようなところもあるのですが、70歳になって衰えるどころかパワーアップしているような自分に驚いています。
風呂に入るとき鏡に映った上半身を見ても、殆どたるみも無く筋肉で張った体は、70歳でこんなことあるのかなと改めて少し驚いたりもしますが、それ以上にそれくらいは体を使って仕事をしていることは自分ではよく分かっています。昨年11月に大腸癌手術後の定期検診に行った時も、担当医に相変わらず良い体をしていると褒められたのですが、最近は若い人でもあまり体を使わないのでぶよんとした人が多いと聞かされました。
60歳の同窓会で同窓生に会ったとき同じことを感じていたのですが、その後65,70と5年毎に同窓会を重ねて同窓生を見てくると、親世代に比べて老化が少し早いのではないかというような気がします。思うに親世代は人力作業が主体で、私等は機械主体で親世代に比べてはるかに肉体労働が少なくなって、筋肉体力とも高齢になるほどに親世代より劣るようです。それが更に若い世代になるほどに顕著になるから医者の指摘するように、体格はよくなっても体力は脆弱になり続けていることに繋がっているようです。このまま行くと人類は頭ばかりが大きくなって体が退化していく、昔のSF漫画のように奇形化してゆくこともありうるように思えてきます。
私はもともとアナログ系かあるいはそれ以前の原始系に近いのではと思ったりします。38歳で就農してからブドウのハウスを5か所総面積90aを全て一人で作りました。山の南東斜面なのでパイプだけでは持たないので、電話工事の会社で撤去された木柱を払い下げてもらって、それを柱にしてパイプで縦横に組むという構造です。柱はスコップで掘って60pほどには根入れしています。
バブルの末期頃に取り掛かったのですが、金融機関はでたらめな融資合戦で私のところにも来ましたが、業者にハウスの見積もりを取ると傾斜地特殊仕様で平地の倍以上、10a(1000u)あたり1000万円以上になるとのことで、そんなに設備投資するとブドウを収穫するようになるより早く倒産するのは確実で、全部自分でやると決めたのです。取り掛かって10年後までには5か所総面積90aのハウスを作り上げました。あの業者の見積もりからすると軽く1億円を越えているはずです。
次には水槽です。掘るのはユンボで、底打ちは生コンですが、側面はあまりに凸凹で型枠は使えず、止む無しの手練り手塗りのモルタル仕様です。固めに練って3センチほどの厚さにゴム手袋装着で塗り付けるのですが、1日畳2〜3枚程度の面積しか塗れません。夕方塗り終わったところは2時間後くらいに撫でつけに来ないとひび割れだらけになるので、食事後懐中電灯を持ってまた真っ暗な山へ上がってきます。
ハウスを増やすと水槽も増やしてゆき、200トン級が2か所、300トン級が1か所、500トン級が1か所の計4か所作りました。500トンとなるともはや水槽ではなく小さな池です。昔の人が人力手作業でどれほどしんどい目をしたと言っても、同じ手作業で一人でこんな池を作るようなことをやった人がいるだろうかとは今でも思います。
ハウスも水槽も全部自力で一人作業で作り上げたのですが、そんな積み重ねで自ずと鍛えられて少々過酷でも耐えられるような肉体が作られたようです。今もツルハシで苗木床を掘ったり、一輪車でたい肥を押し込んだり、山の斜面での仕事ということで、さほど機械化も文明化もされず昔の人と大差ない仕事ぶりだと思っています。別に鍛えようと思った訳でもなく結果的に鍛えられたのだけど、今になるとここでも現代人に反旗を掲げているようです。先のブログの続き的になりますが、私はあまり病院にも行かないし、薬も日常的には何も飲んでいません。自分がどこまで生きられるのかは神のみぞ知るですが、一つの願いは現役の生産者のまま終わりたいということです。70歳で異次元かというような体力が本物であるのなら、病院漬け薬漬けとは無縁な生涯現役最前線を証明して見せてほしいと、自分に願っていたりするのです。
posted by 明石 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年02月14日

