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2012年05月18日

摘粒

ピオーネは二回目のジベ処理も終わり、ブドウ作りの最大の難所、摘粒に入っています。
一粒一粒鋏でカットしながら房形を作っていくこの作業は、現在3〜4グラムの小さな粒が20グラム前後の大きさに仕上がることを想定して、房の中に粒を閉じ込めない、粒同士が潰しあうようなぎゅう詰めの房にしない、の二点を基本とする大変な作業です。001.JPG
言葉では理解できても、いざ鋏を持ってブドウを前にすると、初めての人なら固まってしまうのが普通です。新人のお手伝いさんに私が何時も言うのは、どんなに時間がかかってもいいから一粒一粒何故その粒を除けるのか考えながら鋏を入れてください、決して他のベテランの人達と同じだけやれるとは考えないように、ということです。002.JPG
職人の領域はそれほど簡単ではありません。基本がどうにか頭に入るのに最低3年は要します。素人の新人さんを職人に育て上げるには、私のほうにも当人以上の辛抱が必要となります。
私はブドウ作りのお手伝いさん達に、仕事のスピードを上げろと要求したことは一度もないです。スピードを重視して内容がお粗末になるのを極端に嫌うためです。仕事は量よりは常に質を要求します。質の高い仕事にウエイトを置きながら、年々多少でも早くなってくれればとは願っています。
これまで私が見てきたお手伝いさん達で、仕事をしながらブドウの成長過程を楽しめる人は、初め多少もたもたしても必ず伸びます。反対に最初からてきぱき仕事が出来ても、あくまでも仕事でしかない人は、尻すぼみで伸びません。
物作り、職人の世界は、自分が楽しむことが出来るかどうかが基本的な所で、それが無いと無理ではないかと思います。
posted by 明石 at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年05月11日

高級寿司店

世話になったお礼に是非にと、先日友人が寿司屋に連れてってくれたのですが、名の通った高級寿司店で恐縮もしたのですが、出された寿司にはこれほどの店でもそうなのかと改めて驚きました。寿司は小さく、ネタも上質とはいえず加えて少なく、これなら回転寿司へ行った方が良いと思えるほどで、友人も随分久々であったらしく、「こんな店ではなかったのだけど、」としょげているので、「仕方が無いよ、生き残るためにそうするしかなかったんだよ。」と妙な慰め方をしてしまいました。
しかし、生き残るために、職人としてのプライドや高級寿司店というスタイルを捨てたらどうなんだろう、存在意義が何処にあるのだろう、挙句これなら回転寿司のほうが良いと思われたらお終いではないか、と私の頭の中で思いが巡り続けます。
安くなければ売れないという世相が何時まで続くのかは分かりませんが、質の高さを追い求める様々な分野の職人さんには厳しい時代となっています。というより、時代が職人やその技術を消し去ろうとしているかのようです。これが進めば日本の文化や伝統も崩壊するということに直結しているのは疑う余地はありません。
折角の友人の好意も不本意な結果になり、気持ちは存分に受け取っているのだけど何だか気の毒で、ブドウが終わればまた一緒に釣りに行くことにしています。
posted by 明石 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年05月04日

着果

ピオーネは一回目のジベ処理がほぼ終わっています。
写真はジベ処理後5日前後のピオーネです。こんなに着果すると後の摘粒が大変ですが、丁度いいくらいに実止まりするジベ処理法を探して、これまでことごとく失敗しているので、この件に関しては既に断念しています。良い房、綺麗な房を作ろうとすると、実を止めるのが先決で、摘粒の手間を省略しようと考えること自体が不心得なのだと、自分を戒めています。
二代目ピオーネもすっかり成木域に入っています。枝や葉の勢いは可能性の大きさを物語っています。もう一度、度肝を抜くようなピオーネをという思いの、機は熟しつつあるのを覚えます。
5年前ハウスが雪で倒壊し、地べたに3ヶ月も寝転んでいたこのピオーネ達は、成木域に入るのが2年ほど遅れましたが、その分生命力が強くなっていると思っています。
ピオーネは何処にでもありますが、何処にでも在る品種を何処にもない品質レベルに作り上げることにこそ、職人魂が疼きます。
着色に優れたより優良系の二代目ピオーネで、再度ピオーネの可能性の限界に挑みます。 001.JPG
posted by 明石 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年04月27日

