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2020年10月22日

母の死

9月9日「救急の日」に救急車で病院に運ばれ、緊急入院した母が10月15日に亡くなりました。14日朝病院から電話があり、血圧が下がったから病院に来てほしいとの連絡があって、昼過ぎに行き10日振りに母を見たのですが、更にやせ細ってここまで骨と皮だけになれるのか生きているのが不思議なほどで、正視できず目を背けてしまいます。「何も心配せんでええよ、楽にしてたらええ。」と声をかけるとこくんと頷いて、反応を示したことに驚いたのですが、目は開かずとも意識はあったようです。
この日家に帰っても、自分の言葉とそれに頷いた母の姿が尾を引いたまま寝床に入ったのですが、寝入った直後に病院から電話で、直ぐ来てくださいと言ってる、と奥さんに起こされました。14日から15日に日付が変わった直後で、病室に入ると担当医が丁寧に説明された後、機械を止めて、もう一度母を見て、時計を見て1時10分ですと告げて深々と頭を下げました。「天寿を全うした立派な生涯です。ありがとうございました。」と私と妻も心からの感謝を込めて深々一礼を返しました。
葬儀屋に行く途中、「あんたの言葉に安心してお母さんは逝ったようね。」と奥さんが言うと、自分の中で尾を引いていたのも同じ思いだったので、やはりそうなのかとぼんやり思い返していました。
母は大正15年生まれの94歳です。死亡診断書に老衰と記されましたが、ひとつの命をそこまで存分に生き尽くした立派な生涯でした。告別式の読経の間、母の遺影を見ていると、断片的に浮かんでくる思い出を辿っていました。母から聞かされた話で一番強く私の記憶に刻み込まれているのは、母の幼少の頃の話です。
両親が離婚して母は幼い時に祖母の家に身を寄せていたのですが、次男(母の父が長男)が嫁をもらうときに邪魔になるので里子に出されたそうです。どれくらいの間里子で居たのかは聞きませんでしたが、次男のお嫁さんを見たい一心で、里家を出て夜の山道を歩いて帰ったそうです。おばあさんが激怒して追い返そうとした時、お嫁さんがこんな小さな子をそんな可哀そうな目にあわしたくない、この子は自分の子として私が育てると言ってくれたそうです。母は実の親に捨てられて叔父夫婦に育てられたのですが、置かれた境遇にめげない母の天真爛漫さと叔父夫婦の暖かさを思うと、泣けてきたのを覚えています。
私と父の激しい確執も長い間母を苦しめ続けたことは未だに申し訳なくもありますが、でも家庭崩壊までには至らなかったし、親子といえども個性と生き方も違うので、一つ屋根の下での軋轢はやむを得ない面もあるはずです。乱暴な言い方かも知れませんが、どんなに激しく衝突しても、一つの個性一つの生き方としてお互いを容認できる日が来れば、それでいいのではないかと思ったりします。
母の大らかで楽天的な気質は、実はそれこそ母の強さの源だったように思えます。悲観的になれば暗くなる一方というような境遇にめげず、自分と言う一つの命を、天寿を全うと言えるほどに生き抜き生き尽くすことができたのも、その持ち前の気質に拠るところが大きかったのではと思えます。父と結婚した直後胃下垂とかの持病で、医者に24歳までは生きられないと言われたとよく笑い話にしていましたが、それ以上はないような立派な生涯だったと思います。告別式の後の挨拶で、拍手で送りだす方がふさわしいと思わず言ってしまいましたが、お悔やみよりはお祝いの方がふさわしいとも思っていたのです。
母の死から一週間も経ち、父を見送り、母を見送って、長男としての務めも果たしたかなと思うとほっとしたというか楽になって、もう何時死んだっていいくらいの自由感を得ています。
70路に入ると周りを見回しても、親世代は探さなければ居ないほど少なくなっていて、世代交代を正味実感します。私に信心は無いのですが、死ねば仏になるというか、不思議なことに死者は、その一番輝いている姿で人々の記憶の中に刻み込まれているようです。正視したくない枯れ果ててミイラのような母の姿とか、死んだその瞬間から記憶を消すかのように忘れる一方で、仏になったのか、今は一番輝いていた頃の記憶のみの残像となりつつあります。私の望むような一番良い姿でこれからは居てくれるのかな、神様になったようだねと言うと、母は得意顔でにっこり笑い返しているようです。

posted by 明石 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年10月10日

コロナ騒動後の世界

緊急事態宣言を解除して経済活動再開を本格化させた時から、いずれコロナ感染者は桁違いに増えるだろうと思っていたのですが、そうなることもなく感染者数は横ばいから下がり気味で、日本は米国やブラジルのようにはならないのだろうとほぼ確信できるようになってきました。全国どこでもマスクを着用していない通行人が殆ど居ないだろうほどに、日本人は全体的に見れば申し合わせたように同じような、つまりは秩序だった行動をするという特質が大きいのではないかと思ったりします。先のブログで独立国なら自分の国は自分で守るのは基本だと記しましたが、その源は自分の身は自分で守らないと誰も守ってくれない個としての在り様と全く同じです。
このコロナウイルス騒動の後世界はどう変わるのか、まだ出口は見えませんが、経済至上主義とそれに伴う行き過ぎたグローバリズムが後退して、緑と命を取りもどすような地球再生に努める真に必要なグローバリズムが世界を覆い尽くさないと、そう遠くない数十年後とかの将来、人類は絶滅の途に着くのではないかと思ったりします。
仮に今温暖化ガスの排出をゼロにしたとしても、これまでに排出されたガスでもはや手遅れ的に温暖化は止められないそうですが、何百年何千年かかろうと地球の再生に努めないと、終焉が加速的に早くなるだけです。
地球にはこれまで5回氷河期があって、誕生した命の種の98%は絶滅しているそうですが、何億年とかの時間軸で見ると、誕生した命の種は全て絶滅種とも言えそうで、人間とて例外であるはずはないし、加えて自滅種であるとさえ言えそうです。
地球という命を育む星の自然環境を破壊し尽くした人類が地上から消え、何千年か何万年という時間の経過と共に、地球は再生するのだろうとは思います。地球に浄化作用があると言うのは、人間には及びもつかないような時間軸と共にあるということです。浄化と共に再生した地球は、その度に別の命の種に変わるはずです。そうではなくて、人類がこの地球上にこの先少しでも長く存在したいなら、自ら破壊し続けてきた地球の自然環境の再生に努め、生き残れる可能性を少しでも高めようと努力し続けるのが唯一の道だと思っています。
命の尊さは、生きて在るからではなく、どんな劣悪な環境でも必死で精一杯生きようとするから尊いのだと、もう何度も記してきましたが、今の時代どこまで悪くなるのか将来に不安しか持てなくて、ことに若い人ほどそうなのだろうと思っていますが、命はどんな劣悪な環境でも必死に生きようとする、燃えようとするエネルギーを根源的に秘めている、とだけは伝えておきたいです。
posted by 明石 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年09月25日

販売終了

今年は9月20日で瀬戸ジャイアンツの販売も終わり、本年度作の販売は完了しました。こんなに早く販売終了となったのは初めてですが、7月下旬の大雨長雨で出来損なったり、傷み腐りが広がって、瀬戸ジャイアンツが半減したためです。で、半減したことを嘆くのかと言えば、周りの他の生産者と比べて、半分でも20度近い特上の味で出せたことを幸いとすべきと思えるほどで、全国的に見ても多分夏の果物は量的にも質的にもひどいものだったろうことは、容易に想像できます。
我が園でも「天山」は全房裂けてしまい一房も助かりませんでした。水加減が非常に難しい裂果種で、あれほど雨が降り続けばそうなるだろうことは分かっていましたが、裂けっぷりは完璧の一言です。「天山」は道楽で作っているので出来なくてもそう困りませんが、それよりも今年は一番手二番手のピオーネ、クイーンニーナがほぼ無傷でだせたことが大きかったと思っています。7月下旬降り続く雨の中でピオーネの糖度が17度に達しているのには、何でこの天気でここまで糖度が乗るのか、自分事ながら今更ながら驚いたり感心したりです。クイーンニーナは梅雨が明けて晴れが続くと着色糖度とも急ピッチの仕上がりで、本格販売2年目の今年、食されたお客さんのほとんどを感動させたようで、ピオーネ、瀬戸ジャイアンツと並ぶか或いはそれ以上の我が園の大黒柱的品種となったようです。
8月7日に今年初めて市場へ出荷したのですが、どこにもブドウが置かれてないので聞いてみると、今日はブドウの出荷が無いとのこと。盆前に入るこの時期にブドウが出荷されないなど、私の30年以上の経験からしても初めてのことで、唖然としてしまいました。それほどに7月中下旬の大雨長雨に傷められたのかと自分以外の生産者産地に目を向けると、全国的に南から北へと中央線に沿うように大雨に見舞われていて、出荷量が例年の半分以下であるだろうことは容易に想像できました。私は瀬戸ジャイアンツが半減した程度だから軽症だったようです。
9月になって気象庁が8月の気温の統計を発表しましたが、私の住む高松市で、8月の日々最高気温の平均は35度5分と初めて35度を越え、一日の平均気温も30度5分と最高記録を更新したとのことです。懸念していた40度越えはなかったのですが、ここまでくると何時だってあり得ることになったのは間違いなさそうです。
毎年激しくなるカリフォルニア山林火災、南米或いはオーストラリア等の森林火災の映像を見ていると、温暖化どころか地球は灼熱化して焦土と化すような地獄絵図が描かれて深い溜息が出ます。
posted by 明石 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年07月27日