とんでもなく増え続ける医療費

先日「クローズアップ現代」を見てたら、国民一人当たりの年間医療費が33万9千円、国民総額が43兆円になったとのことで、口あんぐり呆然としてしまいました。年齢別だと85歳以上は100万円を越えていて、70歳で62万円でそこから急上昇しています。医学の進歩で寿命100年時代の到来と最近よく言われますが、果たして本当にそうなるのか私は疑わしく思っています。それは科学とか文明が発達するほどに、人間が肉体から脆弱になってきているからです。活力が低下すると抵抗力が乏しくなって、病気や故障けがをし易く、つまりは生命力が弱くなります。今全国の病院は高齢者で溢れかえっているはずですが、仮に寿命100歳時代が到来する時が来るとしても、80歳を越えて中毒患者のように病院漬け薬漬けでは、100歳の有難みも薄らいでしまいます。
国の税収が60兆円なのに、43兆円まで膨らんだ医療費は高齢者の増加とともに今後とも増え続ける見通しで、そうなると今の医療保険制度はパンクしてしまいます。健康保険は地方税なのでどうやって医療費を抑えるか地方も四苦八苦、毎日10種類以上とか多くの薬を飲む人に薬剤師のチエックが入ると2〜3割は減らせるとか、糖尿病、高血圧とか生活慣習病は食療法等生活慣習を改善して薬依存を減らすとかですが、本当の問題は人間が脆弱化していることであるはずです、
「ぽつんと一軒家」は時々見ますが、人が自然の中で暮らす原型みたいなところが素晴らしいと感じる瞬間が折々あります。登場してくる高齢者の人達も能うる限り自給自足に努め、病院とか薬とかに依存度は低そうで、しかも強そうに見えるほど元気そうです。あの番組が人気があるのはノスタルジーを呼び起こすからなのだろうと思ったりします。
あれほど極端な形ではなくても自給型農業は健康促進からも本気で考えてみる値打ちはあります。現在日本の農地は廃棄地、放棄地が激増中のはずで、過疎になるほどに売り手ばかりで買い手がないというのが実情のようです。一反(1000u)4〜5万円でも売れないとの話はよく聞きますが、農地法を改正してでも農地を手に入れ易くしないと、一歩都市部を出ると地方は荒れ放題で手が付けられなくなります。
温暖化気候変動がどんな結果をもたらすか行き着く先は分かりませんが、食の問題は今後世界でどれほどの餓死者が出るのだろうかというほど深刻になるのは必至だと私は思っています。買おうが借りようが自分の農地を確保して、週末農業とか今から備えた方がいいですよと言いたいです。
農作業で多少でも筋肉労働をすれば、その積み重ねで脆弱な肉体が改善されて活性が高まり、医者や薬に依存しなくてもいいような高齢者になる可能性が高まります。種を蒔いたり苗木を植え付けたりして植物と向き合い育てることは、生命の相互交換作用的な癒しや喜びが得られ、認知症とか精神障害を遠ざけるような効果もあります。
地方は過疎化が加速的で、都会からの移住者を今全国的にあの手この手で募っています。空き家が増える一方でその有効利用で住居提供サービス等テレビの映像によく流れています。70歳近くになってからでも自給型健康志向の農業は可能ですが、若いころから多少でも農業に馴染んでおくと心理的にも肉体的にも移行が楽なはずです。私の近所にも退職後自家用野菜を作り始めてすっかりハマってしまった人が居ます。誰しもがそうだとは思いませんが、野菜だろうと花だろうと初めて作ってハマってしまう人は多いようです。はらはらどきどきしながら育っていくのを見てると、初めての新鮮な感動の連続で、それでハマるようです。今農業で生計を立てるのは末期的に苦しいですが、本来農業は食、人が生きるのに一番大切な業種です。今の時代が遠からず行き詰まった時、農林漁業の第一次産業は再び主役に返り咲くはずだと、私はそう思っています。
posted by 明石 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年01月30日

店頭価格 戻しました

ホームページの店頭価格を2013年より海外交渉価格にしていましたが、海外と交渉することももう無さそうだから、元の国内販売価格に戻しました。くそ高い店頭価格で国内販売に支障があることは予想していましたが、商談となると海外のバイヤーさんは私のホームページの販売価格をつぶさに見ていて、何故海外価格は国内価格に比べてこれほど高いのですかと、私は国内の市場価格では食っていけなくて海外市場に活路を探すのだから倍くらいでないと意味がないと本音で答えるのですが、ぼったくりを見るような目で見られます。本気で海外市場に活路を求めようとしていたから、ホームページの店頭価格を海外交渉価格に変えて、それまでの国内販売価格は会員価格として会員にならないと開示されないようにしました。苦肉の策ですが海外のバイヤーさんにぼったくりだと思われたくないので、国内販売に支障が出てもやむなしの覚悟の上です。
4〜5年の間に香港、中国、シンガポール、UAE,サウジアラビアのバイヤーさんと直接間接に商談する機会を得て、サンプルを送って好評価を得ることもあったのですが、手続きと輸送面でつまづいて結局実現しませんでした。単独で海外へとなると言葉から始まる障壁は、よほどの意志と情熱がないと越えるのはむつかしく、私のような面倒くさがり屋には無理でした。
ブドウは既に最盛期の半分程度に規模縮小していて、あと10年作れるかどうか分かりません。70〜80キロはあろうかと思えるビニールの100メートル巻きを持ち運べなくなった時が、ブドウを止める時だとそう決めています。その時を見据えて今年もミカンの苗木を120本3月に植え付けます。ブドウからミカン農家への移行準備も来年度の苗木植え付けでほぼ終えられそうです。
海外交渉価格を取り下げてもとの国内販売価格が再び店頭に出ていますが、これは最初から変わらない価格です。もともとコストから見積もって必要最低価格として設定しているのですが、生産資材が10年で値上がりしてはいますが下がり続ける市場価格の動向もあって、価格の変更はなしで最初から最後までこのままでいくつもりです。
posted by 明石 at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年01月27日