開花

ピオーネの花が咲いてます。
予定よりは4,5日遅れていますが、それくらいの遅れならまずまずです。加温は5月いっぱいと決めていますから、早ければ7月上旬に出荷基準に達するとも思いますが、そうは順調に行かないのが近年の気象状況です。
農業はお天気との格闘です。一昨年は猛暑にぎりぎりまで追い詰められ、昨年は早すぎる梅雨と突然の猛暑に二箇所の園地で出来損なったり、気象環境は年毎に劣悪になって来ていると感じています。
私のブログでは気候変動という言葉が度々登場しますが、農業の最前線にいると、これまで経験したことの無い気象状況に、ここのところ毎年直面させられています。気象的に今年は何が待ち伏せしているやらと思うと、作りきれるかどうか、一年一年がのっぴきならない切迫したものになってきています。気象環境がこのまま悪化すると、農産物の不作域が世界的に拡大するのは確実で、そういう生産の最前線の眼でこの国を眺めると、危機感の無さは呆れるばかりです。
国としての基本的な在り方を問い直さなければならないときに、既に国境を無くしている営利追求の経済界の声ばかりに耳を傾けていたら、国としてこの国は終わってしまうということを何故考えないのだろうか。
政治状況を見ると、まさに終わりつつある日本という思いが強くなるばかりです。001.JPG
posted by 明石 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年04月20日

ピオーネ 20日後

ピオーネは花穂の整形、誘引とも終わってます。3月31日のブログの写真と比べれば、20日間でどれほど成育が進んだか良く分かります。この後、来週後半にはジベ処理になると思いますが、5箇所の園地が10日前後のズレで次々と後を追ってくるから、忙しさもこれから目眩がするほどになってきます。
日々各園地を回って成長具合や異常の有無を点検しますが、順調に育っているブドウたちを見ると、心が通う同志達と共にいるような、底の方が熱くなる一体感を覚えます。
ブドウがご主人様で私が召使、寒くは無いか、暑くはないか、水がほしいか、体調はどうだ、毎日そんな風に接しながら、共により高くを目指しているのです。
私は物作り、ブドウ作りという一点で自分が充実していれば、他の事々は少々どうだっていいのです。
何時の日か、自分で食べて涙が出るほどの一粒、一房のブドウを作れたらという、秘かな想いが頭のどこかを掠めたりします。
私にとって最大のお客さんは私自身なのかもしれません。 001.JPG
posted by 明石 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年04月14日

花澤先生御一行様 来園

花澤先生御一行様が来園されました。写真は先生ご夫妻と野上さん、塩見さんです。(字が違ってたらゴメンナサイ。)
私の園地は標高250メートル前後で山の斜面にあって、これまで風とか雪とか旱魃とかに時々ひどい目にあってきているので、強風とか積雪がある度、先生から大丈夫ですかと電話を頂き、何かと気にかけて頂いていることには恐縮しています。
雑草魂というか、踏まれる度にそれ以上の力で起き上がって、ブドウのハウスは最初の頃の数倍の強度に改修し、灌水施設も2ヶ月一滴の雨が無くても持ちこたえられるように増設しました。全部自力でやるから出来たので、業者任せだと億前後の費用が必要だったのではないかと思います。
先日日本海で発生した低気圧で全国で強風が吹き荒れた時、ハウスの資材屋さんが心配して翌日園地を見に来てくれたのですが、「明石さんはハウスを作っているのではなく、ブドウを作っているのだから、そうそうハウスばかりを作り直しては居られませんよね。」と最後の一言に腹を抱えて笑い転げました。
最近農業者同士の話は暗くて重苦しいです。瀬戸ジャイアンツの生みの親、花澤先生や岡山の生産者にも、時代の閉塞感が重くのしかかっているのは同じです。
「真綿で首を絞められるようにじわじわ追い詰められるくらいなら、いっそあっさり終わらせてくれたほうが楽だよ。」ごく最近、私の口から、そんな言葉が吐き出てくるようになりました。 003.JPG
posted by 明石 at 00:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年04月07日