独立国家の基本(自分の国は自分で守る)

中国が尖閣諸島とその領海を自国の領土領海として、いよいよ本格的に実行支配しようとする新たな段階に入り始めたようです。NHKニュースでは辛うじてちらっと流していましたが、ヤフーニュースで「尖閣諸島での中国海警局の武装公船などの侵入は続いており、7月22日で100日連続となり、連日尖閣周辺に居座って、日本の漁船を追い回して写真を撮って、国内外に違法漁船の取り締まりとしてアピールしている。」とあります。そのうち日本漁船を拿捕するか尖閣に上陸するかしそうですが、日本はどうするのだろうか、遺憾に思いますとか強く抗議しますとか相変わらずの声明だけで、されるがままに領土領海を奪われてゆくのだろうかと思うと、心底こんな情けない国は嫌だと熱が出そうです。
私は以前中国は尖閣だけでなくいずれ沖縄も自国の領土だと言い出すだろうとブログに記したことがありますが、それから半年もしないうちに、沖縄はもともと自国の領土だと中国は言っていたのでやはりと思いました。尖閣だろうと竹島だろうと何処だろうと、自国の領土領海を守らないような国なら、中国だけでなく周辺国は、言いがかりをつけて実行支配すれば日本の領土領海は取り放題となり、いずれ日本と言う国は消滅します。
世論調査などを見ると未だに日本の国民のほぼ半数は、憲法9条の改正に反対であるようですが、国を守ることは戦争に繋がるから、国は守らないという論理が成り立つのか、それこそ平和ボケの発想そのものだと、いい加減うんざりしています。
米国の軍事力の傘の下で経済だけで駆けてきた我が国は、未だに自国の防衛では米国に依存度か高く、故に米国追従の姿勢は、国際社会に米国が発言する前から米国に賛同しますと言ってるような、とても独立国とは言えない恥ずかしいものです。マッカーサーの戦後統治なら敗戦国だからやむを得ないところですが、75年も経ってこの米国への依存追従度は、とっくに度を越えたものになっているはずで、滑稽なのは肝心の米国が、トランプ大統領なら同盟安全保障も金次第となって、日本が依存してきたかっての米国から、オバマ大統領あたりから明確に様変わりしていることです。
何かあったら米国が守ってくれるなど日本側の虫のいい妄想で、米国は米国の利益に叶わないことはしないし、日本が戦わないのに日本を守るために米国の若者(兵士)がなぜ命を賭けなければならないのかと言うのは、至極もっともだと納得します。多分世界の国々は米国追従一辺倒の日本に飽き飽きしているはずで、故に国際社会での日本の存在感は当然極めて薄く、更に米国の見方さえも、独立国としてやるべきことをやったうえでないと話になりませんよと言われると、万事休す、独立国になりなさいよと言うことに尽きます。
私は憲法9条は米国の占領政策の最たるもので、日本は暫く武器も兵も持たず丸裸にして置こうということであったのだと思っています。玉砕も厭わない日本軍がそうさせたのだと思いますが、朝鮮戦争が勃発するとその舌の根も乾かぬうちに、日本に軍隊を作って応援させようとしたことからも明らかで、憲法9条をそのままに自衛隊を誕生させました。一時丸裸で大人しくさせておけ程度だから、意にも介さずそんなことができたのだと思います。マッカーサーも戦後75年も経ってまだ日本があの9条を保持していることを知り得たなら、開いた口が塞がらないほど驚いたと思います。
憲法9条を条文通り、軍隊を持たず、武装せず、交戦を放棄して、人間世界を一つの国として本当に生きていけるのかと考えると、その一国平和主義は神の領域に足を踏み入れようとするようなものに思えます。
今回のコロナ騒動でも一皮むけば世界は如何に自己本位であるかをまざまざ示しましたが、世界はそれほど平和的でも友好的でもなく、相も変わらず力本位の弱肉強食で推移しているようです。そのなかでも際立っているのが中国で、他国の領土領海にいきなり押し入って、南沙諸島の浅瀬を埋め立てて軍事基地を作り、ここは昔から中国の領土領海だと暴挙を続けています。今尖閣諸島を中国の領土領海にすべく動きを本格化し始めましたが、中国が太平洋に出るためには重要な地点で、南沙諸島を埋め立てて軍事基地を作ったような暴挙がこれから加速しそうです。この中国相手に話し合いで解決しましょうとか、国際司法の場で解決しましょうとか、そんなことが通じるかどうか考える前に答えが出ます。中国のみならず韓国とか周辺国とでも、領土領海問題が話し合いで平和的に解決されることは、無いと言っていいほど稀なのが実情のようです。
戦後米国の占領統治で、日本は米国の思惑をはるかに越えるほど米国の都合のいいように洗脳教育されて、75年も根無し草的に漂ってアメーバー的拡散の末、今日本総体としての精神性は崩壊しているようだと思っています。
自分の国は自分で守る、その覚悟を持つかどうかで日本は目覚め生まれ変われると、私は強くそう思います。国と言うことに抵抗があれば、自分の親兄弟家族、親族、恋人、友人、、、、、、、一人一人の関係の総和を国と考えると、大切な人を守るためなら命を賭けられます。相手が誰であろうと、自国の領土領海人民を侵そうとするものに、国を守る覚悟の強さ深さ本気度を示さないと、この国は崩壊していずれ消えてゆくのだろうと思っています。             
posted by 明石 at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年07月16日

常に天災と向き合って(農業)

7月6日から14日までの9日間、12日以外は毎日雨、この間の総雨量が300ミリ近くになっていて、香川県では珍しいと言いたいところですが、近年お天気の偏りが極端になってきているようで、8月9月のどこかで雨が降り続くということが毎年のようにあります。10年前までなら8月9月は瀬戸内地方は雨が降らないと思って間違いなかったのですが、9月にやたらと雨が多く完熟期の瀬戸ジャイアンツにカビが生えて腐り全滅しそうになった7年ほど前から、降りだすと長雨になる8月9月を何度も経験しています。
あまりに雨が降り続くとブドウも裂果して腐ったり、また灰カビ病、うどんこ病、べと病とか病気も多発したりします。病気の予防はしていても、あまりに病気が発生しやすい状況が続くと、予防効果も殆どなくなります。ブドウは袋掛けが終わると仕上がりはお天気の託すことになるのですが、これほど雨が続くとお天気は仕上げの役には就かず、傷みを増やすばかりの悪役でしかなくなります。農業だけでなく林業漁業の第一次産業は、自然の中に身を置いての営為であるが故に、常にお天気との格闘を強いられて大小様々な天災と向き合っていますが、普通人は災害に会って初めて自然の猛威に人間がいかに無力であるかを知ります。第一次産業従事者は常に天災と向き合っている、そこがちょっと違うところかなとも思えます。
14日昼ネットで10日間予報を見ると傘マークが2日ほどに消えていて、これで梅雨も明けるかもとほっとししていたら、翌15日昼になるとまた傘マークがびっしり復活、これでは梅雨明けはまだまだそうで溜息もでます。3か所ある園地を見回して、やはり3番手9月出荷の瀬戸ジャイアンツが傷みが出始めて心配です。夜蛾に吸われた粒が天気が良ければその粒だけが腐るのですが、雨が続いて高湿度だとその粒にカビが生えて房全体に広がって腐ります。今まさにその腐りが広がり始めているという状況です。10日ほど前に袋掛けが終わったのですが、今日から袋を外して1房ずつチエック腐ったり傷んだりした粒を取り除きます、10日後にまた袋から出すというのは気分的に疲れます。これまで瀬戸ジャイアンツが長雨で傷んだのは完熟期頃のことで、今のように食べられないような未熟期はそんなに傷みがでないだろうと思っていたのですが、どうもそうではないらしく、粒の肥大期後半になると同じように傷みが出ることを今学習しているさなかです。皮ごとたべられるほどの薄皮は果肉がむき出しになっていると考えれば、何でカビが生えやすいとかがより分かりやすくなります。
前記のブログで7月20日頃からピオーネから順次出荷できますと書きましたが、1番手の園地ではピオーネ、ゴルビー、クイーンニーナとも糖度的には17度に達していそうです。今でも出せなくはありませんが、もう少し酸抜けが進めば更に甘さが強くなります。この天気でよくここまで仕上がってきているものだと誇らしくもあります。あと天山はこれだけ雨が降り続くと裂果がひどく既に駄目になっています。ともかく梅雨明けを待っています。梅雨明け後1週間晴れれば19〜20度の糖度は例年です。
posted by 明石 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年07月05日