続 温暖化 気候変動

産業革命以後二酸化炭素等の排出で地球の温暖化が起こり気候変動を招くまでに至ったとする説に、本当にそうなのか懐疑的な見方をする者も少なからずいるようですが、太陽の活動によって起こっているのではないか、宇宙線の量によってではないのか等、真実を探る見方は多い方が望ましいとは思いますが、人類がどんなことをしようが地球を傷め、損なうことは一切ないと不問にするようで、何か嫌な気がします。私はやはり地球も生きている一つの命であり、生きている命は大切にしなければ傷ついたり病気になったり最悪死滅したりする、という考え方をします。人類の悪さが過ぎて地球という母星が傷つき病んでいる、とする方がよほどすっきりします。
私は現代及びこれからが歴史上最悪な時代なのではと思っていますが、経済至上主義と世界人口の爆発的な増加がその元凶だとみています。経済至上主義は儲かるかどうか金になるかどうかが唯一の価値観で、儲からないもの金にならないものは見向きもされず捨て置かれて結局は壊れてしまいます。国連の報告書でも最近50年間の破壊が際立っているとされてますが、破壊は環境ばかりでなく文化とかコミュニティとかにまで及んで、その挙句に壊されているのは人間の精神であるようにさえ思えます。金儲けはそれ自体性格的であるゆえに経済もその性格を内包して人を従属させようとします。経済の論理ことに企業の論理は、戦場に赴く戦士を強いるようで息が詰まりそうになります。
国連の報告書によると世界の人口は現在77億で、2050年に97億、2100年に112億に達するとされています。この世界の人口の爆発的な増加が温暖化や環境問題の根本原因の片方だと思っているのですが、何故か人口論議はどこまで人口が増えて飢えずに生きて行けるか的に、さながら地球は人類だけのものであるかのようです。世界は人口の激増もあってとっくに食糧難の時代に入っていて、ことに南米とアフリカでは農地を増やそうと森林伐採は過激なようです。加えて温暖化による高温と乾燥で森林火災もオーストラリア、アメリカ、ブラジルなどの大火災が頻発して、伐採と火事で毎年どれほどの森林を消失しているのか、温暖化が更に加速するのは必至だと思います。地球には自浄力があるから大丈夫と言う人もいますが、更に森林消失とか酸素の供給源を失って何で自浄能力があるのか、呆れてしまいます。
人類以外に目を向けて、絶滅種を出さないとか生態系を壊さないとかの視点からすると、77億にも人口が達するとそれは不可能です。「百万種絶滅の危機」と少し前ブログに記しましたが、動物たちは住む場所も無いくらい追い詰められているのだから当然だろうと思えます。生態系とか命の連鎖循環もズタズタになるばかりなのに、何故か環境保護団体も動物愛護団体も世界の人口を減らさなければとは言いません。絶滅種を出さない生態系を壊さないと他の命を大切にすることが、地球を大切にすることになり自然との調和を育むことに繋がるはずです。そのために世界の人口はどれくらいが適当なのか、19世紀初頭の10億という環境学者もいますが、私は根拠は無いのですが中高生だった1960年代半ばに35億だったことを思い出します。一人っ子政策を止めても中国ではいまだにそれが続いているとのことですが、一人っ子だと単純計算で親世代が亡くなれば人口は二分の一に、もう一世代進むと更に二分の一に、100年で四分の一まで縮小することになるます。
私はブログを2年以上更新せずに2017年に再開したのですが、時事評論的なことはあまりやりたくないとその時思っていました。全く改善の見込みがないことを言っても闇を深くするだけだからですが、最近心境が変わってきました。温暖化気候変動はもうどうにもならないだろうし、どんなところに行き着くか成り行き任せで止む無しです。どんなところに辿り着こうと生き残れるのであればそこから再出発するだけです。願わくば経済至上主義とか過剰な人口とかを、その時一度ご破算にできるのであればと思ったりします。
posted by 明石 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言