野人

自宅のすぐ前にある二つの小さな山は、子供の頃の私らの遊び場で、竹で弓を作って戦ごっこをしたり、上昇気流の強い頃を見計らって紙飛行機を飛ばしに頂に上ったり、よくもあれほど次々と考えたものだと思うくらい色々な遊びをしました。
小学生の頃、平日でも放課後3,4人は友達が遊びに来ていたし、土日曜日にはその数は10人前後まで膨れ上がっていました。多分、私は遊びの天才だったのだと思います。(笑)
物の乏しい時代は子供の遊びでも創造力が必要です。「必要は発明の母」との格言もありますが、物が豊かで便利になるほど、更なる必要度が希薄になって、人間の能力は肉体的にも知的にも低下するのだと思います。使わなければ未発達のままか劣化するのみ、ということです。
園地の行き帰りに小学生たちとよくすれ違いますが、今の子供たちってどうなんだろう、次の時代を切り開く創造力をどうやって身に付けるのだろうと、近頃妙に気がかりになってきています。 004.JPG
posted by 明石 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年03月31日

厄介な春

日照不足で出だしから一週間程度成育が遅れていたのですが、ここの所の日差しと陽気で、やっと成育が本格化し始めました。加温栽培といえども必要最低温度を確保するためで、日照が少ないと積算温度不足になり、成育が愚図つくのは無加温と同じです。
写真はピオーネですが、花穂もしっかりしているので、やれやれです。
頭痛の種は、また原油価格が高騰し、重油の値段も急上昇していることです。3月分は税込みで1リットル95円まできています。特別会員価格でこれだから、店頭価格が100円を超えているのは、訊かなくても分かります。毎年この時期に中東情勢が不安定になり、原油価格が高騰しますが、せめて夏場にしてくれよと、一人ブツブツです。
それにしてもと思うのは、投機マネーの動向です。あれこそ儲かれば何でも良いの典型で、自由な経済活動としてこのまま放置すれば、そのうちとんでもない事が起きるのではと思います。
世界規模では食糧難の時代に入りつつありますが、例えば気象状況如何で穀物生産量が世界規模で減少した時、投機マネーがここに集中すると穀物価格が高騰し、アフリカとか世界の貧しい国々で餓死者が何億人と出るだろうことは、容易に予測できているはずなのに、それが現実になるまでは一切手は打たないのだろうか。
世界のあちこちで独裁者が自国民を何万人、何十万人虐殺したというのとは桁違いの、しかも合法的な虐殺になるのではないかと思います。
私は経済活動にもモラルがより強く必要になって来ていると感じているのですが、どうも現実は逆の方向に、たとえばTPpとか、市場原理主義むき出しの方向へ舵を切ろうとしているかのようです。
一体誰が世界を動かしているのだろう。001.JPG
posted by 明石 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年03月24日

40年前からの便り

真に偉大な人は案外世間に知られずにこの世を去っていくものだと思っていたら、吉本隆明氏死去の報道はテレビ局各局ともそこそこスペースを取って流していたので、やはり認めてはいたんだと安堵というか少しはほっとしました。
吉本氏の訃報は私には40年前からの便りのように響きました。
私が吉本氏の著作に触れたのは二十歳過ぎの頃で、初期詩篇からすんなり入って次第に魅せられて「心的現象論序説」までは読んだのですが、あまり影響を強く受けたくないという思いもあって、以後氏の著作には手を出しませんでした。というより、正確にはそうではないのですが、私の記憶に残る印象度からすると、氏の著作を最後に私の読書暦は幕を閉じ、以後今日まで文学思想書は一切読まないということになります。
今吉本氏の著作について語るべき記憶は殆ど残っていませんが、初期詩篇とかごくわずかな部分がいまだにこびりついて残っているところもあります。「異数の世界へ降りていく」とか「世界は針の一穴からでも覗ける」とか、それだけでも私の感性を刺激するには十分だった箇所です。
石原慎太郎氏が、あんな人は今後現れないだろうとコメントしていましたが、インテリ層には目の上のタンコブか立ちはだかる壁のように、恐い人だったはずです。
組合活動で失職して、パチプロで凌いでいた時期もあったようで、景品交換で搾取されていると、怒りを文章化しているのを読んで、私は大笑いをしてしまいましたが、滑稽さというか企まざるユーモアが時折滲み出ていることもありました。
「心的現象論序説」は無意識の領域に踏み込んで行こうとしていたような著作であったと思いますが、ここでなら少しは戦えそうだという気もしていたのですが、当時の私は自分を一点に集中させるのがいささか危ない精神状態で、結局そのまま文学に背をむけてしまいました。
40年という時間を経て、殆どは記憶の彼方に消えてしまいましたが、吉本氏に対する敬意だけは変わらず残っていました。
氏は生涯を終えられましたが、氏の著作は今後も生き続けます。百年後の人々にも読まれるだろうし、時代が本物志向に入った時には、輝きは一層増すだろうと思います。
芸能人全盛のような時代では終盤は面白くなかったのでは思いましたが、大衆芸能やマンガ評論まで領域を広げていたことを報道で知り、また少し笑ってしまいました。
遠大な道を歩いて最後は大衆の一人に帰り着いたのだなと、ふとそう思いました。
安らかにお眠りください 吉本さん
posted by 明石 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年03月17日

