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2017年10月19日

刻みこまれた情景 13歳の春

中学2年生の13歳の春、私は「エリートコースは歩まない、エリートにはならない。」といやにはっきりと決心しました。まわりの大人たちとか世の中の価値観、例えば東大を出て大蔵省へ入るのがベストというようなエリート人生を思うと、そんなつまらない生き方はしたくないと強く思ったからです。この決意、決心は今も明確に私の内に深く刻まれています。というより、その後現在に至るまでここをベースに歩んだのだから、この思いを抱えて私は生きてきたと言っても過言ではありません。
私にとってそれほどの大事件ででありながら、心の内の問題であるだけに外からは一切見えず、何も無かったことになるのですが、この時から周りの同級生達に私は一切見えなくなるだろうとの思いもあって、心のどこかで秘かにさよならを告げていました。
1年生終了時に担任に言われたことが、自分の進路を考える引き金になったのは間違いありません。私は小学校の6年間は担任は女の先生ばかりで、中学生になってやっと男の担任になった安ど感もあって、担任に悪い印象は持っていませんでした。担任はびんた制裁も時々ある「爆弾」とあだ名された数学の教師で、当然私もびんたを食わされたことはありますが、親父の鉄拳制裁に比べると蚊程度でたいして気にもならず、私としてはまともに先生の授業は聞いていたはずです。中学は学年ごとにクラス編成があってクラスメートが変わり、担任が変わります。それ故なのかどうかは分かりませんが、1年生の終わりごろになって先生が皆の前で、「明石よ、まだ勉強する気にはならないか。お前は今回の試験でも主要5科目は素晴らしく、学年で2番だった。先生はお前が本気で勉強するとどこまで伸びるのか、それが見てみたい。」と懇願するように言われて、頭からがつんと勉強しろと言われれば猛然と反発するのですが、そんな風に言われると私でも少しは心に刺さりました。
私は中学生になっても授業はあまり聞かないし、家での学習も普段はまるでしませんが、試験になると主要5科目だけは前日に一夜漬け程度には勉強しました。他の4科目はまるでやらないから点数はせいぜい40〜50点で、9科目合計での順位は250人中10〜15位程度だったと記憶しています。成績とか順位とか殆ど気にしていなかったのは小学生の頃から変わらずで、その意味では向上心は全然とは言いませんがあまりなかったです。主要5科目ならトップ争いをしていたと先生に言われて、初めてそのことを知って、少し心に刺さった先生の言葉を反芻していました。
いくら想って見ても先生が見たがっているようなエリートになる自分は想像できず、もう既にまわりの大人とか社会への反抗心は目覚め過ぎていて、翻意の余地は殆どなかったようです。エリートコースを歩まない、エリートにはならない、と決心したのはわたしにとってはごく自然な成り行きだったと思っています。
posted by 明石 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年10月17日

刻みこまれた情景 小学生の頃

自分が見る自分と他人が見る自分との違いはいつでもあるものですが、同窓会で何十年振りかの同級生に会うと、「明石は勉強ばかりしていた秀才だった。」とよく言われるのには愕然とします。自分の知る自分とは天地ほどの落差があって、それではまるで見られていないのと一緒で、一体何なのだと思ってしまいます。
私の記憶に今も鮮明に刻みこまれている自分は、勉強する暇がないくらい野山を駆け回って遊び呆けている自分です。平日でも放課後4〜5人は遊びに来ていたし、休日だと10人前後というのも珍しくなく、自分では遊びの天才だったのではと思っています。小学校5〜6年時の記憶は特に鮮明で、担任にとって厄介な生徒であったことは間違いありません。
授業はあまり聞かないし、宿題は殆どやらない、罰で立たされるのはクラス最下位の落ちこぼれ君と双璧で、例えば夏休みの宿題とか、まったくやらなくても1〜2時間立たされれば済むのだから、それなら当然罰を受ける方を選ぶという生徒でした。
授業を聞かないというのは元々と言うのもありますが、聞いていると同じ事を何度も先生が繰り返すのに苛立って、進むペースの遅さに我慢できなくなり爆発しそうになり、噛みつくような顔を先生に向けていたと思いますが、「あなた一人のために授業をしているのではない。進むのが遅くて我慢ができないのなら一人でどんどん先に行きなさい。」と怒られて、「あ そう。分かりました。二度と授業は聞きません。」と密かに応えていました。
母親が授業参観に来ると、先生は私が机の奥に押し込んでいる0点とかそれに近い答案用紙を引っ張り出して見せ、「授業を聞いていない時はこうなんですよ。」と私の素行を教える。テストの点数とか成績とか全く気にしていないから、気が向かないと答案用紙を白紙で出すというのも、この頃から始まったようです。
それでもトータルすると成績はクラスで3番手で、さすがに先生も納得がいかないのか、「皆さん、明石君に騙されてはいけません。明石君は勉強しないふりをして秘かにやっているのです。」とやられた時は私も頭に血が上って、この先生は許さないぞと誓っていました。
6年生の3学期、先生がひそひそ声で「中央委員会でのあなたの発言が建設的だと先生方の間で評判になっていて、校長先生も卒業時に特別表彰しようと言ってる。」と嬉しそうに私に聞かせました。話の途中から自分の顔から血の気が退いてゆくのがはっきり分かったし、聞き終わった時には私は完璧に破壊者に豹変していたはずです。次の委員会から凄まじく破壊者一辺倒で、手当たりしだい壊しまくって、そして小学校を卒業しました。
posted by 明石 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年10月15日

