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2020年10月22日

母の死

9月9日「救急の日」に救急車で病院に運ばれ、緊急入院した母が10月15日に亡くなりました。14日朝病院から電話があり、血圧が下がったから病院に来てほしいとの連絡があって、昼過ぎに行き10日振りに母を見たのですが、更にやせ細ってここまで骨と皮だけになれるのか生きているのが不思議なほどで、正視できず目を背けてしまいます。「何も心配せんでええよ、楽にしてたらええ。」と声をかけるとこくんと頷いて、反応を示したことに驚いたのですが、目は開かずとも意識はあったようです。
この日家に帰っても、自分の言葉とそれに頷いた母の姿が尾を引いたまま寝床に入ったのですが、寝入った直後に病院から電話で、直ぐ来てくださいと言ってる、と奥さんに起こされました。14日から15日に日付が変わった直後で、病室に入ると担当医が丁寧に説明された後、機械を止めて、もう一度母を見て、時計を見て1時10分ですと告げて深々と頭を下げました。「天寿を全うした立派な生涯です。ありがとうございました。」と私と妻も心からの感謝を込めて深々一礼を返しました。
葬儀屋に行く途中、「あんたの言葉に安心してお母さんは逝ったようね。」と奥さんが言うと、自分の中で尾を引いていたのも同じ思いだったので、やはりそうなのかとぼんやり思い返していました。
母は大正15年生まれの94歳です。死亡診断書に老衰と記されましたが、ひとつの命をそこまで存分に生き尽くした立派な生涯でした。告別式の読経の間、母の遺影を見ていると、断片的に浮かんでくる思い出を辿っていました。母から聞かされた話で一番強く私の記憶に刻み込まれているのは、母の幼少の頃の話です。
両親が離婚して母は幼い時に祖母の家に身を寄せていたのですが、次男(母の父が長男)が嫁をもらうときに邪魔になるので里子に出されたそうです。どれくらいの間里子で居たのかは聞きませんでしたが、次男のお嫁さんを見たい一心で、里家を出て夜の山道を歩いて帰ったそうです。おばあさんが激怒して追い返そうとした時、お嫁さんがこんな小さな子をそんな可哀そうな目にあわしたくない、この子は自分の子として私が育てると言ってくれたそうです。母は実の親に捨てられて叔父夫婦に育てられたのですが、置かれた境遇にめげない母の天真爛漫さと叔父夫婦の暖かさを思うと、泣けてきたのを覚えています。
私と父の激しい確執も長い間母を苦しめ続けたことは未だに申し訳なくもありますが、でも家庭崩壊までには至らなかったし、親子といえども個性と生き方も違うので、一つ屋根の下での軋轢はやむを得ない面もあるはずです。乱暴な言い方かも知れませんが、どんなに激しく衝突しても、一つの個性一つの生き方としてお互いを容認できる日が来れば、それでいいのではないかと思ったりします。
母の大らかで楽天的な気質は、実はそれこそ母の強さの源だったように思えます。悲観的になれば暗くなる一方というような境遇にめげず、自分と言う一つの命を、天寿を全うと言えるほどに生き抜き生き尽くすことができたのも、その持ち前の気質に拠るところが大きかったのではと思えます。父と結婚した直後胃下垂とかの持病で、医者に24歳までは生きられないと言われたとよく笑い話にしていましたが、それ以上はないような立派な生涯だったと思います。告別式の後の挨拶で、拍手で送りだす方がふさわしいと思わず言ってしまいましたが、お悔やみよりはお祝いの方がふさわしいとも思っていたのです。
母の死から一週間も経ち、父を見送り、母を見送って、長男としての務めも果たしたかなと思うとほっとしたというか楽になって、もう何時死んだっていいくらいの自由感を得ています。
70路に入ると周りを見回しても、親世代は探さなければ居ないほど少なくなっていて、世代交代を正味実感します。私に信心は無いのですが、死ねば仏になるというか、不思議なことに死者は、その一番輝いている姿で人々の記憶の中に刻み込まれているようです。正視したくない枯れ果ててミイラのような母の姿とか、死んだその瞬間から記憶を消すかのように忘れる一方で、仏になったのか、今は一番輝いていた頃の記憶のみの残像となりつつあります。私の望むような一番良い姿でこれからは居てくれるのかな、神様になったようだねと言うと、母は得意顔でにっこり笑い返しているようです。