7月20日頃から

瀬戸ジャイアンツの袋掛けも終わり今年のブドウ作りも一段落、時間との競争からも解放されてやれやれです。毎年のことながら6月は末に近づくほど目が血走ってくるほどに忙しいです。摘粒房づくりはブドウ作り最大の難所で、粒の肥大が進み過ぎると房ががちがちに固まって作業が困難になるため、そうなる前にこの工程を終えるようひたすら時間との競争となります。
今年は2月3月の春先から気温が高く、毛虫や蛾など害虫の発生が早くしかも大量で、厄介な年となっています。最後の瀬戸ジャイアンツの摘粒が例年に比べて遅れた訳ではないのですが、今年は夜蛾の出現が早くその食害にあってやたら腐った粒が目立ち、その分余計に焦らされました。
今年は確かブドウ作り32年目のはずですが、毎年同じ時期に同じことをしているようでありながら、1年1年は微妙にどこか違っていて、新たな年の1作は未知な領域に置かれ続けます。私はブドウ作りのことを言ってるのですが、それとても常に今を生きることに何の変りもなく、32年目は32作目32回目の未知なる本年度作ということです。過去となった31年間の経験の積み重ねそれに基づく知識は得ているにしても、何があるか分からないという意味で、今取り組んでいる1作は常に未知の領域に置かれています。
今年の夏は太平洋高気圧の張り出しが強く、加えてチベット高気圧と2つの高気圧に覆われるため、8月9月は猛暑続きとの予報が出されていますが、35度ではなく40度を越えるような気温が至る所で頻発するような何か嫌な予感がします。丁度10年前に37〜38度が10日ほど続いたような記憶がありますが、温暖化はその後更に進んでいるし、そろそろそんな熱波ゾーンも十分あり得るのだろうと思っています。
毎年6月頃になるとブドウの記事を開く読者が多くなることは良く分かっています。梅雨が明けて日照が戻ってくるのが何時頃になるかということはありますが、今年も例年通り7月20頃からピオーネから順次出荷できるだろうとは思っています。とりあえずお知らせしときます。
posted by 明石 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年06月21日

50年後の20歳

このブログは10年前ブドウの販売をアシストするためブドウの生育日誌として始めたのですが、近年はブドウに関しては殆ど書かなくなっています。ブドウ作りの記事を楽しみにしていた読者もあって、あまりに書かなくなるとブドウ作りを止めたのかなと思われたりもするようですが、私の日々は相変わらずブドウとミカン果樹栽培主体で、昼間の時間はそのためにあるということに変わりはありません。書かなくなったのは生育状況や作業状況を最初の1年で1サイクルを詳しく書くと、同じことを毎年繰り返して書く意味がないからです。その年年のお天気次第で多少の違いが生じたり、出荷できないほどに不出来な時も稀にはありますが、30年間を通して見ると早い遅いと言っても1週間程度でそれほど大きな違いはないようです。問題はこれからで、これ以上気温が上昇して夏場に40度以上が頻発すると、不作の領域に入るのだろうと懸念しています。
私の一つの願いは、生涯を現役の生産者のまま終わりたい、ということです。山の中腹斜面にあるブドウとミカンの園地が、私の日々の生活の中心と言える場所です。私は他の何でもなく、ただの一人の農業人であり、最期までそれを全うしたいと願っています。ここをしっかり確保していれば、ブログや小説に何を書こうが書くということは、それは付録です。

最近大学一回生の頃友人だった倉成氏からメールが入り、その後電話で話もしました。何年か前いたずら心的にネットで「明石国広」を検索したら、まさかの本人が出てきてびっくりしたそうです。今回はそれ以来2度目ですが、電話で1時間余り話しましたが、声は学生の頃と全く同じで、あれから50年も経つのに何でこれほど同じ声なのだろうと、逆に疑問に思ってしまうほどです。余談になりますが、カラオケを5年ほど続けているうちに、人それぞれの声は顔形外見以上に個性が強いのではないかと思うようになりました。声紋判定は多分人相判定より本人識別は確実なのではと思ったりします。
話を戻しますが、倉成氏は私が作家になっているはずだと思っていたようで、そうでないことの方が疑問であったようです。「順番がちょっと違っただけだよ。最初にやろうとしたことが最後になった。あのまま続けていれば多分30歳までにはこの世から消えていたと思う。そんな自分を封印して、生身の燃焼を積み重ねて30年後とか、その時まだ書きたい欲求があるのであれば拾い上げて行こうと思いを定めた。60歳になってブドウの直販のためホームページを立ち上げて、販売アシストのためブドウの生育日誌をブログに書くことにした。それが始まりだ。」と手短に説明したのですが、「やはり私の知っている明石君のままだ。」と倉成氏は感嘆まじりというか嬉しそうだった。そう言えば彼の知っている私は、学生の時も今も、書いている時ばかりの私なのだと思うと、50年と言う時間を隔てているのにその偶然性に少し驚きます。
言い方が適当なのかどうか分かりませんが、一人の人間として命の生身の燃焼が何より大切と方向転換したのは、今振り返っても驚くほどの正解だったと思います。この先何を書いたとしても、それは私にとっておまけか付録なのだと思っています。私の日々の生活の中心はブドウやミカンの園地です。ここが充実した燃焼の場でないと、私もただのつまらない老人になるだけです。
posted by 明石 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年05月31日