老いた子供

2年余りブログの更新はしませんでしたが、この間も月1回定例のお茶会とか年に数度の飲み会とか、同級生と付き合いは変わりなく続いていて、お茶会などここまで長く続くとは予想していなかったので、メンバーそれぞれが相当くたびれるかなり大詰めまで続くのではと、改めて考えると驚きも混じってきます。
70という歳が近くなってきた同級生の集いで不思議なのは、共に過ごした小中学生時代を起点にして、そこから老いた現在のお互いを見ているのか、現在から共に過ごした子供時代を手繰り寄せているのか、両方が入り混じって判別しづらいということです。どちらの割合が大きいのかあえて判定すれば、多分子供時代から現在を見ている方だと思えるのは、私だけなのかどうかそのうち皆に聞いて見るつもりです。
いずれにしろ私が思うのは、同級生の集いとかで顕著ですが、人の記憶に10歳前後の頃が何時までもまざまざ鮮明に在り続けるのは、この歳になってみると驚くほどです。私自身振り返っても、30代から50代の記憶の残像は薄く、20代前半までが圧倒的に鮮明であるようです。
何故なのかひとつ言えるのは、人それぞれ感受性が鋭敏で豊かであるのはおそらく10歳前後を頂点に若い時ほどで、大人になって社会化されるほどに感受性は鈍化しているのだと考えます。
個人が社会に組み込まれていくほどに感受性を失っていくとすれば、人間の成長ってなんだろうとふと思ってしまいます。
この歳になってもその頃の同級生が集えば、いともたやすく子供心に帰り着くのであれば、年齢を重ねるほどに外側は劣化して老いても、浸食され尽くさないかぎり、内側コア部分には子供心が刻まれていて、老人とは老人の衣装を着た子供なんだ、と考えると少し楽しくなってきます、「俺たちは子供だ!俺たちは自由だ!これからはやりたいことをやるんだ!」と。
posted by 明石 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年10月10日