posted by 明石 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年10月10日

コロナ騒動後の世界

緊急事態宣言を解除して経済活動再開を本格化させた時から、いずれコロナ感染者は桁違いに増えるだろうと思っていたのですが、そうなることもなく感染者数は横ばいから下がり気味で、日本は米国やブラジルのようにはならないのだろうとほぼ確信できるようになってきました。全国どこでもマスクを着用していない通行人が殆ど居ないだろうほどに、日本人は全体的に見れば申し合わせたように同じような、つまりは秩序だった行動をするという特質が大きいのではないかと思ったりします。先のブログで独立国なら自分の国は自分で守るのは基本だと記しましたが、その源は自分の身は自分で守らないと誰も守ってくれない個としての在り様と全く同じです。
このコロナウイルス騒動の後世界はどう変わるのか、まだ出口は見えませんが、経済至上主義とそれに伴う行き過ぎたグローバリズムが後退して、緑と命を取りもどすような地球再生に努める真に必要なグローバリズムが世界を覆い尽くさないと、そう遠くない数十年後とかの将来、人類は絶滅の途に着くのではないかと思ったりします。
仮に今温暖化ガスの排出をゼロにしたとしても、これまでに排出されたガスでもはや手遅れ的に温暖化は止められないそうですが、何百年何千年かかろうと地球の再生に努めないと、終焉が加速的に早くなるだけです。
地球にはこれまで5回氷河期があって、誕生した命の種の98%は絶滅しているそうですが、何億年とかの時間軸で見ると、誕生した命の種は全て絶滅種とも言えそうで、人間とて例外であるはずはないし、加えて自滅種であるとさえ言えそうです。
地球という命を育む星の自然環境を破壊し尽くした人類が地上から消え、何千年か何万年という時間の経過と共に、地球は再生するのだろうとは思います。地球に浄化作用があると言うのは、人間には及びもつかないような時間軸と共にあるということです。浄化と共に再生した地球は、その度に別の命の種に変わるはずです。そうではなくて、人類がこの地球上にこの先少しでも長く存在したいなら、自ら破壊し続けてきた地球の自然環境の再生に努め、生き残れる可能性を少しでも高めようと努力し続けるのが唯一の道だと思っています。
命の尊さは、生きて在るからではなく、どんな劣悪な環境でも必死で精一杯生きようとするから尊いのだと、もう何度も記してきましたが、今の時代どこまで悪くなるのか将来に不安しか持てなくて、ことに若い人ほどそうなのだろうと思っていますが、命はどんな劣悪な環境でも必死に生きようとする、燃えようとするエネルギーを根源的に秘めている、とだけは伝えておきたいです。
posted by 明石 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年09月25日

販売終了

今年は9月20日で瀬戸ジャイアンツの販売も終わり、本年度作の販売は完了しました。こんなに早く販売終了となったのは初めてですが、7月下旬の大雨長雨で出来損なったり、傷み腐りが広がって、瀬戸ジャイアンツが半減したためです。で、半減したことを嘆くのかと言えば、周りの他の生産者と比べて、半分でも20度近い特上の味で出せたことを幸いとすべきと思えるほどで、全国的に見ても多分夏の果物は量的にも質的にもひどいものだったろうことは、容易に想像できます。
我が園でも「天山」は全房裂けてしまい一房も助かりませんでした。水加減が非常に難しい裂果種で、あれほど雨が降り続けばそうなるだろうことは分かっていましたが、裂けっぷりは完璧の一言です。「天山」は道楽で作っているので出来なくてもそう困りませんが、それよりも今年は一番手二番手のピオーネ、クイーンニーナがほぼ無傷でだせたことが大きかったと思っています。7月下旬降り続く雨の中でピオーネの糖度が17度に達しているのには、何でこの天気でここまで糖度が乗るのか、自分事ながら今更ながら驚いたり感心したりです。クイーンニーナは梅雨が明けて晴れが続くと着色糖度とも急ピッチの仕上がりで、本格販売2年目の今年、食されたお客さんのほとんどを感動させたようで、ピオーネ、瀬戸ジャイアンツと並ぶか或いはそれ以上の我が園の大黒柱的品種となったようです。
8月7日に今年初めて市場へ出荷したのですが、どこにもブドウが置かれてないので聞いてみると、今日はブドウの出荷が無いとのこと。盆前に入るこの時期にブドウが出荷されないなど、私の30年以上の経験からしても初めてのことで、唖然としてしまいました。それほどに7月中下旬の大雨長雨に傷められたのかと自分以外の生産者産地に目を向けると、全国的に南から北へと中央線に沿うように大雨に見舞われていて、出荷量が例年の半分以下であるだろうことは容易に想像できました。私は瀬戸ジャイアンツが半減した程度だから軽症だったようです。
9月になって気象庁が8月の気温の統計を発表しましたが、私の住む高松市で、8月の日々最高気温の平均は35度5分と初めて35度を越え、一日の平均気温も30度5分と最高記録を更新したとのことです。懸念していた40度越えはなかったのですが、ここまでくると何時だってあり得ることになったのは間違いなさそうです。
毎年激しくなるカリフォルニア山林火災、南米或いはオーストラリア等の森林火災の映像を見ていると、温暖化どころか地球は灼熱化して焦土と化すような地獄絵図が描かれて深い溜息が出ます。
posted by 明石 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年07月27日