「幕末から大東亜戦争までの日本史」私見

ネットで「大東亜戦争」を検索してWikipediaを読むと、GHQの占領政策の一つに、1948年12月8日以降、GHQ民間情報局作成の大平洋戦史「真実なき軍国日本の崩壊」に満州事変から太平洋戦争まで、日本の侵略と残虐行為を記述した戦史が各新聞に掲載され、その単行本は10万部完売され、GHQの指導で学校教育にも奨励され定着した、とあります。これが多分戦後の米国の洗脳教育であったはずで、日本軍をともかく悪者としての意識を日本人に植え付けるためです。
日本は先の大戦を「大東亜戦争」と称していたのですが、GHQはその呼称を禁止したとあります。植民地支配の当事国英仏蘭にとって「大東亜戦争」は植民地戦争の意味合いを帯びるから何とも都合が悪いからです。日本軍をとことん悪者にして自分たちがそれを懲らしめた正義にしておかないと、あの戦争で何百年も続いた植民地支配の蓋が空いて収拾がつかなくなることを何よりも恐れていたからだろうと思います。仮にGHQがでっち上げるような極悪の日本軍だったとしても、350年以上もインドネシアを植民地にして搾取を続けたオランダの悪さは、比べることができないほどに凄いものです。
日本は1941年に、欧米諸国によるアジアの植民地支配を開放し大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す、「大東亜戦争」と閣議決定したとありますが、私が思うにこの主張を世界へもっと強く明確に届けられていれば、日本対米英蘭等連合国の戦いは、日本対欧米植民地支配という戦いに意味合いを変えて、嫌でもアジアでの欧米植民地支配を表に引きずり出すことになったはずです。戦争に負ければ生かすも殺すも相手国次第と観念していますが、日本をとことん悪者にして、欧米の植民地支配を不問にして、戦後処理を終わらせ何事もなかったような顔をしている様を思うと、本当の悪はどっちなのだと言いたくもなります。昨年インドが英国に植民地支配の賠償請求をしましたが、あって当然のことだし植民地支配された他の国々も何かのきっかけで賠償請求を言い出すこともあるのだろうと思っています。戦争が終わってまだ百年にはなりませんが、植民地支配は何百年も続いたのだから、根の深さが違うだろうと思っているからです。
幕末から「大東亜戦争」に至るまで、欧米の植民地にならない、そのためにどうするのかを、動機と主題として日本の歩みは一貫しています。明治維新以降の性急な国づくりも、欧米の植民地にならないためには、欧米に負けない国力と軍備兵力が必要で、その思いに沿ってなされています。一つの思い一つの意識を深く抱えてそれを実現するため歩みを進める、幕末から「大東亜戦争」までの日本史は欧米の植民地支配との戦いの歴史であったのではないか私は思っています。だからそういう目で見ると「大東亜戦争」は必然であったとも言えそうですが、最近研究が進んであの戦争は米国が日本にそうせざるを得ないように仕掛けた戦争であったというのが定説になりつつあるようです。
日本は戦争に敗れましたが植民地支配されていたアジアの国々は独立し、アジアでの欧米の植民地支配は終わりました。例えばインドネシア進行、日本軍は350年もインドネシアを植民地支配しているオランダ軍を追い出し、再びオランダが戻ってきたとき戦えるようにインドネシアに軍隊を作り軍事訓練をして武器まで供与したとあります。事実日本軍が居なくなってからオランダは戻ってきたのですが、インドネシアは戦って二度と植民地にはならなかったとあります。日本軍は米国などに意図的に極悪にされていますが、私はインドネシアに見せたような姿が本当の日本軍なのだろうとおもっています。進行した先々の国々で独立を促すような教育や訓練を施した、同じような話があちこちに残されているようです。
大東亜共栄圏構想を実現するために、韓国や中国でも国造りに国家予算の大きな部分を拠出しているし、他のアジア諸国でも教育や国づくりに力を注いでいます。強いて言えば大東亜共栄圏構想も日本が突出しすぎて実現しようとしたため、過激な独裁者か暴君のように見られることもあったのではと思うし、どこの国へ行っても抵抗勢力には軍隊なのだから容赦しないということから、恐怖心を与えていた面はあったと思います。
幕末から「大東亜戦争」までの日本史私見で、世界史に燦然と輝いていいはずの二つの出来事があります。一つは白人至上主義の人種差別撤廃を訴えて実現させたこと、もう一つはアジアでの欧米の植民地支配を終わらせたことです。敗戦国であるが故にその栄光は与えられませんが、世界の著名な歴史家の面々も日本の功績はほぼ認めているようです。1985年日本の傷痍軍人協会代表団がオランダを訪問した時、アムステルダム市長サンティンが市長主催の親善パーティで、「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西洋人の方です。日本は敗戦したが東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むことを止めその誇りを取り戻すべきです。」と歓迎挨拶をしたと記されています。心に響くので最後に引用しときます。

posted by 明石 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年05月25日

反日種族主義

昨年韓国で「反日種族主義」がベストセラーになったとの報道がありましたが、その続編が今年出されてそれもベストセラーになったとか、正直驚き続けています。2013年に出された「帝国の慰安婦」の著者朴裕河氏(世宗大学教授)は名誉棄損の罪で在宅起訴され、出版は事実上差し止められたそうで、韓国はそういう国なのだろうと思っていたからです。私は日本語訳書も読んではいませんが、ネット上の見出しをつまみ食い的に見ると、慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題等、韓国人が激しく主張するような事実はなかったと述べられています。少し前ならこれを書いた教授たちは社会的に抹殺されるはずですが、何とそれを読んだ52%の人達が最高評価の「5」を、42%が「1」の最低評価だったそうです。元ソウル大学の李教授は現政権が露骨な反日政策を取るのを見るに見かねて、この本を編集し出版しなければならないと決意するようになったと述べていますが、反日感情ででっち上げられた日本支配の定説を事実に基づいて悉く覆したようです。嘘を正してより正しい認識を持たないと本当の意味で未来が開けないことをよく分かっていたのだと思いますが、氏は韓国社会が成熟してきて若い世代から、より広い視野で国際的な感覚を持って歴史を理解し隣国を理解しようとする現象が広がってきていると述べていますが、そう簡単に韓国が変わるはずがないと思いながらも、一筋の光が差したような感があるのも確かです。
韓国に差す一筋の光が、日本は何時になったら先の大戦ときちんと正対するのだろうとの思いを強めます。戦後日本は米国の統治下に置かれ、徹底的に米国目線、米国流価値観を押し付けられて、旧日本軍に繋がるもろもろは悪しきものとして悉く断ち切られたようです。憲法9条は占領政策の最たるもので、日本は兵も武器も持たず交戦権も放棄して、暫く丸裸でおとなしくさせておけということであったのは明らかです。戦争に敗れて米国の占領統治政策だから抗うことはしませんが、米国の敵だった日本軍は日本人の敵の悪しきものであるかのように次第に洗脳されていったのだと思います。
私は昭和24年生まれだから戦争を知らないまさに戦後っ子ですが、太平洋戦争や日本軍についての歴史教科書の記述は、なるべく触れないでおこう的な素っ気ないものだったと記憶しています。忌まわしい過去、悪しきものとしてご先祖様に蓋をするようにして、日本人は日本人としての魂を失くしていったのだと思っています。心を失くした日本人は米国に従属してただひたすら生活のために働いて、経済大国になったりもしたのですが、戦後ずっと未だに米国の顔色を窺い続けて独立国の体をなしていません。この国の政治は国民の意向より米国政府の意向を重要視するのかとあきれ果てることが多々ありましたが、各国首脳クラスの国際会議で米国の主張に賛同する時の首脳は、米国が発言する前から賛同しているようなもので、それが未だに続いているのだから見ていて恥ずかしいし、やはり属国なのだと思ってしまいます。
憲法を改正して独立国になろうよと言うと、右翼を見るような目で「戦争をする国になるんだ」と仰る。それほど日本人は主体性なしの米国依存症なのかと思ってしまいますが、残念ながら米国はとっくに安全保障同盟国との関係より自国の都合優先国に変わっています。トランプ大統領だと同盟関係も金次第ということで、そろそろ良い潮時になってきているようです。
昔今の国連が国際連盟だった時、外交官牧野伸顕が国際連盟で白人至上主義の人種差別撤廃の演説をしたそうです。そんな立派なご先祖様たちに全国民一緒に墓参りでもしたらどうなんだと思います。一部とは言え韓国の人達が日本人以上にご先祖様を評価したら、日本の自国歴史認識は今度は本当に笑いものになるくらいでは済まなくなります。
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2020年05月14日

潜に進行する食糧危機

国連の3機関FAO(国連食糧農業機関)、WHO(世界保健機関)、WTO(世界貿易機関)が既に警告を出していますが、コロナ騒動の影で世界に食糧危機が潜に進行し始めているようです。世界の各国門戸を閉ざして人の往き来も物流も止まっていることが原因ですが、何時まで続くか終息が見通せないコロナ騒動に際し、食糧輸出国も食糧を非常時用に蓄えておきたい思惑もあって輸出量を減らしているようです。日本のように食糧自給率の低い国はこの問題が深刻化すれば死活問題となりますが、今回は生産量に問題があるのではなく輸出入等物流が停止していることが主な原因なので打開はできそうですが、コロナ騒動があまりに長く続くと人手不足とか生産そのものに躓く恐れがあり、そうなると食糧危機は本当に起こってしまいます。現に米国ではメキシコ人が雇用されて農業を支えていたのですが、今はメキシコに帰ってコロナ感染防止のため国境を逆封鎖しているとのことです。米国内の失業者は1500万を越えてもう2000万に届く頃かと思いますが、農業は肉体労働なので敬遠されがちで、このまま人手不足で米国農業が大幅な生産量ダウンでもしたら、世界はそのまま食糧危機となります。
日本もいい加減に目を覚まさないと、これからは世界の食糧事情も厳しくなる一方のようです。他国に食糧を依存してたらこの先国民を餓死させるようなことが何時突発的に起きるかもしれないということを本気で考えないと、これから先の時代に待ち構えているのは温暖化灼熱地獄かも知れないし、それもそれほど遠い先の話ではなく、オーストラリアとか米国でも既に地球上のあちこちで気温40度をはるかに越えるような灼熱地獄は発生しています。
10年程前の夏最高気温37〜38度が2週間続いたことがありますが、ブドウの葉の状態を見ていると限界ぎりぎりで、40度になればもう持たないだろうことを痛感していました。あの時から40度を越えれば今の作物は殆ど駄目だろうと思っていましたが、確か一昨年あたりから国連がやっとそのことを言いだしたようです。日々お天気を相手に生産の現場で格闘している生産者は、多分学者や研究者より早く何が起こっているのかを感知しているはずです。私は少し前第一次産業が再び主役に返り咲く時が来るとブログに記しましたが、それは温暖化が更に進み、気候変動の挙句農産物の生産が困難になるような状況下を想定してのことです。食糧が無ければ人類は生きていけないのだから農業での食糧生産は死に物狂いの血眼になるはずだし、少しでも環境を良くするためには植林とか地球に緑を増やすことに努めなければならず、私が言いたいのは、人類が生き残りを賭ける場所は農業、林業、漁業等第一次産業だということを肝に銘じておく必要があるということです。
食糧は経済力があれば世界のどこからでも調達できるなどと何時までも考えていたら、今のコロナ騒動でも2年以上続くとなると世界の食糧事情は危機的になりそうだのに、自国で必要な食糧は自国で生産するような国を目指さないと、これからの厳しい時代を生き残るのは困難だと思っています。
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2020年04月29日