やっと来たその日

愚図ついた天気が続いて久々に晴れた日の朝、10時になったので倉庫に降りて栗の実を取りだしていると、うちの奥さんの車が上がってきました。後ろのドアが開いて「おじちゃーん!」アカリちゃんです。「アカリちゃん、おはよう。」笑いながら言うと、なんだか照れくさそうにもじもじしています。一か月余りのご無沙汰が正直に反映しているようです。
早すぎず遅すぎずという絶妙のタイミングで、ヒサヨちゃんとうちの奥さんがこの日を決めたのですが、別れ際の言葉を本音と受け取っていいのかどうか、お互いに手探り的なところもあったようです。そんな心配は取り越し苦労で、お互いに本音だったからすんなり実現したのだと思います。
「すごく楽しみにしていました。」とヒサヨちゃんが何度も言いましたが、それは私等も同じで、来る日が決まったその時からカウントダウンの日々を指折り数えていました。
ヒサヨチャン一家が私の近所のアパートに居たのは、昨年3月から今年の8月までの1年半で、それはヒサヨちゃんにとって過酷といえるほどに厳しい1年半になったのではと思っています。あちこちの休耕地や放棄地を借りて、総面積5町(5ヘクタール)でにんにくを栽培するためにやってきたと言うので、7〜8人の作業員でやるのかと思えば、3人でやるのだと言う。3人で5町の栽培は不可能で、5反の間違いでは問い直すと、間違いなく5町だと言う。その無茶無謀さに呆れ返ったのですが、50代の社長をはじめ全員農業未経験で、盲蛇に怖じずとはまさにこのことだなと溜息が出ました。
今年の1月、実は旦那が昨年10月に出て行ったのだとヒサヨちゃんから聞かされた時は、私はその場に凍って固まりました。どんな事情があるにせよ、1歳と3歳の幼子を抱えた妻を残して出て行くなど、もうそれだけで男として人として失格だと、やがてめらめら怒りが燃え上がって来て、この時から私と妻はヒサヨちゃん一家に気持ち的に本気で肩入れするようになり、通常のご近所さんラインは越えてしまったようです。
今年8月でヒサヨちゃんは会社を辞めましたが、これがまた酷い話で、胸糞悪いので要約しますが、社長がとんでもないペテン師であることが発覚したということです。今年は猛暑日がうんざりするほど続いて私でもへとへと気味でしたが、ヒサヨちゃんに聞くと草刈りをするのだと言う。馬鹿な、こんな猛暑の中で毎日8時間以上も草刈りなどしたら死ぬぞと警告をしても、ヒサヨちゃんに仕事を指示するのは社長だからどうにもならず、私ほどにヒサヨちゃんも社長もその危険性を認識していない故に、素人の馬鹿社長に殺されてしまうぞと心配で心配で、怒鳴りこんでやろうかと発作が起きそうになるほどでした。「私、そんなに弱くない。大丈夫だから。」と猛暑の中で毎日草を刈り続けるヒサヨちゃんに驚きました、「なんて凄い娘なんだと!」
1年余り子育てに仕事に一生懸命なヒサヨちゃんを見てて、なんでそんなに頑張れるのか心打たれるほどで、体力も精神力もこんな凄い娘もいるのだと自分の認識を改めさせられました。
私等にはヒサヨちゃんは前向きな顔しか見せませんでしたが、旦那さんのこととか長年信じてきたお寺さん社長のこととか、本当は深く傷ついていたのだろうと思っています。どれほど深く傷ついてもアカリちゃんやダイゴちゃんの世話は泣く暇もないくらい待ったなしで、それが逆にヒサヨちゃんを救った面もあるのだろうと思います。子供が居なかったら一人で持ちこたえられたのかどうかそれは分かりませんが、子供を守ることで逆に子供に守られていることもあるのだろうと思えます。
私には子供も居ないし後継者もいません。私と妻、私等が終われば園地は廃園、家は廃家となります。市場関係者とかお客さんとか行政など関係各方面から後継者をなんとかと言われ続けてきましたが、どれほどレベルの高いぶどうを作っても食べていくのが精いっぱいというのでは後継者を作ろうという気にはなりませんでした。
それが猛暑の中で草刈りをするヒサヨちゃんを見てて初めて気が変わりました。1週間余り考え尽くして、ヒサヨちゃんに伝えたのは、「農業で自立したいと言うのがにんにくでなくぶどうでもいいのなら、うちでぶどうを作るという手もあるよ。私には子供も後継者も居ないし、私が終われば廃園になるだけだから、ヒサヨちゃんがやるのであればいずれヒサヨちゃんに全部あげるよ、農地も家も。ただ養子縁組して法定相続人になってもらわないと、私には甥や姪がいるので、贈与では立場が弱いから。」ということです。
その時はヒサヨちゃんはにんにくに一生懸命であまりピンとこなかったようですが、この件に関しては私の方は全く同じ変わっていません。ヒサヨちゃんのお父さんにも引き上げる際にはっきりそう伝えています。
ただ決めるのはヒサヨちゃんです。そんなに慌てて決める必要もありませんが、技術の伝承というか、1人前のブドウ作りに育てるために、3〜5年の期間が必要ということもあり、私がくたびれてしまってからではきつくなるということと、現在どんどん規模を縮小しているのをどうするかということもありますが、今の私の体力、能力ならまだ暫くは両睨みでもいけそうです。今回園地でヒサヨちゃんに言ったのは、やれるかどうかではなく、やる気になるかどうかだということ。私の密かな想いは、もしやるのであれば、5年で日本のトップクラスのブドウ作りに育てる自信はあるし、本人がどう思おうと、ヒサヨちゃんはそれだけの人材だと私は勝手に惚れ込んでいます。
私の現状に問題なのは販売面です。商売の資質が乏しいこともありますが、それ以上に職人としてのプライドとか整合性を求めすぎる性格が、販路を細くしているのはよく分かっています。ここをどうするかが経営上の最大の問題点であり、打開策が無い訳ではありませんが、自分の生き方にかかわることなので簡単ではありません。が、自分だけの問題で済まなくなれば、突破することになるのだろうとおもいます。
今回やっとヒサヨちゃんと一緒にカラオケに行けました。ヒサヨちゃんは20代の頃は演歌歌手を目指していたそうで、その歌を聴いてみたかったのですが、こちらに居る時のあの忙しさでは到底無理でした。ここ3〜4年あまり歌っていないそうで、それでは思うように声が出ないだろうと思っていたのですが、迫力のある綺麗な声に驚きました。高い声が出るかどうかと言っていましたが、よく響く個性豊かな声で、キーンと金属音が入ってくる高温はボイストレーニングでどんどん高くなりそうです。プロを目指していたのはもっともだと、私も奥さんも全く納得しました。ほぼ40年前、会社の慰安旅行で宮崎に行った時、スナックのお姉さんの歌声にしびれたことを思い出しました。プロを上回る個性豊かな歌い手に出会うと、プロって何なのだろうと思ってしまいます。
posted by 明石 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年09月10日

