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2017年07月17日

晴天の霹靂

ブログを更新しなくなって2年4カ月、巷では私はこの世にいないのではとも囁かれていたらしいですが、人の生死はそんなものだろう、姿をぷっつり見せなくなるのはまさに死であるから。退いて見ると、命は本当にあぶくみたいなものなのだろうと思ってしまいます。終わってしまえば跡かたもない。何かを残したいと言うあがきは、時間を多少膨らませることしかできないのに。
ブログを更新しない間私がなにをしてたかって?ブログを書こうが書きまいが、私は私で私に変わりはないです。読者にとって存在するかしないかだけの問題であって、関係性の中での存在ということでは全て同じことです。
本題になかなか入らないので自分でもいらいらしてきました。ブログの更新を止めたのと同時に始めたのが、カラオケです。私はそれまでカラオケ大嫌いで、俗悪な低脳文化と決めつけていたり、自分がカラオケに行くなどとは、歌は聴くのも歌うのも大嫌いということもあって、夢にも在り得ないはずのことでした。
それが自分の意志で行くようになるとは、それこそ晴天の霹靂で、そのあまりの変節を次回から語ってみようとおもってます。
posted by 明石 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年03月18日

桜の咲く前に

朝10時頃、園地に上がって来たうちの奥さんが、「北村さんの奥さんから電話があって主人が亡くなりましたって。」と言う。春までは持たないだろうとは思っていたのですが、それを聞いて、とうとう逝ったかという思いをただ噛みしめていました。
昨年3月、直腸から前立腺とかいたるところに癌が転移しているため手術は不可能で、抗がん治療で持って半年と医師に告げられていましたが、医師を見返すようにちょうど一年持ちこたえてあっさり逝ったようです。
彼、北村(旧性)登氏は私の高校時代から50年来の友人で、私はずっと悪友だと言い続けてきましたが、私流の定義からすれば、親友が世間常識的に特に良好な関係の友人であるなら、悪友はその枠をはるかにはみ出した関係の友人であるのだから、悪友は親友以上だということです。事実、社会にすんなり適応できないような青年期はよく似たところもあって、20代の半ばになってやっとまともに就職したというのも共通です。
昨年3月に見舞った時、あと半年だと言われたと落ち込んでいるので、「心配するな。お前だけではない。生きてる物は全部死ぬ。早いか遅いかだけだ。元気そうに見えても若くても明日の命は分からない。そんな危うさの上にある命に気づかず、自分は大丈夫だと盲信しているだけだ。」と言うと笑いながら、「相変わらず凄いことを仰る、けど、それはその通りだ。」と少し寛いだ表情をしたので、自分だけがという自縛は解けたように思えました。
以後月に一回は見舞おうと、それはその通りに実行したのですが、次第にやせ細り衰弱して終わりに向かって行く様を見るのが辛くて、これ以上そんなあいつを見たくないとの思いが昨年末頃私の中でピークに達していました。
今年になって、そんな自分が愚図ってなかなか見舞う気になれないでいると、この時期持ち歩かないで机の上に置いてある携帯電話に、やたらと彼から着信が入るようになりました。電話をすると間違って押してしまったととぼけるのですが、何度もそういうことが続くと私も腰を上げざるを得ず、友達なら最期まできちっと付き合えよと自分に言い聞かせました。
彼には私と同程度に見舞っている友人が他にも2人居て、幸い同じ高校の同級生なので、一度3人で一緒にと声を掛けて、2月下旬に3人一緒に見舞ったのですが、結果的にはこれが最後となってしまいました。私的には多分彼の一番親しい友人であるだろう3人と彼とでミニ同窓会との思いもありました。私は高校からですが、他の一人は小学校以来というと60年近い、もう一人は中学校以来という、いずれも50年以上という友人の集いです。彼の頭の中は既に混線や断線がだいぶ進んでいたのですが、3人の話声の中に置かれると意識が焦点を合わせるらしく、呼び起こすようにわざと軽く悪口を言うと目をしっかり開いてはっきりした言葉を返してきて、それで病室に笑い声が響き、何時もだと一時間程度で退室するのですが、この日は二時間余り居てもあまり疲れた表情も見せず、多少でも楽しい一時にすることができたようだとほっとしました。
彼の葬式に出て、何か妙だ様子が違うと思ったのは、葬儀が始まる頃になってもお寺さんの姿は見えないし、花輪も盛花も盛果も無いことです。前日のお通夜のときは半信半疑だったのですが、葬儀が始まり司会者が故人の意志により自由葬としますと告げた時、あいつやったなと漸く合点しました。私は元来冠婚葬祭があまり好きでなく、葬式は特に嫌いで、仏の御心も金次第というような金儲け主義のお寺さんに腹立たしさのあまり、私が死んでもお寺さんにおつとめを頼むような葬式はしてほしくない随分前から広言していたので、無論彼も何度かは聞いていたはずです。その影響なのかどうかは分かりませんが、彼が先に実践してしまったのです。