前記「コロナ渦」続き

既に世界中に拡散してしまったコロナウイルス感染は確かな治療薬と予防薬ができない限り終息はしないだろうことは分かってはいますが、私が懸念するのはそれまでに最短でも1年は要するとしたら、今のままだととんでもなく膨大な数の失業者が出るのではないかということです。帝国データバンクでも1年続けば倒産する企業は60万社になると予測しているし、無収入になれば3か月しか持たない企業が大半だとしています。コロナ騒動が終息するのを待って企業活動を本格的に再開しようと思っても、それが1年後だと大半の企業が倒産してしまっていて、どこもかしこも失業者で溢れかえって国は崩壊します。中小零細企業で3か月、大企業でも1年となると持つかどうか分からないというのであれば、6月をメドに企業活動を再開させる必要があるのだと思います。ウイルス感染拡大のリスクはありますが、ウイルスとの戦争だと言うなら企業は生き残りを賭けて細心の注意と準備をして活動を再開しないと、例えば1年後とかコロナ騒動が終息してもその時国民が生きていく術を失くしていたら、結局ウイルスとの戦争に負けたことになるのだと思います。
私は今回のコロナ騒動で政治と行政には改めて危機対応能力の無さを痛感しました。もしこのコロナ騒動の挙句膨大な数の失業者とその家族が生活苦に陥って、万とかいう単位の餓死者や自殺者を出したなら、国会議員は与野党関係なく全員刑務所に入るべきだと思います。国民の命を守れないのなら何のための国会議員であるのか、その責めは当然負わなばならないし、その覚悟が無いのなら政治家などになるなと言いたいです。
行政も危機対応とか緊急対応とかは全く機能不全です。対市民の仕事はできるだけ分かりやすく単純化すればいいものを、何だってあれほど細かく煩雑にしかも分かりにくくするのだろうと思って見てきましたが、お役所仕事の一つの特徴は自分の仕事を担保することを優先してきたようだということです。例えば市民が提出する書類にしても、専門用語とかの意味とか馴染みがないと初めてでは書けないようなものが多いです。市民が書けないようにして置いて自分の仕事を担保するというやり方をして、今となって仕事が煩雑過ぎて職員不足で手が回らないことだらけというのは、自分勝手が過ぎるのではと言いたくもなります。ODAとか日本は途上国に海外援助資金をあれほど出しながら、それを活用する国々にあまり喜ばれなかったそうですが、役人根性というか活用にあたり小うるさい注文が有難みを消していたとか。今の行政の機能不全も本質的には同じで、資格審査に手間取り過ぎたりした挙句実効性が著しくそがれたり、手遅れになったり、役人である前に一人の市民として自分たちの仕事を見直す必要があるのだと思っています。
時代はこれから過激に変わりそうです。人類は破滅か生き方を変えるかというほど大きな転換期に入りつつあるのだと思っています。既に過去の気象データーは何の役にも立たないほど気象環境は変化し続けていて、20年後とか30年後に地球はどんな姿であるのだろうか全く見通せません。私は今回のコロナウイルス騒動は、気候変動によってもたらされる何十年後かの地球を先取りして、その災悪をシュミレーションしているようだとどこかでそう感じています。旧態依然のままでは生きていけない時代に入りつつあるのだから、危機対応能力とか緊急対応能力を高めないとこれからは厳しくなるばかりです。
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2020年04月26日

コロナ渦

コロナウイルス感染の緊急事態宣言が連休明けの5月6日までとして出されていますが、現状からすると終息の見通しは全くないばかりか、検査数が少なくて感染の実態がまるで掴めず、感染力の強さからすると或いはとんでもない数の感染者が全国的に広がっているのではないかと思ったりもします。厚生省も抗体検査を行って感染者の割合を調べることを決めたようですが、米国ニューヨークでは3000人の抗体検査を行った結果14%が感染していたと驚くような結果が出ています。日本でどんな結果が出るのか分かりませんが、1%でも120万人だから10%だと1200万人となりモグラたたきか鼬ごっこを繰り返すことになって終息は難しくなるようです。既に世界中にコロナウイルスは拡散してしまっているから、確かな治療薬と予防薬ができない限り世界的に終息に向かわないだろうことも、このウイルス感染は第何波まであるのだろうと思ってしまいます。
他者との接触を避けてなるべく自宅に居るようにするのも限界があります。3か月程度5月いっぱいくらいが限界なのではと私は思っていますが、例えば失業して3か月以上無収入が続けば生活が困難になったりして、コロナか餓死か的な選択が突きつけられたりします。昨日のニュースでコロナ騒動が始まって以来3700人余りが全国で解雇されたとのことですが、一体何の数なのだと思ってしまいます。全国の観光産業は殆ど営業停止状態になっているし、飲食店や繁華街の灯も消え、娯楽産業も大半が営業停止中、芸能関係スポーツ関係も活動停止状態等々、どれほど夥しい数の人々が無収入になっているのか、企業を解雇された数だけを失業者とカウントするととんでもない間違いを犯します。個人店主とか小規模事業主は無収入で家賃も払えず経営難、従業員は失業で全国だとどれほどの数に膨れ上がっているのか分かりません。
私は大雑把に言っても今の日本の半分くらいは3か月も収入が途絶えると生活苦に陥るのではないかと思っています。大企業のトヨタでも生産停止しているくらいだから企業とて安泰ではないはずです。今の状態が続くと企業も厳しくなるのは間違いなく、コスト削減スリム化して何とか生き残ろうと、非正規切りから人員整理を始めるはずです。6月になればそれがはっきり見えてくると、何故か私の感ピュータはそう告げています。                                続きます。
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2020年04月12日

パンドラの箱

米国でこの3週間で失業保険申請が1600万件を突破したとの報道がありましたが、世界はコロナ騒動の真っ只中依然拡散一方でその終息は全く見通せません。我が国でも安倍首相が「緊急事態宣言」を出しましたが、その概要は不要不急の外出を控えてなるべく自宅に留まるよう自粛しましょう程度で、法的強制力もなく国の宣言と言えるのか疑問です。あれなら強いお願いにした方が良かったのではないかと思いますが、結局のところはコロナ騒動に対する本気度がその程度でしかなかったと言われても仕方がないはずです。
何が何でも感染源を絶つ強い意志で臨むなら、感染源になりやすい職種職域とかを法的強制力を持って営業停止要請を行うはずですが、それは補償の問題が絡むので避けたかったのだろうと推測すると、何か官僚体制が透けて見えてくるようで嫌な気分になります。
日本で今失業者がどれほどの数になっているのかまだ分かりませんが、トヨタ自動車あたりで生産ラインを止めているくらいだから推して知るべしです。日本の全就業者数は6000万少々で、非正規雇用は38%だから2000万前後にはなるはずで、この大多数が失業者になることを思うと何か冷や汗でも出そうです。非正規雇用は正社員の半分以下の給料で生活は苦しく、失業すれば余力のなさから食べていくことが直ちに困難になります。
バブル崩壊後20年以上続いたデフレスパイラルのなか、ことに就職氷河期と言われた10年ほどの間に、企業は非正規雇用をコスト削減の抜け道として、社会をいびつな構造にしてしまいました。今のような経済界全体が一時営業停止のような非常時、非正規雇用はまさに不況時のコストダウンスリム化のためにあるのだからと真っ先に解雇されるはずです。営利追及を本分とする企業の生態は程度の差こそあれ本質的にブラックなのだと、私の見方はもはや持論のようです、
私は政治の一番大切な仕事は何時如何なる状態においても国民の命を守ることだと思っています。失業して途端に極端な生活苦に追い詰められる非正規雇用とか、仕事が無くなればたちまち死活問題になる個人及び零細企業とか、余力のない処に政治は真っ先に手を差し伸べなければ、とんでもなく多数の命を見殺しにして国は間違いなく崩壊します。どれほど莫大な金額になろうとも国民の命をは守らなければならない、その強い決意が政治には必要なはずです。先の民主党政権があきれ果てるほどあまりにお粗末で、その後の安倍政権を私は評価していたのですが、最近どうも官僚寄りで嫌な気がします。あんな宣言を出すようでは心もとなくもありますが、ここは国民の命を守るのが政治家の一番大切な仕事と腹をくくって決断しないと、安倍政権が終わる程度ではなく、国が終わることになりそうだと危惧します。
コロナウイルスは当初の予想に反して、世界中に拡散してパニックに陥らせている様をみると、さながら現代版「パンドラの箱」になりつつあるようだと感じ始めています。
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2020年03月31日