カラオケご一緒しませんか

ブドウも漸く出荷にこぎつけた瀬戸ジャイアンツを残すだけとなり、気分転換と体調回復を謀って週1回のカラオケ通いを再開していますが、さすがに3年目になると飽きがきています。相棒のY氏にはそんな様子が見られないのですが、私はカラオケの5〜6時間が苦痛なほど長く感じられることもあって、すっかり退潮気味です。過去2年間で、どこまで声が出るようになるか、どこまで歌えるようになるかの実験テーマはほぼ輪郭を得ていることもあって、目的意識が薄まって見えづらくなっています。
誰かに歌を聴かせたいとか他者に向かう欲求があればこうはならないのだろうけれど、私にはそこは希薄で、故に自己完結性が短絡的になってしまうのは、何事につけても私にはありがちな大きな欠点なのだろうと思ったりもします。
自分から出て自分に還る自己完結性は、そのサイクルの中にどれだけ他者を世界を含み得るかが最大のポイントで、ここを無視すると単にひとりよがりに終始するだけです。
書くということも同様で、他者に語りかけようとする欲求が私には乏しく、それであまり意欲的になれないというところもあります。ならば別に書くということに向かわなくても良さそうなものですが、そう収束しきれないのは、自分史的に書かないと完結しないような自分があるからです。
最近私がふと思うのは、子供や孫が居なくて自分で最後だと当然のように思っていますが、本当は何か親から子へ子から孫へと繋ぎ続けていく命の在りようみたいなところを、見失ってしまっているのではないかということです。
アカリちゃん一家と触れ合った1年余りが、私に疑問符を与えてくれたようです。アカリちゃんのお母さんヒサヨちゃんの仕事に子育てに、何であんなに頑張れるんだと思うほどに、懸命な姿には本当に心打たれました。
多分私に必要なのはもっと若い世代との触れ合いで、ごくたまにでもヒサヨちゃんのような懸命に頑張る姿に出会えば、それは私でも本気で向き合おうとするし、書くことへの本気度も高まるはずです。
カラオケに戻りますが、2人で続けるには限界にきているようです。止めても良いのだけど、せっかくハードなボイストレーニングを続けてここまで声が出るようになってるのにと思うと、捨てるよりは生かして、これからはオープンにして出来れば若い人とも交じってみたいです。
もしこのブログを読んで、一度一緒したいという近隣の方があれば、毎週木曜日はビッグエコーレインボー店に12時半から18時半ごろまではだいたい居ますので、ハプニング参加していただくと嬉しいです。フロントの電話番号は、087−865−1233です。たまに都合で曜日が変わったりするので、居るか居ないかフロントにご確認いただければ幸いです。
posted by 明石 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年08月24日