大震災から1年を過ぎて

東日本大震災から1年が過ぎましたが、時間の経過がどうもピンときません。あの日 あの時 止まってしまったもう一つ別の時計があるかのようです。
あの大震災の映像の衝撃は、この先何年生きたとしても、深く突き刺さったまま私の中に残り続けるのは、間違いの無いことだと思います。
忘れるな、風化させるな、という報道が続いていますが、震災の映像の衝撃度は深層心理に刺さるほどで、被災者のみならず映像を見た者は誰しも、つまり国全体が、多分忘れることは無いだろうと思います。
あの日を境に国全体が変わりつつあるのではないかという気がします。
危機対応能力が欠如している政治や、動脈硬化で機能不全に陥ってる官僚組織とは別に、人の心が変わり始めているのではないかという気がします。
絆 などという言葉もあの震災以前なら、忘れられてどこか片隅で埋もれようとしていた言葉ではなかったかという気がします。
戦後の日本社会は経済重視というより経済偏重で駆けてきた結果、人は利己的になる一方で、人間関係はどんどん希薄で冷淡になり、とどのつまりは経済の性格が人に取って代わってきたかのように見えました。
かつてバブルの絶頂時、日本経済の全盛時、世界中から物資を買い漁って物は溢れていましたが、他者への思い遣りとか優しさが欠落して、人の心は反って貧しかったと私は思い続けています。
あの大震災は国全体が被災したのだと思います。国全体が非常時になって、日本人が日本人らしさを取り戻し始めたような気がします。
他者の痛みがわかる、思い遣りのある社会を一人一人が思うなら、この国は変わるはずです。
多少貧しくとも、困った時に助け合えるような、心豊かな社会、心豊かな日本を築けるなら、それこそ世界の範となり、大袈裟ではなく人類の希望になるのではないかと思います。
posted by 明石 at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年03月10日

いよいよです

写真はゴルビーですが、ブドウの新芽が開き始めています。低温ということもありますが、それ以上に日照不足で、予定より一週間ほど遅れていますが、毎年のことながら、新芽が開き始めると、本年度作の本格的スタートのスイッチオンです。
私が今年特に気にしているのは、昨年突然の猛暑で出来損なったハイベリーと天山です。両品種とも同じ園地内にあって、少し屋根の低いハウスなので、猛暑の影響を一番強く受けたということもあり、今年は真っ先に屋根張りを撤去してやろうと、今から構えています。
ハイベリーは今年で6年生主体となり、花澤先生と約束した勝負の6年目で、苗木を植えつける前から思い描いている品質にどこまで近づけるのか、品種存続の命運を賭けた厳しい年になりそうです。
天山は今年4年生となりますが、成木域に達するのは2年後になりそうですが、そろそろ超巨大粒の片鱗は見せてほしいと思っています。粒の大きさ30グラム越えは今年最低でもクリアしたいと思っています。あとは果肉の食感が私としてはやや物足りなく、以前ネットで購入した山梨の坂本さんの天山は果肉がしっかりしていたという記憶もあり、若木故なのかどうか注視しています。
明石園芸のブドウの木は、瀬戸ジャイアンツ4本だけが15年生ですが、あとは10年生以下ばかりです。ほぼ10年がかりで総改植したことになり、昨年よりは今年、今年よりは来年と木が成木化するほど手ごたえも上がって来るので、品質的には年々階段を上がっていけるので楽しみです。
長い付き合いになる業者さんや市場関係者に、今までが凄かったのではない、今からが凄くなるんだ、と冗談めかして言いますが、それは正味本音です。
001.JPG

東日本大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福を改めてお祈りいたします。
どんなことがあっても、どんな状況に陥っても、生きようと全力を尽くすことが、それが生命の尊さなのだと、心よりそう思います。
posted by 明石 at 23:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年03月03日