お寺さん抜きでの葬式はどういう形にしたらいいのか、私が漠然と考えていたのは、参列者が故人の思い出話を語り合ってお見送りする形以外無いのではということです。だから、お通夜が終わった後、特に親しかった何人かに弔辞をお願いできますかと打診された時、まだ半信半疑ではありながら、弔辞という形式にこだわらず思いつくままフリーに語ってもいいのならやりますと答えたのです。そういう葬式を漠とでも私は思い描いていた上に、彼もそういう葬式を望んだのなら、少々恥をかこうとも私も応えなければと思ったからです。ひとつお願いしたのは、私の順番は最後にしてもらえませんか、私が先だと後の人に迷惑になるかも知れませんからということです。
葬儀は黙とうから始まり、在りし日の故人の写真を映像で流しながらのプロフィール、それが終わると弔辞となりました。お寺さん抜きの葬式がどんな形になるのか興味深くもあったのですが、参列者全員そんな葬式は初めてのはずで、戸惑いがあったのは私も皆と一緒です。
最初の人の弔辞が始まると、私もやっと何をどう語ろうか考え始めたのですが、何も考えないでマイクの前に立つと決めているので、前もって考える気がしません。弔辞ということにこだわらなくてもいいということで受けたのだから尚更です。それに自由葬と言うなら、本当の自由葬に少しでも近づけたい思いもあります。
順番がきてマイクの前に立つと、「自由に語ってくださいということで受けましたが、私がフリーで語るとなると、登君が何を言われるやら心配で目を覚ますかもしれませんが。」と切り出していました。
「彼とは高校時代から50年に渡る付き合いで、大学も彼が大阪、私が京都なのでしょっちゅう行き来していました。一時期彼が太宰治にメロメロになっていたので、太宰治の気に食わないところを3つか4つでも見つけてみろよと言ったことがあります。そんな文学的なところもあり、一緒にヤクザと喧嘩したこともあり、世間的な見方からすれば悪友になるのだろうと思います。」
「今日は彼の葬式ですが、私は彼が死んだとは思っていません。私の中では彼は生きているし、私が死ぬまで彼が私の中に居るのは間違いありません。3年前大学時代の友人が亡くなってから、死とは何だろうと改めて考えるようになりました。死んだら確かに本人は消えて居なくなりますが、関係性の中で消滅するかと言えば、彼のことを覚えている人が居る限り、関係性の中では存在し続けるということになります。彼を知る人が一人も居なくなった時、そこで彼という存在がこの世から消滅するのだと思います。」
何を語るか考えながら同時に不都合がないよう整理して言葉にしなければならず、綱渡りのようにとつとつと続けて、「不安とか寂しさで彼がじたばたするようなことがあれば言おうと思っていた言葉があります。必要がなかったので言いませんでしたが、今彼に言います。心配するな。お前一人ではない。皆そのうちそっちに行く。お前は先に逝ったのだから俺らに良い場所を探しといてくれよ。」と結んだのですが、さすがに口が粘って、水でも飲まないと、いっぱいいっぱいになっていました。
型破りなのは元々で、誰にどう思われようとか構わないというのもとっくに骨肉化していますが、北村よ この程度で勘弁してくれという思いだけは残りました。
葬式当日の午後10時頃、彼の奥さんから電話があって、「明石さん、今日は本当にありがとうございました。明石さんの言葉が私も息子も本当に嬉しかったです。」と礼を言われて、届いて欲しいところに届いたのならそれで十分です。「奥さん、私が言うのもおかしいかもしれませんが、あそこまであいつの面倒をみてくれたこと感謝しています。奥さんで良かったです。あいつにとっては奥さんがベストです。」と感謝すると、弾けるように奥さんは喜んでいました。
電話が終わってしばらくして、何かおかしい、親でも兄弟でもないのに何であいつのことで奥さんに感謝するのだろうと考えていました。
悪友が親友以上だとは思っているけど、ひょっとすると気がつかないうちに、あいつとは兄弟以上になっていたところがあるのかと、振り返ると社会からはぐれていたような青年時に辿り着き、あの頃を思えば不思議ではないと納得します。
これから先私の中で居続けるのはあの頃のあいつであるのは疑いようがなく、この一年間病室で見てきた見たくなかったあいつは既に忘れ去ろうとしています。相手が生きていようと死んでいようと、記憶に残るのはその人の印象度の一番強い場面であるようで、50年来の付き合いといっても就職後の印象は薄く、多分何も残らないのだろうと感じています。
死後他者の記憶の中で、良くも悪くも一番輝いていた頃の印象が生き続けるなら、それも悪くはないと少しは和んできたりします。