コロナ騒動の向こうに

コロナウイルスが世界中に拡散して、人の往き来も物流もさながら鎖国状態のように各国門戸を閉ざしています。そんな報道映像を見ながらふと思うのは、これまでの過剰なグローバリズム市場経済を終わらせる良い機会にならないかということです。市場経済は世界を覆い尽くして既に飽和状態になっているし、米国でトランプ氏が自国第一主義を掲げて大統領になった時から、世界の各国も次第に内向き傾向を示すようになり始めて来ましたが、今回のコロナウイルス騒動が更にそれを加速させるのか注視しています。グローバル化が国境を取り払えならコロナウイルスは go home 全く真逆で、先進国で右翼が台頭し出してから始まる先祖返り的自国主義の流れと重なるように見えたりします。
私は過剰なグローバリズム経済には辟易で、世界の各国自国で間に合うことは自給して、無い物不足する物を輸入して、余る物とか特産品を輸出する、ゆるやかな交易に戻したらどうなのだと思ってしまいます。科学や時代がバックできないことは承知していますが、今の時代の延長線上に破滅しか見えないなら、方向転換するしか生きる道はないのだと思います。だから世界が内向き傾向にあるということは、自分を見つめ直すことに繋がるなら、次への移行段階として在り得べき姿とも捉えられます。
ではトランプ大統領の言う自国第一主義が正論かと言うと、自分が一番大切、自国が一番大切という意味ではあまりに当たり前で、わざわざ言うほどのことなのかとなりますが、これが自分さえ良ければ全て良いとなると破壊的暴徒となります。人は幸せになりたいとか豊かになりたいとかの個人的欲求を抱えて社会の中に生きているのだけれど、自分だけが良ければいいでは決して幸せにも豊かにもなれず、社会全体が良くならないと自分も良くならないことにいずれ気付きます。国と国との関係も同じで、自国が良ければ全て良いでは戦争ばかりで、決して幸せにも豊かにもなれません。世界の国々全体が良くならないと自国が良くならないのは多分同じはずです。
経済におけるグローバリズムは独占欲支配欲による経済戦争で、国別個人別でも極論すれば唯一の勝者とそれ以外の圧倒的多数の敗者しか生まない、より資本力の高い者だけが勝ち残る資本主義の構造そのものです。国別個人別でとんでもない格差社会、というより極々一部の超富裕層による富の独占社会では、国としても個人としても誰も幸せにも豊かにもならない、グローバリズムは体のいい口実でしかないようです。
けれど例えば地球環境問題とか気候変動問題とかコロナウイルスのような世界規模の感染症とか、世界が結束して協力協調して対処しなければならない、本当の意味でのグローバリズムは必要です。こちらの側で考えると、全体が良くならないと自分が良くならない、との意味が良く分かると思います。
経済至上主義も資本主義も市場経済も、おそらくもう限界点に達していると思ってます。人類に未来はあるのかと問われると答えることができないほどに、温暖化気候変動とか地球環境の悪化の脅威は年毎に切迫して来るのを覚えます。経済至上主義がどれほど破壊を尽くして地球を傷付け、人類自身をも損なってきたのか、そのツケをこれから払わされることになります。自ら生き方を変えなくても、いずれ変えざるを得ないほどに環境が変わることになりそうですが、生き残れるのなら地球の再生回復に努め、共存共生の理念が骨肉化するような人類に生まれ変わってほしいと、思ったり願ったりします。


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2020年03月21日

温暖化最先鋒 南極大陸

今年2月南極で6日に18、4度、14日に20、75度と二度過去最高温度を更新したとの報道がありましたが、「嘘?」と絶句してしまいました。地球上で温暖化が一番進んでいるのは南極だそうで、この50年間で他の地域の平均気温は0,75度上昇しているのに比べて、南極では3度上昇と4倍も温暖化が進んでいるそうです。その結果この5年間で南極の氷が溶けるスピードがそれまでの3倍になっていることが最近の調査で分かったとされています。
南極の氷が全部溶けるとどれほど海水面が上昇するのかを調べてみると、40m〜70mと幅がありますが60mという説が一番強いようです。60m海面が上昇すると河口に広がる平野部は殆ど海面下に沈み、世界で一体どれだけ平野部が残るのか唖然とします。アフリカ大陸あたりは残りそうですが、熱波に襲われて何も作れなさそうだととどめを刺されています。今のところ南極の氷が全部溶けるとの予測はありませんが、60mも海面が上昇して残った陸地が熱波に襲われて灼熱地獄になったら、逆に氷の無くなった南極大陸くらいしか住めるところはなくなるのではと溜息が出ます。
私が怖く思うのは、温暖化気候変動はこれまでを見ても、学者の予想をはるかに上回って進行が速いということです。それは例えば地中海中のメタンガスが噴出する等の副作用が計算の中に入っていなかったことなどがあるはずで、これからもそんな計算外の結果的に知りうることが多々あるはずだと思えます。
南極大陸に乗っかている氷は平均でも2450mの厚さがあり、それが全部溶けるには何百年も要し、暗に考えられないと言ってるようですが、既に溶ける速度がこの5年で過去の3倍に進み、地球全体の温暖化も火ダルマ的急加速であることを考えると、何百年後かが次第に近い未来に成り代わったりするのではと思ったりします。現在の科学力、人知では計り知れない化学反応のようなことが自然の中で起こったりするのではないかと思ったりします。
それに南極の氷が全部溶けなくても、例えば海面が3m上昇しても東京の海抜0メートル地帯とか致命的に打撃を受ける所は世界の至る所にあるようで、それが10mだと日本の海岸沿いの平野部とかは殆ど海に呑まれることになります。考えたくなくても既にとっくに地球は温暖化気候変動の渦中に入っています。どこに向かうのか、何が起こるのかを注視していないと最低限の備えも出来なくなるだけです。
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2020年03月07日