出されなかったブドウ達

現在私の園地にあるブドウは、販売5品種と試作育成中の4新品種の計9品種ですが、振り返ってみると、商品化して残る品種よりは、商品化せずに消えていく品種のほうがはるかに多いようです。
藤稔、アモーレ、高妻、バラード、ベニバラード、ルーベルマスカット、ウインク、オリエンタルスター等、いずれも成木になるまで育てて、品種の可能性を見届けてそれ以上作ることを断念したのですが、その理由を総合すると、自分が作りたいのはどういうブドウであるのかがよく分かります。
先ずその品種独自の個性があるかどうかということですが、私はやはり、粒の大きくならない品種は結果的には蹴ってしまいます。バラード、ベニバラード、ルーベルマスカットなどが、その理由が主で止めたということになります。
藤稔は噛んだらプシューと汁気が広がるだけの、果肉の質感の乏しいブドウで、最初から大嫌いだったのですが、親父が植えていたため、嫌々7年間は作りました。私は果肉の質感を重視していて、噛んで音がするほど果肉の質感がある品種を選びます。
高妻も7年ほど作ったのですが、良い品種なのだけど、ピオーネ、伊豆錦と同じようなのが3品種も要らないということで止めました。伊豆錦と高妻とどちらを残すか、私の味好みで伊豆錦を選んだということです。
折角6,7年かけて成木にして、これから本格化するという時に、何故伐るのかとよく言われましたが、その品種の可能性は成木にしないと分からないから、そこまではどの品種も作るということです。ブドウの果実は本格的に成木域に入った途端、過激に変わります。そこまで作らないとその品種を知らずに見切りをつけることになり、作ったということにならないと思います。苗木を植えつけて5年から7年かけて成木にして、その品種の可能性を見極めて、それから本格的に作るかどうか決めるというのは大変です。
最近では試作といえども10本程度数をまとめて植えつけています。試作してみてよければという方式では、一品種登場に10年近くもかかり、私はそんな時間的猶予は残されていないという年齢域に既に入っています。
現在育成中の4品種も、商品化されるかどうかは不明です。成木域に入った時点で、私の気に入るものになるかどうかです。
新しい品種で新たな可能性に挑み続けることが、物づくりとしての意欲を掻き立て続けます。成木に育てては切り倒すことを繰り返しているように見えても、明石園芸仕様の基準に達するかどうかということであり、そこそこのレベルでは商品化しないということです。
posted by 明石 at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年02月25日

壮大な旅

園地に行く途中、山に入る手前の池に、今年は鴨が50〜60羽飛来しています。白鳥も2羽姿を見せています。
この池は通常稲刈りが終わると水を抜いて、水門あたりの土砂掃除を行うのですが、今年は珍しく水を溜めたままで、それでこんな光景に出会えているのです。
この池の堤の道路を、私は毎日2往復4回は通るので、そのたびに鴨達の姿を探します。波穏やかなぽかぽか天気の日などは、岸辺に上がって日向ぼっこをしている鴨も居て、それを横目にちらり眺めながら走るのですが、心が和むというか、少しは豊かな気持ちになれます。
シベリアとかロシア辺りからこの鳥たちが飛来してきているのかと思うと、小さな体のどこにそんなすごいエネルギーがあるのだろうと、畏敬の念を覚えます。
渡り鳥も壮大な自然のサイクルの一つであることを思うと、これを狩猟対象にするというのは罰当たりだと思います。渡り鳥が安心して飛来できるような環境の保全も、豊かさのバロメータの一つになるのではと思います。002.JPG005.JPG
posted by 明石 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年02月18日

苗床準備

今年も3月にブドウの苗木を25本植えつけます。
体力的にもきつくなってきているから、苗床も多少は小さめにと思ってはいたのですが、いざ掘り始めると、今まで以上に大きくしかもよりきめ細かく掘ってしまいます。
自分でブレーキが掛けられない自分に呆れてしまいますが、耕し終わった苗床を見ると、これで育たぬはずがないとすっきりした気分になれます。
苗木1本植えるために25平方メートル前後掘り起こし耕します。苗床と言うよりは木1本の永年床として必要なスペース全域ということです。
一度目はツルハシで11〜12月に、二度目は1〜2月に二本鍬で、完熟堆肥を鋤き込みながら堀り耕します。
活力の高い木を作るためには土作りに精魂傾けることが基本です。きつい作業で手抜きしたくもあるのですが、ここを手抜きすると明石園芸仕様の木が作れないし、木が作れないと当然、明石園芸仕様のブドウも作れないということになります。001.JPG
posted by 明石 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年02月04日