アカリちゃん

「おじちゃーん!おじちゃーん!」夕方野菜畑に行くと3歳の女の子が大きな声と共に駆け寄ってくる。ちょっとやんちゃな顔が可愛くて、思わず笑ってしまう。「アカリちゃん元気にしてた?」「うん。」程度の会話なのだが、いつの間にかそれが楽しみとなって、今日は会えるかなと思いながら、仕事を終えた夕方毎日野菜畑へ行く。
アカリちゃんの住むアパートは野菜畑の土手上にあって、ことの始まりは、アカリちゃんのお母さんヒサヨちゃんが、「野菜大きくなりましたね。」と声を掛けてきた時からです。声の方を振り向くと、若いお母さんとそのズボンを掴んだ小さな女の子が居て、負けん気の強そうな顔で見慣れぬおじさんを見定めようとしている様子が私を笑わせていました。
夕方時々お母さんと話すようになり、自家用野菜のおすそわけということもあって、アカリちゃんも味方だと認めてくれたようで、「おじちゃーん!」がはじまったようです。その声が大きくて、初めの頃私は少し照れくさくももあったのですが、でもそれ以上に嬉しくてなんだか元気も出てくるのです。
この様子をじっと見ていたうちの奥さんが、羨ましがって半年後あたりから参戦してきました。私が目をぱちぱちするほどの積極さで、子供たち(アカリちゃんと1歳半の弟ダイゴちゃん)を水族館に連れて行ったり、タコ飯クルーズ船に連れて行ったり、アカリちゃんの声も「おじちゃーん!」はすっかりトーンダウンで、「おばちゃーん!」ばかりが大きくなって、奥さんもなんとなく勝ち誇っているような気配でした。
子供に恵まれなかった私達夫婦は、アカリちゃんやダイゴちゃんで孫を体験しているような感覚が得られて、年をとってこんなこともあるんだねと二人で喜んでいました。
でもあまり親密になると、何時来るか分からない別れがつらくなるばかりだという思いもあったのですが、分かっていてもやはりブレーキは掛けられませんでした。
別れはあまりに突然にやってきました。盆休みで岡山に帰省していた一家が1週間ぶりに帰ってくると、仕事の都合で岡山に引き上げることになったと言う。私と妻は顔を見合わせてしばし絶句。
嬉しいこと楽しいことがそう長く続かないのは、この年になればよく理解はしているはずなのだけれど、別ればかりが増えてくると、嬉しさ楽しさも底知れぬ無常感の上に乗っかっているのを更に知るばかりです。
車で1時間も走れば会えるほど近いところにいるのだから、その気になれば何時だって会えるよと、妻を慰めたのか自分に言い聞かせたのかよく分かりませんが、そう思うと少し落ち着きます。
一瞬でも嬉しい楽しい出会いがあれば、その幸運にただ感謝するばかりです。何時までも持続したいと欲張るから辛さが増すのだろう。もう一家が居なくなったアパートを見やりながら、元気で、健やかに、と祈ります。
posted by 明石 at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年08月07日

よりフリーに

カラオケに行くほどだから、この先の私はなんでもありそうだと、どこかでときめいているのを覚えます。そう遠くない将来に訪れるだろう自分の死を思いながら、残された時間に燃え上がる命があれば、燃え尽くさねばと思ったりします。
「書く」ということもその一つです。「ぶどうの明石園芸」を立ち上げて、そのアシスト的にブログを書き始めたのが、丁度60歳の時で、「書く」ということに向き合ったのは35年ぶりだったと思います。5年間ブログは週一回更新し続けたのですが、当初から書き始めるとブドウにとどまらないことは分かっていました。
私は20代半ばまでに一旦「書く」ことを止めようと決意し、30年後に生きていてまだ「書く」ことへの何かがあるのなら、その時再び「書く」ことに向き合おうと思いを定めていました。
この時「文芸」の「芸」の部分は捨てたと思っています。「芸」とは文章を磨くことだから、それを放棄するのは、プロにならないということです。
5年間ブログを続けてみて、「芸」的には当然がっかりすることも多々ありますが、内容的には自分の選択は間違っていなかったと納得できたりもします。
2年4カ月ぶりにブログを再開したのは、「書く」のか「書かない」のか、年齢的にももういい加減に結論をだしたいからです。
もうすこし単純に、書きたい欲求その中身に、身をまかせなければと、気難しくうるさい自分を無視しようと思うようになってきています。
posted by 明石 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年07月31日