あいつが逝って2週間が過ぎようとしていますが、そんなこととは関係なく、畑では桃の花が満開となっています。001.JPG

posted by 明石 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月28日

5年目を終えて

ホームページを開設してブログを書き始めてから、今回で丸5年が終了します。
週一回の更新を一度も休むことなく5年間続けましたが、私には子供の頃からそんな性向があって、自分からやると決めたことは、もういいと思うまでひたすらやり続けます。
例のお茶会も同じです。4年間で欠席したのは入院していた時一回だけで、その時も手術後4日目でありながら、外出許可をもらおうとして担当医に呆れられたり、それほどお茶会に行きたかったのかというと、ひとえに決めたことに穴を開けるのが嫌だっただけです。
これはいったい何だろうと考えてみると、拠点を作ろうとするような動機が自分の中に在りそうです。どこか一か所でも維持集中し続けるところがあれば、後のことはどうでも構わない的な発想が自分の中にあるのは確かで、ブドウ作り一点に本気で集中していれば他のことはどうだっていいとの思いで長い時間を過ごしてきたことと全く同じことです。
これほど決めたことを徹底してやり通す人は随分几帳面なのだろうと思われるかもしれませんが、事実は全く逆で、私は多くのことでいい加減だったり雑であるが故に、それだけだと何も無い自分であるため、どこかに自分を築く必要があるのかとも思ったりします。
だから自分で決めた一点はどんな状態でも続けようとするのだろうと、そんな見方もできそうですが、続けるということはどんな些細なことでも簡単ではありません。
ブログに戻しますが、5年間続けて、これほど書きたくなくて気が乗らないのに何故書くのかと自問することも正直よくありましたが、続けることを大切に思う自分が結局勝っていたのだと思っています。以外に思われるかも知れませんが、書きたくて書いているときより嫌嫌書いている時に良い文章を刻むことが結構あるということです。
書くということは誰かに何かを伝えたいという以上に自分を知ることでありそうだと、5年続けてそんな感想もあります。頭の中に去来する様々な思いは断片的であったり、そのままだといずれ埋没して忘れ去ってしまいますが、書くことで思いを形にして繋ぎとめておけます。
作為とか意図的であることを極力排除して、フリーでランダムに気の向くままを心がけてきたのは、自分の素地というか本質的な部分により近づくためですが、自分ごとでありながらブロックされた部分に踏み入るのはやはり難しいようです。
昨年秋頃からブログも難しい局面に入っています。書きたくないことが増えすぎているためです。悲観的に未来を語るのは簡単ですが、生物の生理構造は光を求め続けるようにできていると思っていて、光を見出そうとすればするほど暗黒面に呑まれそうになったりします。絶望は終着点ではなく出発点だとの思いもありますが、どの道光は闇との格闘を避けられないのだとも思っています。
書き続けて5年を終えた今、必ず毎週更新するというのはもう止めますが、ブログそのものを止めようとは思っていません。次のステップに移るためにはこれまでとは違った新たな形が必要になってきているようです。
posted by 明石 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月22日

時の旅人

どこへ行こうと同じだということはうんざりするほど分かっていたのだけれど、じっとしていると部屋の壁に押し潰されそうになり、アルバイトで金を作っては部屋を飛び出して旅に出るということを繰り返していた学生時代。肩書きは学生であっても、実際は放浪者という方がふさわしい2年余りの期間がありました。
方位は裏か北かで、磁針が表と南に振れることはなく、山陰から北陸、東北の日本海側を経て、一度北海道へ行くと針はそこを指したままになりました。何度訪れたのか正確には思い起こせませんが、網走から根室へ向かうバスの中で、延々と続く直線の道路に他の車を殆ど見ず、民家も無く、地の果てを走っているような寒々しさを覚え、多分その時に旅の終わりを刻印されたようです。
心象と現実の風景は全く別物であり、例えば冬の北海道の原野を倒れるまで歩いてみたいという心象風景などは、実際にその場に立つと一瞬で吹き飛ばされる無知な妄想であることを痛切に思いしらされたり、人など寄せ付けない自然の厳しさを知るばかりです。
無人の荒野を目指すような旅の終わりに、帰ろうと思ったことが収穫といえば最大の収穫であったのかも知れません。
空間的な旅が終わっても、その後も時の旅は続いています。生きている物は全て時の旅人で、刻一刻移り変わり、決して同じところにとどまることはない。
時たま、この年になっても、北海道を彷徨っている夢を見ることがあります。時の彼方に消え去ってしまわない何かが、自分の内にいまだ点滅するのだろうと思ったりします。
posted by 明石 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月14日