正念場

鳩山政権が普天間基地移設問題に躓いて崩壊したのは周知の事実ですが、私はあの時基地移転受け入れを打診して日本全国がノーといえば、当然のことながら、では日米安全保障をどうするのかというところまで行かざるを得ないと期待していたのですが、やはり肩すかしの呆れるばかりのお粗末話で頓挫しました。この問題は米国の圧力の強まりと共に再び本格化します。国民の声より米国政府の意向を重視するこの国の政治の伝統は、政権が変わってもやはり同じで、辺野古移設の域を一歩も出ないで終始するだろうことは明白です。
民主党は政権発足当初、自民党よりは米国と距離を置こうとするスタンスだったようですが、それが一変したのは尖閣沖事件だったと思います。中国の脅威に震え上がった時の管首相が、以後急速に米国頼みに傾いていったように見えました。尖閣沖事件が9月で、翌10月には管首相の口からTPP参加意向の言葉が、全くの突然に出たのです。米国さん、助けてください、守ってくださいよ、その代わりこれはやりますから、と言ったのかどうかは知りませんが、そのように見えました。唐突と言うこともありますが、それ以上に出方が私には不愉快で、かつ胡散臭く思いました。
日本の農産物は世界市場に打って出るべきだが以前から私の持論であって、私は自由化に反対する立場ではありませんが、TPPは当初から、内容が見えてくるにつれ尚更、あれはちょっと論外だという思いが強くなるばかりです。
それにしてもと思うのは、この国は何時まで米国追従を続けるのだろうということです。日本の独立はまだ早いと言うような国会議員が居るということには呆れてしまいますが、戦後70年近くになっても、独立国であることを疑うような政治外交は情けない限りだと思います。
何故こんな情けない国なのか問い詰めていくと、何時もたどり着くのは、自分の国を自分で守るということを忘れてしまっているからだというところです。自分のことは自分で守る、自分の家族は自分で守る、その総和として自分の国は自分で守る、という明確な意識が無いと、個人としての自立も、国としての自立も、ウヤムヤで訳の分からないものになってしまうのは当然の帰結だと思います。
日本国憲法は平和憲法として宗教書のように素晴らしいとは思いますが、理想に過ぎて現実対応的でない面も多々あるのではないかと思います。時代が変われば直面する現実も変わるし、憲法が現実対応を困難にするというのは本末転倒で、理想社会実現のために、動力源として憲法はあるというのが本筋だと思います。
宗教であれ哲学思想であれ、綺麗ごとを並べて理想社会を描いて見せても、その実現は永遠に遠くどころか、人間社会にはドス黒い欲望が蠢いていて、どんな立派な理念も実際に運用されると、全く違った別の形に捻じ曲げられてしまうのが常だというのが現実です。世界各地から送られてくる映像を見ても、紛争、虐殺、難民、餓死等々、悲惨な光景が後を絶ちません。それが現実であり、その現実に向き合って、少しでも事態を改善する方向で、人は生きてゆかねばならないのだと思います。
一国平和主義的に惰眠を貪っていたかのような日本にも、近年近隣周辺国の不穏な動きが、脅威として増大しつつあります。
日本国憲法も現実にそぐわないところは改めるべきだと思います。私は憲法9条は改めるべきだと思いますし、自衛隊は軍隊に改めるべきだと思います。自分の国は自分で守ると自立宣言をしないと、この国は国としての尊厳を持つことは不可能だと思います。日米同盟、日米安全保障も、その上で対等な関係で見直すことが必要ではないかと思います。米国が自国の利益に無関係に日本を守るなどということは、依存ボケした甘ったれた妄想だと思います。
今仮に周辺の不穏な国と緊急事態が発生して出動要請をされたら、出動する自衛隊員はやりきれないだろうと思います。私ならこんな情けない国のために死ぬのは嫌だと即辞職するか、駄目なら脱走します。日本人であることを誇りに思えるような日本国であれば話は別です。日本の国土と国民の生命及び財産を他国の脅威から守るための軍隊として、尊厳と誇りが無ければ、命がけの任務に就けるはずがないと思います。
自分の国を自分で守るのは当たり前のことであり、基本です。それを米国依存とかウヤムヤの曖昧さで過ごしてきたから、ここまで変てこな国になったのだと思います。脅威は常に存在します。世界のどこかで起きていることは、日本でも起こりうることだと思うべきです。
昨年の東日本大震災から、日本は国としての基本的な在り方を問い直さなければならない、正念場に入ってます。国を取り巻く内外の課題が山積みされ、その一つ一つが国の命運を左右する問題であり、この局面ばかりは、この国の政治お得意の曖昧なグレーゾーンでのウヤムヤの決着ということでは、全く通用しないと思います。
多少貧しくとも、日本人であることを誇りに思えるような、心豊かな日本国であってほしいと願うばかりです。
posted by 明石 at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月27日