独立国家の基本(自分の国は自分で守る)

中国が尖閣諸島とその領海を自国の領土領海として、いよいよ本格的に実行支配しようとする新たな段階に入り始めたようです。NHKニュースでは辛うじてちらっと流していましたが、ヤフーニュースで「尖閣諸島での中国海警局の武装公船などの侵入は続いており、7月22日で100日連続となり、連日尖閣周辺に居座って、日本の漁船を追い回して写真を撮って、国内外に違法漁船の取り締まりとしてアピールしている。」とあります。そのうち日本漁船を拿捕するか尖閣に上陸するかしそうですが、日本はどうするのだろうか、遺憾に思いますとか強く抗議しますとか相変わらずの声明だけで、されるがままに領土領海を奪われてゆくのだろうかと思うと、心底こんな情けない国は嫌だと熱が出そうです。
私は以前中国は尖閣だけでなくいずれ沖縄も自国の領土だと言い出すだろうとブログに記したことがありますが、それから半年もしないうちに、沖縄はもともと自国の領土だと中国は言っていたのでやはりと思いました。尖閣だろうと竹島だろうと何処だろうと、自国の領土領海を守らないような国なら、中国だけでなく周辺国は、言いがかりをつけて実行支配すれば日本の領土領海は取り放題となり、いずれ日本と言う国は消滅します。
世論調査などを見ると未だに日本の国民のほぼ半数は、憲法9条の改正に反対であるようですが、国を守ることは戦争に繋がるから、国は守らないという論理が成り立つのか、それこそ平和ボケの発想そのものだと、いい加減うんざりしています。
米国の軍事力の傘の下で経済だけで駆けてきた我が国は、未だに自国の防衛では米国に依存度か高く、故に米国追従の姿勢は、国際社会に米国が発言する前から米国に賛同しますと言ってるような、とても独立国とは言えない恥ずかしいものです。マッカーサーの戦後統治なら敗戦国だからやむを得ないところですが、75年も経ってこの米国への依存追従度は、とっくに度を越えたものになっているはずで、滑稽なのは肝心の米国が、トランプ大統領なら同盟安全保障も金次第となって、日本が依存してきたかっての米国から、オバマ大統領あたりから明確に様変わりしていることです。
何かあったら米国が守ってくれるなど日本側の虫のいい妄想で、米国は米国の利益に叶わないことはしないし、日本が戦わないのに日本を守るために米国の若者(兵士)がなぜ命を賭けなければならないのかと言うのは、至極もっともだと納得します。多分世界の国々は米国追従一辺倒の日本に飽き飽きしているはずで、故に国際社会での日本の存在感は当然極めて薄く、更に米国の見方さえも、独立国としてやるべきことをやったうえでないと話になりませんよと言われると、万事休す、独立国になりなさいよと言うことに尽きます。
私は憲法9条は米国の占領政策の最たるもので、日本は暫く武器も兵も持たず丸裸にして置こうということであったのだと思っています。玉砕も厭わない日本軍がそうさせたのだと思いますが、朝鮮戦争が勃発するとその舌の根も乾かぬうちに、日本に軍隊を作って応援させようとしたことからも明らかで、憲法9条をそのままに自衛隊を誕生させました。一時丸裸で大人しくさせておけ程度だから、意にも介さずそんなことができたのだと思います。マッカーサーも戦後75年も経ってまだ日本があの9条を保持していることを知り得たなら、開いた口が塞がらないほど驚いたと思います。
憲法9条を条文通り、軍隊を持たず、武装せず、交戦を放棄して、人間世界を一つの国として本当に生きていけるのかと考えると、その一国平和主義は神の領域に足を踏み入れようとするようなものに思えます。
今回のコロナ騒動でも一皮むけば世界は如何に自己本位であるかをまざまざ示しましたが、世界はそれほど平和的でも友好的でもなく、相も変わらず力本位の弱肉強食で推移しているようです。そのなかでも際立っているのが中国で、他国の領土領海にいきなり押し入って、南沙諸島の浅瀬を埋め立てて軍事基地を作り、ここは昔から中国の領土領海だと暴挙を続けています。今尖閣諸島を中国の領土領海にすべく動きを本格化し始めましたが、中国が太平洋に出るためには重要な地点で、南沙諸島を埋め立てて軍事基地を作ったような暴挙がこれから加速しそうです。この中国相手に話し合いで解決しましょうとか、国際司法の場で解決しましょうとか、そんなことが通じるかどうか考える前に答えが出ます。中国のみならず韓国とか周辺国とでも、領土領海問題が話し合いで平和的に解決されることは、無いと言っていいほど稀なのが実情のようです。
戦後米国の占領統治で、日本は米国の思惑をはるかに越えるほど米国の都合のいいように洗脳教育されて、75年も根無し草的に漂ってアメーバー的拡散の末、今日本総体としての精神性は崩壊しているようだと思っています。
自分の国は自分で守る、その覚悟を持つかどうかで日本は目覚め生まれ変われると、私は強くそう思います。国と言うことに抵抗があれば、自分の親兄弟家族、親族、恋人、友人、、、、、、、一人一人の関係の総和を国と考えると、大切な人を守るためなら命を賭けられます。相手が誰であろうと、自国の領土領海人民を侵そうとするものに、国を守る覚悟の強さ深さ本気度を示さないと、この国は崩壊していずれ消えてゆくのだろうと思っています。             
posted by 明石 at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年07月16日