雨にも負け 風にも負け

「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」の裏バージョン的に「雨にも負け 風にも負け」を書きたくなることがよくあるのですが、宮沢賢治氏を冒涜することになってはいけないのでその都度自重します。私は賢治さんの詩のように立派な人を目指したことは一度もなく、行く手を遮るものはお天気だろうと誰だろうと、悪態をついたり喰ってかかったり蹴飛ばしたり、阿修羅により近い側なのだろうと自分では思っています。
阿修羅の剣のカラクリに少年の頃より気づいていましたが、斬り捨てたと思う度に斬られているのは自分の方で、斬りかかる度に自分のどこかが傷ついて血を吹きだしても、世の中は全く何事もなかったかのように平穏な日常が展開しているばかりです。
この年になるとさすがにきな臭さは無くなりましたが、持ち前の反骨精神だけは如何ともし難いところがあるようです。農業が急加速で崩壊するその局面で農業人として歩んだことを、自分では結構気に入ってるというか、らしい、ふさわしいと思ったりもします。
高品質高価格の実現を目指して、一人でもこの八方塞がりの状況を突破できれば、農業に希望を取り戻せるのではと努めてきましたが、それも叶わぬ夢で終わりそうです。既に昨年から規模縮小コスト削減に本格的に取り組み、どうにか食っていけたらあとは楽しむ農業に方向転換して、重荷を解いてしまっています。
全身全霊を賭けて打ち込めるものなら何でもよかったというところはありますが、劣悪なお天気に一瞬で駄目にされる農業に、職人なら百%自分の力で勝負したいと他の職種を羨むことも時たまありました。全力を尽くしても及ばない、届かない、人からすれば無限とも言える広がりが農業にはあって、故に無限に学べる可能性もあるのだと考えると、百%自分の力で勝負する世界より却って良いのかなと、最近そう思えるようにもなりました。
雨にも負け 風にも負け 負けて負け続け、されど負ける度に学び、一歩でも前に進めたら、それが人の在り様ではないのかと、そんな風に思ったりします。
posted by 明石 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月07日

時折農林漁業に飛び込む若者たちが報道されたりしますが、こちらの方がどこか緊張して映像画面に見入ってしまいます。動機が立派であるほどに、ままならぬ現実にどこまで耐えられるか、凌ぎ切れそうか、つい覚悟のほどを見定めようとしてしまいます。
専業で生活するのが困難な時代であるだけに、農林漁業に飛び込みなさいと無責任なことは言えませんが、本音ではそう願っているのは確かです。
私はこのブログで日本の農業は終わってしまう的な言い方はよくしますが、農林漁業は消滅してしまうのかと言えば、決してそうはならないと思っています。
食糧問題と環境問題とでいずれ世界危機となれば、国としての自給力は死活問題になるだろうし、作る能力があって作らない国は、国際的に非難の集中砲火を浴びるのは間違いなさそうです。
問題は何時どのタイミングでということですが、温暖化による気候変動は科学者の予想をはるかに上回って急加速してきたことを考えても、今年でも来年でも何時でも起こり得るところまで来ていると思っています。
例えば世界の穀倉地帯と言われる地域で、その何割かが猛暑や干ばつで不作となれば、世界的な食糧パニックは必至だし、ここまで来るとそんなことは起こらないと楽観視するほうがおかしいように思えます。じわじわとではなく突発的に来るのが食糧危機だと考えておいたほうが良さそうです。
世界が食糧危機に陥ると、より経済性に重きを置いた価値観は一変するのだろうと思います。
農林漁業は国の基盤であり、ここに自給力のない経済大国など、瞬時の夢的な危うさと共にあるのだと思います。状況次第では世界はグローバルであったり、個別であったり、豹変することも頭に入れておくべきではないかと思います。
不安定な富を目指すより、確かさを求めて国づくりがなされないと、これから先の生き残りは厳しくなりそうです。
農林漁業は自然の中での生産活動であるが故に、自然との調和を願い、大地や海を慈しみ、生命の尊さを思う心が自ずと育まれます。
農林漁業に飛び込む若者たちが、厳しい現実に直面しながらも、新たな未来、新たな価値観を切り開くことを心から願っています。
posted by 明石 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年01月31日