米国大統領選挙予備選挙

米大統領選の民主党候補指名争いで再出馬のサンダース氏が前回以上の支持を得て、果たして超大国アメリカという国全体を動かすほどの大きなうねりとなるのか、私も興味深く注目しています。サンダース氏は前回ヒラリークリントン氏と指名争いをした時、資本主義陣営の要の米国で社会主義的な候補者は奇異にも見えたのですが、あれから更に学生とか若い層の熱烈な支持を広げてきているようです。
サンダース氏の政策主張を見てみると、「歳出拡大、法人税率の引き上げ、国民皆保険の実現、数兆ドル規模の気候変動対策、学生ローンの債務帳消し、公立大学の無償化、社会保障の拡充、発電産業の国有化、富裕税等々、、、、」特段社会主義的なようにも見受けられないのですが、企業、金融業等の経済界や富裕層には承服しがたい項目もあって、現状では実現困難なことばかりであるようです。サンダース氏は革命だと言ってるようですが、立ち位置を貧困者の側に移すという点ではそうかも知れませんが、あれほど銃による無差別殺傷事件が毎年多発しても一向に銃規制に向かわない岩盤的に頑固な米国社会を変えることが可能だろうかと思ったり、だが貧困者や低所得者が多数派になれば時代は動かざるを得ないのではと思ったりします。
私は資本主義ももう終末期だと思っています。1%の富裕層に富が集中するような社会は格差とかいうレベルではなく、資本主義の必然と言うか富の集中独占社会で、民主主義は建前で飾られているだけで中身は何もないのが実情です。
オバマ前大統領がchangeと訴えて全米にうねりを起こしたのは、希望が持てる社会に変わることを人々は願ったということであるのだろうし、その後ヒラリークリントン氏がトランプ氏に敗れたのも、代表的な既存の政治家では何も変わらないとそっぽを向かれたことであるようです。何でトランプ氏が大統領になれたのか、見慣れた政治家たちとは破天荒と言えるほどに型破りであったのが大きな要因となったようです。型破りであるが故に社会を変えてくれるかも知れないとの期待感があったはずです。
だが残念ながらトランプ大統領では企業優遇、富裕層優遇はますます顕著で、生活苦に喘ぐ低所得層に最悪の結果しかもたらさないだろうし、損得勘定むき出しのあまりに自己中心的な姿勢は、これまで世界を牽引してきた米国の栄光と誇りをもう既に十分落としているし、世界のリーダーの座を自ら降りて米国の地位の没落を加速させているだけに見えます。
私は米国国民ではありませんがサンダース米国大統領を見てみたい。資本主義の結末、ほんの1%の富裕層が富を独占するような社会を壊さないと、残り99%の大多数に未来が開けないのは明白です。サンダース氏が実現不可能な政策を列挙していると揶揄されがちですが、生活苦に喘ぐ貧困層が更に増えて多数派になった時、そんな他人事みたいに言っておれるだろうかと思ってしまいます。サンダース氏は自ら民主社会主義者と公言していますが、私の見方は右だろうが左だろうがそんなレッテル分けは関係なしです。今生きているこの社会の不合理不都合を少しでも取り除いて住みやすくするために一歩でも前進する、それだけのことにレッテルは不要です。究極の理想の姿を描いてそういう社会を目指すのではなく、今生きている社会のおかしなところを一つ一つ正して積み上げていくことで、結果的に出来上がった社会が理想的であればベストかなとは思ったりします。後になるほど住みやすいまともな社会になってゆかないのなら、人類の歴史に意味はないことになります。
米国国民も社会が変わることを、それも希望が持てる暮らしやすい社会に変わることを、期待し続けているのは間違いないはずです。社会を変えようとする唯一の候補者サンダース氏は、米国の岩盤保守層や高齢者に受け入れられるのは多分まだ無理だろうと思いますが、私は米国に民主社会主義を自称する大統領が誕生するのを見てみたい。没落の途にあるとは言えいまだ世界最大の超大国にサンダース大統領が誕生すれば、世界は、時代は、激動の途につくのではと思ったりします。
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2020年02月26日

70歳 ?

休眠時7℃以下の低温遭遇が必要時間取れた上での暖冬なのか、芽が少し動いて膨らみそうで、2月にブドウの苗木を植え付けたことは記憶にないのだけれど、昨日12本植え付けました。3月になれば予約注文のミカンの苗木が120本送られてくるので、そちらの方も早くなるかもしれず、仕事は臨機応変にということです。
この冬12月から1月の初旬にかけて、ブドウとミカンの苗木床計800uほど、例によってツルハシと二本鍬で掘り耕しました。重労働なので1日6時間、面積にして40〜50u以上はしないようにしていますが、タバコを止めてまる3年が経過して体調が少し変わってきたようで、以前より息切れしなくなったというか持久力が増したような気がします。このキツイ作業を衰えを計るバロメーターにしているようなところもあるのですが、70歳になって衰えるどころかパワーアップしているような自分に驚いています。
風呂に入るとき鏡に映った上半身を見ても、殆どたるみも無く筋肉で張った体は、70歳でこんなことあるのかなと改めて少し驚いたりもしますが、それ以上にそれくらいは体を使って仕事をしていることは自分ではよく分かっています。昨年11月に大腸癌手術後の定期検診に行った時も、担当医に相変わらず良い体をしていると褒められたのですが、最近は若い人でもあまり体を使わないのでぶよんとした人が多いと聞かされました。
60歳の同窓会で同窓生に会ったとき同じことを感じていたのですが、その後65,70と5年毎に同窓会を重ねて同窓生を見てくると、親世代に比べて老化が少し早いのではないかというような気がします。思うに親世代は人力作業が主体で、私等は機械主体で親世代に比べてはるかに肉体労働が少なくなって、筋肉体力とも高齢になるほどに親世代より劣るようです。それが更に若い世代になるほどに顕著になるから医者の指摘するように、体格はよくなっても体力は脆弱になり続けていることに繋がっているようです。このまま行くと人類は頭ばかりが大きくなって体が退化していく、昔のSF漫画のように奇形化してゆくこともありうるように思えてきます。
私はもともとアナログ系かあるいはそれ以前の原始系に近いのではと思ったりします。38歳で就農してからブドウのハウスを5か所総面積90aを全て一人で作りました。山の南東斜面なのでパイプだけでは持たないので、電話工事の会社で撤去された木柱を払い下げてもらって、それを柱にしてパイプで縦横に組むという構造です。柱はスコップで掘って60pほどには根入れしています。
バブルの末期頃に取り掛かったのですが、金融機関はでたらめな融資合戦で私のところにも来ましたが、業者にハウスの見積もりを取ると傾斜地特殊仕様で平地の倍以上、10a(1000u)あたり1000万円以上になるとのことで、そんなに設備投資するとブドウを収穫するようになるより早く倒産するのは確実で、全部自分でやると決めたのです。取り掛かって10年後までには5か所総面積90aのハウスを作り上げました。あの業者の見積もりからすると軽く1億円を越えているはずです。
次には水槽です。掘るのはユンボで、底打ちは生コンですが、側面はあまりに凸凹で型枠は使えず、止む無しの手練り手塗りのモルタル仕様です。固めに練って3センチほどの厚さにゴム手袋装着で塗り付けるのですが、1日畳2〜3枚程度の面積しか塗れません。夕方塗り終わったところは2時間後くらいに撫でつけに来ないとひび割れだらけになるので、食事後懐中電灯を持ってまた真っ暗な山へ上がってきます。
ハウスを増やすと水槽も増やしてゆき、200トン級が2か所、300トン級が1か所、500トン級が1か所の計4か所作りました。500トンとなるともはや水槽ではなく小さな池です。昔の人が人力手作業でどれほどしんどい目をしたと言っても、同じ手作業で一人でこんな池を作るようなことをやった人がいるだろうかとは今でも思います。
ハウスも水槽も全部自力で一人作業で作り上げたのですが、そんな積み重ねで自ずと鍛えられて少々過酷でも耐えられるような肉体が作られたようです。今もツルハシで苗木床を掘ったり、一輪車でたい肥を押し込んだり、山の斜面での仕事ということで、さほど機械化も文明化もされず昔の人と大差ない仕事ぶりだと思っています。別に鍛えようと思った訳でもなく結果的に鍛えられたのだけど、今になるとここでも現代人に反旗を掲げているようです。先のブログの続き的になりますが、私はあまり病院にも行かないし、薬も日常的には何も飲んでいません。自分がどこまで生きられるのかは神のみぞ知るですが、一つの願いは現役の生産者のまま終わりたいということです。70歳で異次元かというような体力が本物であるのなら、病院漬け薬漬けとは無縁な生涯現役最前線を証明して見せてほしいと、自分に願っていたりするのです。
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2020年02月14日