常に天災と向き合って(農業)

7月6日から14日までの9日間、12日以外は毎日雨、この間の総雨量が300ミリ近くになっていて、香川県では珍しいと言いたいところですが、近年お天気の偏りが極端になってきているようで、8月9月のどこかで雨が降り続くということが毎年のようにあります。10年前までなら8月9月は瀬戸内地方は雨が降らないと思って間違いなかったのですが、9月にやたらと雨が多く完熟期の瀬戸ジャイアンツにカビが生えて腐り全滅しそうになった7年ほど前から、降りだすと長雨になる8月9月を何度も経験しています。
あまりに雨が降り続くとブドウも裂果して腐ったり、また灰カビ病、うどんこ病、べと病とか病気も多発したりします。病気の予防はしていても、あまりに病気が発生しやすい状況が続くと、予防効果も殆どなくなります。ブドウは袋掛けが終わると仕上がりはお天気の託すことになるのですが、これほど雨が続くとお天気は仕上げの役には就かず、傷みを増やすばかりの悪役でしかなくなります。農業だけでなく林業漁業の第一次産業は、自然の中に身を置いての営為であるが故に、常にお天気との格闘を強いられて大小様々な天災と向き合っていますが、普通人は災害に会って初めて自然の猛威に人間がいかに無力であるかを知ります。第一次産業従事者は常に天災と向き合っている、そこがちょっと違うところかなとも思えます。
14日昼ネットで10日間予報を見ると傘マークが2日ほどに消えていて、これで梅雨も明けるかもとほっとししていたら、翌15日昼になるとまた傘マークがびっしり復活、これでは梅雨明けはまだまだそうで溜息もでます。3か所ある園地を見回して、やはり3番手9月出荷の瀬戸ジャイアンツが傷みが出始めて心配です。夜蛾に吸われた粒が天気が良ければその粒だけが腐るのですが、雨が続いて高湿度だとその粒にカビが生えて房全体に広がって腐ります。今まさにその腐りが広がり始めているという状況です。10日ほど前に袋掛けが終わったのですが、今日から袋を外して1房ずつチエック腐ったり傷んだりした粒を取り除きます、10日後にまた袋から出すというのは気分的に疲れます。これまで瀬戸ジャイアンツが長雨で傷んだのは完熟期頃のことで、今のように食べられないような未熟期はそんなに傷みがでないだろうと思っていたのですが、どうもそうではないらしく、粒の肥大期後半になると同じように傷みが出ることを今学習しているさなかです。皮ごとたべられるほどの薄皮は果肉がむき出しになっていると考えれば、何でカビが生えやすいとかがより分かりやすくなります。
前記のブログで7月20日頃からピオーネから順次出荷できますと書きましたが、1番手の園地ではピオーネ、ゴルビー、クイーンニーナとも糖度的には17度に達していそうです。今でも出せなくはありませんが、もう少し酸抜けが進めば更に甘さが強くなります。この天気でよくここまで仕上がってきているものだと誇らしくもあります。あと天山はこれだけ雨が降り続くと裂果がひどく既に駄目になっています。ともかく梅雨明けを待っています。梅雨明け後1週間晴れれば19〜20度の糖度は例年です。
posted by 明石 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年07月05日