本物の思想

「日本には本物の思想は育たない。あるのは生活者の思想だけだ。」、とずっと言われ続けてきたような気もしますが、感覚的には分かるのだけれど、改めて考えてみるとこの言葉は意味不明なほどにおかしいと思えてきます。
生活者の思想が処世術を指しているのだろうとは理解できますが、言葉の危うさは、生活者の思想は本物の思想ではないと伝えてしまいます。となると、本物の思想とは、現実の生活から遊離したところに構築された観念の世界のものとなって、そんなものが果して本物の思想と言えるのか怪しくなってきます。
私流に言えば、生活者の思想で結構ではないか、生活者の思想こそ本物の思想への端緒であるはずだ、ということになります。日々現実の生活で様々な問題に直面し、その問題を掘り下げることで何がそうさせているのか、原因あるいは正体の輪郭が浮かび上がってきたりします。個々の問題は全く別のことで、掘り下げられた一つ一つは点として在っても、いずれ点が結ばれて個別の問題の背後に、時代や社会の構造が見せかけとは別の形で露呈してきたりします。
世界は針の一穴からでも覗けるとは、個別に自分の問題を突き詰めると深化するほどに世界の本質に近づくことに他ならず、例えばマスコミ報道とか自分の外側に答えを得ようとするのとは、アプローチの仕方は逆なのだろうと思います。自分をどこまで知り得るかで他者への理解度が変わるのと同じなのだということです。
時代は今、政治家や官僚とか各方面の専門家達の手法論ではどうにもならないところに来ていると思っています。少しでも優位に立とうとする処世術や価値観もいずれ通用しなくなるだろうし、人としてどうあるべきか、豊かさとは、幸せとは何なのかを問い直し、時代を本質的に見据えて根本から転換させる必要が差し迫っているのを覚えます。
NGOとかボランティアに参加して、貧しさに喘いでいる国々の人々の救済に乗り出す若者達に、希望の灯を見たりもします。
自立した精神は自分の価値観を歩むのだと思っています。
posted by 明石 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年01月24日

パリテロ事件から

言論の自由とか、表現の自由とか、報道の自由とか、最近自由という言葉に触れる度に、どこか違和感を覚えるようになってきています。パリのテロ事件以後、数百万人が表現の自由を訴えてデモをしたと報道されましたが、イスラム教信者からすれば宗教を風刺漫画化されて気持ちが良いはずもなく、結果的にはフランスの自由に配慮が欠けているから不興を買ったということになるのだろうと思います。
イスラム過激集団は残虐非道な暴徒の群れで、テロに正当性があるとは微塵も思いませんが、最たる先進国の一つフランスで、多様な価値観を認め共生を謀るといった土壌がその程度でしかないのかとがっかりします。フランスの自由がイスラム教信者や国々に不快感を与えるなら、それは本質的に自分の価値観しか認めない自由であるのだろうと思ったりします。
人は個別でありながら同時に社会的存在であるという背理矛盾を根本的に抱えて在るため、全うき自由など最初から存在しないし、個別の自由は社会の枠組みの中でという制約を受け続けます。法に触れない範囲での自由しか個別には残されていないし、更には社会の構造に著しく損なわれていたりします。
表現の自由は芸術などではそれこそ命ですが、相手に侮辱感を与えるような風刺漫画で何をどう表現しようが自由だというのは、文化の違いだけでは片づけられず、少し違うのではと思ったりします。
これと同様報道の自由も、基本的には真実を知る権利で、真実を求める自由は決して侵されてはならないものですが、そのことと何をどう報道しようと自由だというのは全く別のことで、それだと事実を恣意的に捻じ曲げたり、意図的に視聴者を誘導したり、真実から遠ざけることになりかねません。東日本大震災以来特に、マスコミ報道が取り上げる角度とか見せ方が、こう思いたいからそう見せる角度で切り取る、というのが目立っているようで、却って真実から視聴者を遠ざけているように見えます。
言葉に踊らされて何でもかんでも自由だと取り違えていたら、本当に守らなければならない自由を見失ってしまうことになるのではないかと危惧します。
posted by 明石 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年01月17日