とんでもなく増え続ける医療費

先日「クローズアップ現代」を見てたら、国民一人当たりの年間医療費が33万9千円、国民総額が43兆円になったとのことで、口あんぐり呆然としてしまいました。年齢別だと85歳以上は100万円を越えていて、70歳で62万円でそこから急上昇しています。医学の進歩で寿命100年時代の到来と最近よく言われますが、果たして本当にそうなるのか私は疑わしく思っています。それは科学とか文明が発達するほどに、人間が肉体から脆弱になってきているからです。活力が低下すると抵抗力が乏しくなって、病気や故障けがをし易く、つまりは生命力が弱くなります。今全国の病院は高齢者で溢れかえっているはずですが、仮に寿命100歳時代が到来する時が来るとしても、80歳を越えて中毒患者のように病院漬け薬漬けでは、100歳の有難みも薄らいでしまいます。
国の税収が60兆円なのに、43兆円まで膨らんだ医療費は高齢者の増加とともに今後とも増え続ける見通しで、そうなると今の医療保険制度はパンクしてしまいます。健康保険は地方税なのでどうやって医療費を抑えるか地方も四苦八苦、毎日10種類以上とか多くの薬を飲む人に薬剤師のチエックが入ると2〜3割は減らせるとか、糖尿病、高血圧とか生活慣習病は食療法等生活慣習を改善して薬依存を減らすとかですが、本当の問題は人間が脆弱化していることであるはずです、
「ぽつんと一軒家」は時々見ますが、人が自然の中で暮らす原型みたいなところが素晴らしいと感じる瞬間が折々あります。登場してくる高齢者の人達も能うる限り自給自足に努め、病院とか薬とかに依存度は低そうで、しかも強そうに見えるほど元気そうです。あの番組が人気があるのはノスタルジーを呼び起こすからなのだろうと思ったりします。
あれほど極端な形ではなくても自給型農業は健康促進からも本気で考えてみる値打ちはあります。現在日本の農地は廃棄地、放棄地が激増中のはずで、過疎になるほどに売り手ばかりで買い手がないというのが実情のようです。一反(1000u)4〜5万円でも売れないとの話はよく聞きますが、農地法を改正してでも農地を手に入れ易くしないと、一歩都市部を出ると地方は荒れ放題で手が付けられなくなります。
温暖化気候変動がどんな結果をもたらすか行き着く先は分かりませんが、食の問題は今後世界でどれほどの餓死者が出るのだろうかというほど深刻になるのは必至だと私は思っています。買おうが借りようが自分の農地を確保して、週末農業とか今から備えた方がいいですよと言いたいです。
農作業で多少でも筋肉労働をすれば、その積み重ねで脆弱な肉体が改善されて活性が高まり、医者や薬に依存しなくてもいいような高齢者になる可能性が高まります。種を蒔いたり苗木を植え付けたりして植物と向き合い育てることは、生命の相互交換作用的な癒しや喜びが得られ、認知症とか精神障害を遠ざけるような効果もあります。
地方は過疎化が加速的で、都会からの移住者を今全国的にあの手この手で募っています。空き家が増える一方でその有効利用で住居提供サービス等テレビの映像によく流れています。70歳近くになってからでも自給型健康志向の農業は可能ですが、若いころから多少でも農業に馴染んでおくと心理的にも肉体的にも移行が楽なはずです。私の近所にも退職後自家用野菜を作り始めてすっかりハマってしまった人が居ます。誰しもがそうだとは思いませんが、野菜だろうと花だろうと初めて作ってハマってしまう人は多いようです。はらはらどきどきしながら育っていくのを見てると、初めての新鮮な感動の連続で、それでハマるようです。今農業で生計を立てるのは末期的に苦しいですが、本来農業は食、人が生きるのに一番大切な業種です。今の時代が遠からず行き詰まった時、農林漁業の第一次産業は再び主役に返り咲くはずだと、私はそう思っています。
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2020年01月30日

店頭価格 戻しました

ホームページの店頭価格を2013年より海外交渉価格にしていましたが、海外と交渉することももう無さそうだから、元の国内販売価格に戻しました。くそ高い店頭価格で国内販売に支障があることは予想していましたが、商談となると海外のバイヤーさんは私のホームページの販売価格をつぶさに見ていて、何故海外価格は国内価格に比べてこれほど高いのですかと、私は国内の市場価格では食っていけなくて海外市場に活路を探すのだから倍くらいでないと意味がないと本音で答えるのですが、ぼったくりを見るような目で見られます。本気で海外市場に活路を求めようとしていたから、ホームページの店頭価格を海外交渉価格に変えて、それまでの国内販売価格は会員価格として会員にならないと開示されないようにしました。苦肉の策ですが海外のバイヤーさんにぼったくりだと思われたくないので、国内販売に支障が出てもやむなしの覚悟の上です。
4〜5年の間に香港、中国、シンガポール、UAE,サウジアラビアのバイヤーさんと直接間接に商談する機会を得て、サンプルを送って好評価を得ることもあったのですが、手続きと輸送面でつまづいて結局実現しませんでした。単独で海外へとなると言葉から始まる障壁は、よほどの意志と情熱がないと越えるのはむつかしく、私のような面倒くさがり屋には無理でした。
ブドウは既に最盛期の半分程度に規模縮小していて、あと10年作れるかどうか分かりません。70〜80キロはあろうかと思えるビニールの100メートル巻きを持ち運べなくなった時が、ブドウを止める時だとそう決めています。その時を見据えて今年もミカンの苗木を120本3月に植え付けます。ブドウからミカン農家への移行準備も来年度の苗木植え付けでほぼ終えられそうです。
海外交渉価格を取り下げてもとの国内販売価格が再び店頭に出ていますが、これは最初から変わらない価格です。もともとコストから見積もって必要最低価格として設定しているのですが、生産資材が10年で値上がりしてはいますが下がり続ける市場価格の動向もあって、価格の変更はなしで最初から最後までこのままでいくつもりです。
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2020年01月27日

続 温暖化 気候変動

産業革命以後二酸化炭素等の排出で地球の温暖化が起こり気候変動を招くまでに至ったとする説に、本当にそうなのか懐疑的な見方をする者も少なからずいるようですが、太陽の活動によって起こっているのではないか、宇宙線の量によってではないのか等、真実を探る見方は多い方が望ましいとは思いますが、人類がどんなことをしようが地球を傷め、損なうことは一切ないと不問にするようで、何か嫌な気がします。私はやはり地球も生きている一つの命であり、生きている命は大切にしなければ傷ついたり病気になったり最悪死滅したりする、という考え方をします。人類の悪さが過ぎて地球という母星が傷つき病んでいる、とする方がよほどすっきりします。
私は現代及びこれからが歴史上最悪な時代なのではと思っていますが、経済至上主義と世界人口の爆発的な増加がその元凶だとみています。経済至上主義は儲かるかどうか金になるかどうかが唯一の価値観で、儲からないもの金にならないものは見向きもされず捨て置かれて結局は壊れてしまいます。国連の報告書でも最近50年間の破壊が際立っているとされてますが、破壊は環境ばかりでなく文化とかコミュニティとかにまで及んで、その挙句に壊されているのは人間の精神であるようにさえ思えます。金儲けはそれ自体性格的であるゆえに経済もその性格を内包して人を従属させようとします。経済の論理ことに企業の論理は、戦場に赴く戦士を強いるようで息が詰まりそうになります。
国連の報告書によると世界の人口は現在77億で、2050年に97億、2100年に112億に達するとされています。この世界の人口の爆発的な増加が温暖化や環境問題の根本原因の片方だと思っているのですが、何故か人口論議はどこまで人口が増えて飢えずに生きて行けるか的に、さながら地球は人類だけのものであるかのようです。世界は人口の激増もあってとっくに食糧難の時代に入っていて、ことに南米とアフリカでは農地を増やそうと森林伐採は過激なようです。加えて温暖化による高温と乾燥で森林火災もオーストラリア、アメリカ、ブラジルなどの大火災が頻発して、伐採と火事で毎年どれほどの森林を消失しているのか、温暖化が更に加速するのは必至だと思います。地球には自浄力があるから大丈夫と言う人もいますが、更に森林消失とか酸素の供給源を失って何で自浄能力があるのか、呆れてしまいます。
人類以外に目を向けて、絶滅種を出さないとか生態系を壊さないとかの視点からすると、77億にも人口が達するとそれは不可能です。「百万種絶滅の危機」と少し前ブログに記しましたが、動物たちは住む場所も無いくらい追い詰められているのだから当然だろうと思えます。生態系とか命の連鎖循環もズタズタになるばかりなのに、何故か環境保護団体も動物愛護団体も世界の人口を減らさなければとは言いません。絶滅種を出さない生態系を壊さないと他の命を大切にすることが、地球を大切にすることになり自然との調和を育むことに繋がるはずです。そのために世界の人口はどれくらいが適当なのか、19世紀初頭の10億という環境学者もいますが、私は根拠は無いのですが中高生だった1960年代半ばに35億だったことを思い出します。一人っ子政策を止めても中国ではいまだにそれが続いているとのことですが、一人っ子だと単純計算で親世代が亡くなれば人口は二分の一に、もう一世代進むと更に二分の一に、100年で四分の一まで縮小することになるます。
私はブログを2年以上更新せずに2017年に再開したのですが、時事評論的なことはあまりやりたくないとその時思っていました。全く改善の見込みがないことを言っても闇を深くするだけだからですが、最近心境が変わってきました。温暖化気候変動はもうどうにもならないだろうし、どんなところに行き着くか成り行き任せで止む無しです。どんなところに辿り着こうと生き残れるのであればそこから再出発するだけです。願わくば経済至上主義とか過剰な人口とかを、その時一度ご破算にできるのであればと思ったりします。
posted by 明石 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言