7月20日頃から

瀬戸ジャイアンツの袋掛けも終わり今年のブドウ作りも一段落、時間との競争からも解放されてやれやれです。毎年のことながら6月は末に近づくほど目が血走ってくるほどに忙しいです。摘粒房づくりはブドウ作り最大の難所で、粒の肥大が進み過ぎると房ががちがちに固まって作業が困難になるため、そうなる前にこの工程を終えるようひたすら時間との競争となります。
今年は2月3月の春先から気温が高く、毛虫や蛾など害虫の発生が早くしかも大量で、厄介な年となっています。最後の瀬戸ジャイアンツの摘粒が例年に比べて遅れた訳ではないのですが、今年は夜蛾の出現が早くその食害にあってやたら腐った粒が目立ち、その分余計に焦らされました。
今年は確かブドウ作り32年目のはずですが、毎年同じ時期に同じことをしているようでありながら、1年1年は微妙にどこか違っていて、新たな年の1作は未知な領域に置かれ続けます。私はブドウ作りのことを言ってるのですが、それとても常に今を生きることに何の変りもなく、32年目は32作目32回目の未知なる本年度作ということです。過去となった31年間の経験の積み重ねそれに基づく知識は得ているにしても、何があるか分からないという意味で、今取り組んでいる1作は常に未知の領域に置かれています。
今年の夏は太平洋高気圧の張り出しが強く、加えてチベット高気圧と2つの高気圧に覆われるため、8月9月は猛暑続きとの予報が出されていますが、35度ではなく40度を越えるような気温が至る所で頻発するような何か嫌な予感がします。丁度10年前に37〜38度が10日ほど続いたような記憶がありますが、温暖化はその後更に進んでいるし、そろそろそんな熱波ゾーンも十分あり得るのだろうと思っています。
毎年6月頃になるとブドウの記事を開く読者が多くなることは良く分かっています。梅雨が明けて日照が戻ってくるのが何時頃になるかということはありますが、今年も例年通り7月20頃からピオーネから順次出荷できるだろうとは思っています。とりあえずお知らせしときます。
posted by 明石 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年06月21日

50年後の20歳

このブログは10年前ブドウの販売をアシストするためブドウの生育日誌として始めたのですが、近年はブドウに関しては殆ど書かなくなっています。ブドウ作りの記事を楽しみにしていた読者もあって、あまりに書かなくなるとブドウ作りを止めたのかなと思われたりもするようですが、私の日々は相変わらずブドウとミカン果樹栽培主体で、昼間の時間はそのためにあるということに変わりはありません。書かなくなったのは生育状況や作業状況を最初の1年で1サイクルを詳しく書くと、同じことを毎年繰り返して書く意味がないからです。その年年のお天気次第で多少の違いが生じたり、出荷できないほどに不出来な時も稀にはありますが、30年間を通して見ると早い遅いと言っても1週間程度でそれほど大きな違いはないようです。問題はこれからで、これ以上気温が上昇して夏場に40度以上が頻発すると、不作の領域に入るのだろうと懸念しています。
私の一つの願いは、生涯を現役の生産者のまま終わりたい、ということです。山の中腹斜面にあるブドウとミカンの園地が、私の日々の生活の中心と言える場所です。私は他の何でもなく、ただの一人の農業人であり、最期までそれを全うしたいと願っています。ここをしっかり確保していれば、ブログや小説に何を書こうが書くということは、それは付録です。