1週間後のお茶会

同窓会の余韻が残る中、今日は月一回定例のお茶会でした。
通常のメンバーほぼ全員に新たな顔触れを加えて、20名まで膨れ上がってのお茶会となりましたが、同窓会参加者の3分の1が1週間後に集まって、お茶を飲みながら同窓会の話で半日を過ごすというのも、ちょっと退いて見ればあまり世間にないような話で、これだけでも今回の同窓会が成功であったのは明らかなようです。
幹事長殿と私の二人は特に、出席率の低さとか、出席か否かの返信さへ返さない者の数の多さに嫌気がさしてしまっていて、同窓会当日はどこか晴れきらないところがあったのですが、一夜明けると触れ合った温もりが翳りを覆い始めているのを覚え、その後は時間が経つほどに温もりに覆われてしまったようです。
この温もりは触れ合った数が多いほど大きく、これで暫くは元気で居られるというもので、小中学校時を共に過ごした同級生はそれぞれがお互いに故郷的な、やはり格別な存在なのだろうと改めて繰り返し思います。
前回の還暦同窓会後、子供の頃を一緒に過ごした同級生ともう一度一緒に遊びたいとの思いは、その後間髪をいれずに実現させてしまいましたが、思ったら直ちに行動して実現させてしまう行動力は、振り返ってみれば自分ながら呆れてしまうところがあるようです。
このお茶会も確か丸4年を過ぎるほどに続いているはずです。私が欠席したのは入院した時一回だけで、無論、圧倒的最高出席率を誇っています。私流に言えば、どんな忙しい時でも、というより忙しい時ほど、ここを息抜き気分転換の場としています。
同窓会は何年かに一回ですが、お茶会は月一回です。今回の同窓会時、こんなお茶会もやっていますよとそれぞれが案内したそうで、今後お茶会のメンバーはどんどん増えそうです。
そのうち50人くらいが集まるようになったら面白いだろうな、と一人で笑い転げてしまいました。
posted by 明石 at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年01月11日

同窓会 再び

還暦同窓会から5年を経て、5年後にまた会いましょうとの約束通り、昨日昭和39年度国分寺中学校卒業生の同窓会が行われました。
参加者は前回より20数名少なく総数57名でしたが、再会を楽しみたい思いは一つで、数には関係なく盛り上がりました。
二次会は多くても20名程度と予想していたのですが、29名が参加したいとのことで、予定していた店に入りきれるか焦ってしまいましたが、幹事長殿が店に電話を入れると大丈夫とのことで胸をなでおろしました。店に入って30分もすると、仮装カラオケダンスパーティとどんどん盛り上がり、まあこれだけ元気であれば皆当分は大丈夫だろうと呆れたり安心したりです。
散会時、参加者全員が「ありがとう!楽しかった!またやろう!」と弾んだ表情で感謝してくれると、世話役さん達もやった甲斐があったとやっと充実感に浸れます。
私は前回はただの参加者だったのですが、45年ぶりに同窓生に会ってともかく嬉しくて、そんなに喜ぶ自分は全く予想外で、以後180度方向転換して率先して世話する側にまわり、今回で大小3回目の同窓会となります。豹変と言えるほどに過激に方向転換する自分に笑ってもしまいますが、そろそろ同窓会の世話疲れもあり昨日は引退宣言しましたが聞き入れてくれそうもなく疲れが更に増しています。
今回私の視線は参加する人より参加しない人の方へ移っていて、総勢242名(内22名死去)、参加者57名、不参加者163名、と参加率が26%という低さにがっかりしています。
私も60歳までは一度も同窓会に出席したことはありません。前回の還暦同窓会は、卒業以来45年間会ったことのない同窓生に一度は会っておきたい、その最後の機会だと思って参加しました。45年ぶりに同窓生の面々と会ってともかく嬉しくて、それは同時に自分の知らない自分との衝撃的な対面でもあったようです。
圧倒的多数の不参加者に言いたいのは、これから老後を迎えるにあたり、ここから先は気持ちが通う友達が多い方が勝ちというか、心豊かに過ごせるのだと思っています。古きを訪ねて新たな出会い新たな発見が得られるかもしれない機会を、みすみす逃すと損しますよと、余計なお世話かもしれませんが言っておきたいです。
付け足しになりますが、今回の同窓会は既に死去している22名の同窓生への黙とうから始まりました。司会を担当した者の独断の配慮ですが、凄いなと感服しました。
posted by 明石 at 20:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 園主の独り言