不明さの中で

カラオケに行くなど在り得ないと思っていた自分が、まさかのカラオケ通いを始めた経緯を書き続けてきましたが、言いつくしているかと言えばそうとも思えない節があります。意識の流れはほぼその通りだとしても、動機が突き詰めると不十分というか不明です。あまり好きではないので歌わなかったのだけど、「その気になれば歌えます!」というような自分がどこかにずっと潜み続けていたのはいつも感じていました。「歌の才能が目覚めようとしていた」と前述しましたが、「その気になれば歌える!」自分が覚醒したと言う方がより正解だと思えます。
60代後半になって、思いもしなかった自分と出会えるのは嬉しいです。更に、この年になって未知の自分と出会うほどに、私はいまだに私自身を把握しきれていないし、それはどこまで行っても変わらないのだろうと思います。命の源泉の無尽蔵さのなかに自分と言う命もあるのだと思うことが、今となっては私を安らかにさせてくれるようです。
思えば、「生きるのだ!」と命の濁流に身を投げた20代初期、「欲望の赴くままに!」と意を決した時から始まっていたのだと、今はっきりそれが見えます。
posted by 明石 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年07月29日

カラオケ採点

歌う時に私の意識にはご本家歌手を上回れるか、あるいはご本家と違う自分の味を出せるか、という思いが常にどこかにあります。そのため歌へのアプローチの角度をご本家とどこか違えて自己流が強くなったりしますが、反面音程は悪くなる一方ではとの思いが増大していました。
カラオケ通い2年目からは採点モードにして音程コードを出して歌い、音程正確率80%を目標としました。アレンジなどという程度ではなく、まるっきり自己流に歌っていることを自分で分かっていたから、80%は結構高い目標でした。
ところがこのカラオケ採点はやればやるほど不信感を募らせます。音程コードに声がぴったり重なってズレも殆どないのに、音程率は70%前後の評価というのが多々あります。私の場合だと、低い声とか優しい声とかは、どれほどコードぴったりでも全く評価されません。1年続けてみて分かったのは、カラオケ採点は評価される声であるかどうかがすべてだということです。では、どんな声が評価されるのかですが、ネットで調べてみると「普通の声」とありますが、その中身には触れていない。
私の連れのY氏はことのほか評価される声質であるようで、「神業」とか「天にも昇る心地よさ」とかのコメントが出てくることがあってびっくりします。Y氏が以前久しぶりにXJAPANの「ForeverLove」を歌った時、コードを目茶苦茶に外しまくったのですが、それでも点数は90点以上、音程は80%以上で、評価される声であればまともに歌えなくともこんな点数出すのだと、その採点構造に呆れてしまいました。
DAMの採点構造をネットで調べられる限り調べ、1年余りの実践を経て思うのは、点数にそれほど意味はないということです。あくまでもゲームとしての採点であって、歌の上手さ、良さを評価する構造ではないようです。歌の上手さ、良さを評価できるようにするなら、AIでも組み込まなければと思います。
カラオケ採点の点数を追っかけると、歌は壊れるし、歌い手の個性も壊れて、ちょうどアヒルのガアガアうるさい声だけ残りそうだと思ってしまいます。
posted by 明石 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2017年07月27日

スーパーフライ 続き

「黒い雫」「新世界へ」「On Your Side]の3曲は、どうにか歌えるようになるまで、通常の3倍の時間を要しました。「新世界へ」などよくもこんな変てこな曲が作れたものだと呆れます。これを歌として歌える人がどれだけいるのか総じて疑問です。
「On Your Side」は私にとってスーパーフライとの出会いで、ロックを刻みこまれた1曲となりました。越智志帆以上の絶叫スタイルで歌ってみて、自分の声がロックに昇華しきったと感じた時、本当にロックを歌えるようになったのだと実感を得ました。
「Beautiful」を含めての4曲、自分ではそこそこ歌えると思っていますが、他人の耳にどうなのかは、私には分かるはずもありません。
それにしてもと思うのは、60代後半になって初めて本気で歌に取り組んで、2年目で最高峰スーパーフライのしかも難しい曲に挑む、この無謀さは何でもやり始めたら頂点を目指さずにはおれない、厄介な性格の賜物なのだろうと、自分ごとながらどこかため息がでます。
自分の可能性を見極めることが動機の殆どで、他者に歌を聴かせたいという欲求は私には乏しいです。だから大勢の人前で歌うことは多分ないと思いますが、たとえば「のど自慢」に出るとかを遊び心で空想したりすると、歌う曲は無論スーパーフライの「On Your Side」あたり。年齢と曲との極端なギャップに加えて、突き抜けるようなハイトーンの絶叫となると、それは面白いだろうなと笑えてきます。
posted by 明石 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言