最近大学一回生の頃友人だった倉成氏からメールが入り、その後電話で話もしました。何年か前いたずら心的にネットで「明石国広」を検索したら、まさかの本人が出てきてびっくりしたそうです。今回はそれ以来2度目ですが、電話で1時間余り話しましたが、声は学生の頃と全く同じで、あれから50年も経つのに何でこれほど同じ声なのだろうと、逆に疑問に思ってしまうほどです。余談になりますが、カラオケを5年ほど続けているうちに、人それぞれの声は顔形外見以上に個性が強いのではないかと思うようになりました。声紋判定は多分人相判定より本人識別は確実なのではと思ったりします。
話を戻しますが、倉成氏は私が作家になっているはずだと思っていたようで、そうでないことの方が疑問であったようです。「順番がちょっと違っただけだよ。最初にやろうとしたことが最後になった。あのまま続けていれば多分30歳までにはこの世から消えていたと思う。そんな自分を封印して、生身の燃焼を積み重ねて30年後とか、その時まだ書きたい欲求があるのであれば拾い上げて行こうと思いを定めた。60歳になってブドウの直販のためホームページを立ち上げて、販売アシストのためブドウの生育日誌をブログに書くことにした。それが始まりだ。」と手短に説明したのですが、「やはり私の知っている明石君のままだ。」と倉成氏は感嘆まじりというか嬉しそうだった。そう言えば彼の知っている私は、学生の時も今も、書いている時ばかりの私なのだと思うと、50年と言う時間を隔てているのにその偶然性に少し驚きます。
言い方が適当なのかどうか分かりませんが、一人の人間として命の生身の燃焼が何より大切と方向転換したのは、今振り返っても驚くほどの正解だったと思います。この先何を書いたとしても、それは私にとっておまけか付録なのだと思っています。私の日々の生活の中心はブドウやミカンの園地です。ここが充実した燃焼の場でないと、私もただのつまらない老人になるだけです。
posted by 明石 at 00:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年05月31日

「幕末から大東亜戦争までの日本史」私見

ネットで「大東亜戦争」を検索してWikipediaを読むと、GHQの占領政策の一つに、1948年12月8日以降、GHQ民間情報局作成の大平洋戦史「真実なき軍国日本の崩壊」に満州事変から太平洋戦争まで、日本の侵略と残虐行為を記述した戦史が各新聞に掲載され、その単行本は10万部完売され、GHQの指導で学校教育にも奨励され定着した、とあります。これが多分戦後の米国の洗脳教育であったはずで、日本軍をともかく悪者としての意識を日本人に植え付けるためです。
日本は先の大戦を「大東亜戦争」と称していたのですが、GHQはその呼称を禁止したとあります。植民地支配の当事国英仏蘭にとって「大東亜戦争」は植民地戦争の意味合いを帯びるから何とも都合が悪いからです。日本軍をとことん悪者にして自分たちがそれを懲らしめた正義にしておかないと、あの戦争で何百年も続いた植民地支配の蓋が空いて収拾がつかなくなることを何よりも恐れていたからだろうと思います。仮にGHQがでっち上げるような極悪の日本軍だったとしても、350年以上もインドネシアを植民地にして搾取を続けたオランダの悪さは、比べることができないほどに凄いものです。
日本は1941年に、欧米諸国によるアジアの植民地支配を開放し大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す、「大東亜戦争」と閣議決定したとありますが、私が思うにこの主張を世界へもっと強く明確に届けられていれば、日本対米英蘭等連合国の戦いは、日本対欧米植民地支配という戦いに意味合いを変えて、嫌でもアジアでの欧米植民地支配を表に引きずり出すことになったはずです。戦争に負ければ生かすも殺すも相手国次第と観念していますが、日本をとことん悪者にして、欧米の植民地支配を不問にして、戦後処理を終わらせ何事もなかったような顔をしている様を思うと、本当の悪はどっちなのだと言いたくもなります。昨年インドが英国に植民地支配の賠償請求をしましたが、あって当然のことだし植民地支配された他の国々も何かのきっかけで賠償請求を言い出すこともあるのだろうと思っています。戦争が終わってまだ百年にはなりませんが、植民地支配は何百年も続いたのだから、根の深さが違うだろうと思っているからです。
幕末から「大東亜戦争」に至るまで、欧米の植民地にならない、そのためにどうするのかを、動機と主題として日本の歩みは一貫しています。明治維新以降の性急な国づくりも、欧米の植民地にならないためには、欧米に負けない国力と軍備兵力が必要で、その思いに沿ってなされています。一つの思い一つの意識を深く抱えてそれを実現するため歩みを進める、幕末から「大東亜戦争」までの日本史は欧米の植民地支配との戦いの歴史であったのではないか私は思っています。だからそういう目で見ると「大東亜戦争」は必然であったとも言えそうですが、最近研究が進んであの戦争は米国が日本にそうせざるを得ないように仕掛けた戦争であったというのが定説になりつつあるようです。
日本は戦争に敗れましたが植民地支配されていたアジアの国々は独立し、アジアでの欧米の植民地支配は終わりました。例えばインドネシア進行、日本軍は350年もインドネシアを植民地支配しているオランダ軍を追い出し、再びオランダが戻ってきたとき戦えるようにインドネシアに軍隊を作り軍事訓練をして武器まで供与したとあります。事実日本軍が居なくなってからオランダは戻ってきたのですが、インドネシアは戦って二度と植民地にはならなかったとあります。日本軍は米国などに意図的に極悪にされていますが、私はインドネシアに見せたような姿が本当の日本軍なのだろうとおもっています。進行した先々の国々で独立を促すような教育や訓練を施した、同じような話があちこちに残されているようです。
大東亜共栄圏構想を実現するために、韓国や中国でも国造りに国家予算の大きな部分を拠出しているし、他のアジア諸国でも教育や国づくりに力を注いでいます。強いて言えば大東亜共栄圏構想も日本が突出しすぎて実現しようとしたため、過激な独裁者か暴君のように見られることもあったのではと思うし、どこの国へ行っても抵抗勢力には軍隊なのだから容赦しないということから、恐怖心を与えていた面はあったと思います。
幕末から「大東亜戦争」までの日本史私見で、世界史に燦然と輝いていいはずの二つの出来事があります。一つは白人至上主義の人種差別撤廃を訴えて実現させたこと、もう一つはアジアでの欧米の植民地支配を終わらせたことです。敗戦国であるが故にその栄光は与えられませんが、世界の著名な歴史家の面々も日本の功績はほぼ認めているようです。1985年日本の傷痍軍人協会代表団がオランダを訪問した時、アムステルダム市長サンティンが市長主催の親善パーティで、「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西洋人の方です。日本は敗戦したが東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むことを止めその誇りを取り戻すべきです。」と歓迎挨拶をしたと記されています。心に響くので最後に引用しときます。

posted by 明石 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年05月25日

反日種族主義

昨年韓国で「反日種族主義」がベストセラーになったとの報道がありましたが、その続編が今年出されてそれもベストセラーになったとか、正直驚き続けています。2013年に出された「帝国の慰安婦」の著者朴裕河氏(世宗大学教授)は名誉棄損の罪で在宅起訴され、出版は事実上差し止められたそうで、韓国はそういう国なのだろうと思っていたからです。私は日本語訳書も読んではいませんが、ネット上の見出しをつまみ食い的に見ると、慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題等、韓国人が激しく主張するような事実はなかったと述べられています。少し前ならこれを書いた教授たちは社会的に抹殺されるはずですが、何とそれを読んだ52%の人達が最高評価の「5」を、42%が「1」の最低評価だったそうです。元ソウル大学の李教授は現政権が露骨な反日政策を取るのを見るに見かねて、この本を編集し出版しなければならないと決意するようになったと述べていますが、反日感情ででっち上げられた日本支配の定説を事実に基づいて悉く覆したようです。嘘を正してより正しい認識を持たないと本当の意味で未来が開けないことをよく分かっていたのだと思いますが、氏は韓国社会が成熟してきて若い世代から、より広い視野で国際的な感覚を持って歴史を理解し隣国を理解しようとする現象が広がってきていると述べていますが、そう簡単に韓国が変わるはずがないと思いながらも、一筋の光が差したような感があるのも確かです。
韓国に差す一筋の光が、日本は何時になったら先の大戦ときちんと正対するのだろうとの思いを強めます。戦後日本は米国の統治下に置かれ、徹底的に米国目線、米国流価値観を押し付けられて、旧日本軍に繋がるもろもろは悪しきものとして悉く断ち切られたようです。憲法9条は占領政策の最たるもので、日本は兵も武器も持たず交戦権も放棄して、暫く丸裸でおとなしくさせておけということであったのは明らかです。戦争に敗れて米国の占領統治政策だから抗うことはしませんが、米国の敵だった日本軍は日本人の敵の悪しきものであるかのように次第に洗脳されていったのだと思います。
私は昭和24年生まれだから戦争を知らないまさに戦後っ子ですが、太平洋戦争や日本軍についての歴史教科書の記述は、なるべく触れないでおこう的な素っ気ないものだったと記憶しています。忌まわしい過去、悪しきものとしてご先祖様に蓋をするようにして、日本人は日本人としての魂を失くしていったのだと思っています。心を失くした日本人は米国に従属してただひたすら生活のために働いて、経済大国になったりもしたのですが、戦後ずっと未だに米国の顔色を窺い続けて独立国の体をなしていません。この国の政治は国民の意向より米国政府の意向を重要視するのかとあきれ果てることが多々ありましたが、各国首脳クラスの国際会議で米国の主張に賛同する時の首脳は、米国が発言する前から賛同しているようなもので、それが未だに続いているのだから見ていて恥ずかしいし、やはり属国なのだと思ってしまいます。
憲法を改正して独立国になろうよと言うと、右翼を見るような目で「戦争をする国になるんだ」と仰る。それほど日本人は主体性なしの米国依存症なのかと思ってしまいますが、残念ながら米国はとっくに安全保障同盟国との関係より自国の都合優先国に変わっています。トランプ大統領だと同盟関係も金次第ということで、そろそろ良い潮時になってきているようです。
昔今の国連が国際連盟だった時、外交官牧野伸顕が国際連盟で白人至上主義の人種差別撤廃の演説をしたそうです。そんな立派なご先祖様たちに全国民一緒に墓参りでもしたらどうなんだと思います。一部とは言え韓国の人達が日本人以上にご先祖様を評価したら、日本の自国歴史認識は今度は本当に笑いものになるくらいでは済まなくなります。
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2020年05月14日

潜に進行する食糧危機

国連の3機関FAO(国連食糧農業機関)、WHO(世界保健機関)、WTO(世界貿易機関)が既に警告を出していますが、コロナ騒動の影で世界に食糧危機が潜に進行し始めているようです。世界の各国門戸を閉ざして人の往き来も物流も止まっていることが原因ですが、何時まで続くか終息が見通せないコロナ騒動に際し、食糧輸出国も食糧を非常時用に蓄えておきたい思惑もあって輸出量を減らしているようです。日本のように食糧自給率の低い国はこの問題が深刻化すれば死活問題となりますが、今回は生産量に問題があるのではなく輸出入等物流が停止していることが主な原因なので打開はできそうですが、コロナ騒動があまりに長く続くと人手不足とか生産そのものに躓く恐れがあり、そうなると食糧危機は本当に起こってしまいます。現に米国ではメキシコ人が雇用されて農業を支えていたのですが、今はメキシコに帰ってコロナ感染防止のため国境を逆封鎖しているとのことです。米国内の失業者は1500万を越えてもう2000万に届く頃かと思いますが、農業は肉体労働なので敬遠されがちで、このまま人手不足で米国農業が大幅な生産量ダウンでもしたら、世界はそのまま食糧危機となります。
日本もいい加減に目を覚まさないと、これからは世界の食糧事情も厳しくなる一方のようです。他国に食糧を依存してたらこの先国民を餓死させるようなことが何時突発的に起きるかもしれないということを本気で考えないと、これから先の時代に待ち構えているのは温暖化灼熱地獄かも知れないし、それもそれほど遠い先の話ではなく、オーストラリアとか米国でも既に地球上のあちこちで気温40度をはるかに越えるような灼熱地獄は発生しています。
10年程前の夏最高気温37〜38度が2週間続いたことがありますが、ブドウの葉の状態を見ていると限界ぎりぎりで、40度になればもう持たないだろうことを痛感していました。あの時から40度を越えれば今の作物は殆ど駄目だろうと思っていましたが、確か一昨年あたりから国連がやっとそのことを言いだしたようです。日々お天気を相手に生産の現場で格闘している生産者は、多分学者や研究者より早く何が起こっているのかを感知しているはずです。私は少し前第一次産業が再び主役に返り咲く時が来るとブログに記しましたが、それは温暖化が更に進み、気候変動の挙句農産物の生産が困難になるような状況下を想定してのことです。食糧が無ければ人類は生きていけないのだから農業での食糧生産は死に物狂いの血眼になるはずだし、少しでも環境を良くするためには植林とか地球に緑を増やすことに努めなければならず、私が言いたいのは、人類が生き残りを賭ける場所は農業、林業、漁業等第一次産業だということを肝に銘じておく必要があるということです。
食糧は経済力があれば世界のどこからでも調達できるなどと何時までも考えていたら、今のコロナ騒動でも2年以上続くとなると世界の食糧事情は危機的になりそうだのに、自国で必要な食糧は自国で生産するような国を目指さないと、これからの厳しい時代を生き残るのは困難だと思っています。
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