続 プランターから農地へ (私の事例)

私はブドウ作りを誰にも教わってはいない、と言うと大抵の人は驚くのですが、私のブドウ作りの入り口にあったのは、県普及所から貰ったA3用紙一枚のマニュアルと、親父の通り一遍の大雑把な知識だけです。
前記ブログで、マニュアルがあれば始められると記していますが、私のブドウ作りも、実はその程度のところから始まったのです。家が農家とはいえ、それまでの私は、たまに手伝うくらいで、農業知識と経験の無さはほぼ0に等しく、学歴も文学部卒と全く無関係です。余談になりますが、学歴や職歴に全く整合性が無い人生を歩んできたということを、自分では結構気に入ってるのです。
農業を始める前に、専門的な予備知識は、かえって無い方が良いというのが、私の農業暦25年間の一つの結論です。光合成は光と水とCO2とか肥料の3要素とか、中学生程度の知識で差し支えないと思います。
物作りに一番大切なのは感性です。物作りとしての感性を研ぎ澄ますためには、生半可な雑多な知識はむしろ邪魔です。言葉以前の幼児の鋭い直感力が理想なのかも知れません。
私は就農時ブドウ作りを始めるにあたって、頭を先行させないために、病害虫の本一冊は別に、専門書を読むことを自分に禁じました。知識が先行して目が曇るのを避け、徹底した現場主義で臨もうと決めていたのです。ブドウの事はブドウに教えてもらう、それくらいの心構えだったと思います。
今でもまだ続いていますが、新芽が開いて展葉が始まると、園地に入ると腕とか肩とか体の皮膚が、センサーが作動するかのように、ざわつきます。見るということにそれくらい神経を集中させてきた結果です。
私がブドウを作るにあたって、もっとも神経を集中させていたのは、葉の状態です。(あいつは何だってあんなに水ばかりかけるのだ、葉呆け,木呆けしてしまうわ。)親父の怒鳴り声が聞こえてはいたのですが、一切無視、果実が製品で葉が工場なら、葉を傷めずに活性を保つことが何より大切、西も東も分からなくても、私は私の流儀でいくと決めているのです。
見るということは、天気や作り手の働きかけが木や葉や果実にどう作用するかを、見るということです。ブドウ作り6年目から加温栽培を始めて、各ハウスの日々の最高最低温度を記録し、温度とブドウの関係のデータ取りも本格化させましたが、作業及び生育日誌とこの天気及び室温の記録という、三つのデータを取り続けることで、ブドウの生理構造に自分でメスを入れることができました。と同時に作業工程一つ一つを洗い直し、これは今後も続くことですが、ベストな方法を探し続けてきました。産地の常道には、作り手の都合を優先した、健全な生育から捻じ曲げられたやりかたが、基本的なところで結構あるということも見えてきました。
私のブドウ作りの最初はピオーネ一筋で、ブドウ作り9年目に日本のトップ市場でピオーネのトップ生産者という位置に到達しました。ズブの素人が自分の流儀で、わずか9年で、いわば日本の頂点に突き抜けたということです。活力の高い木を作ろうと、葉を傷めないような管理に努めたことが、結果的には最短距離を走ったということになりました。産地に学べ、産地に倣えばかりの産地追従では、産地を越えることはできず、そういうことにはならなかったと思います。
私が言いたいのは、素人だから未経験だからということは、問題では無いということです。農家と言えども、新しい物に取り組む時は、素人同然です。物作りはむしろ捉われの無い素人的な発想が必要なのではないかと思います。勿論失敗も多々あります。同じ失敗を繰り返さないよう、徹底的に検証して、どうすれば出来損なうかを消去法的に塗り潰して、技術という階段を一歩一歩上がっていけるのだと思います。まさしく失敗や躓きこそ師なりです。
より高き品質を目指し続けるということは、技術革新を図り続けるということでもあり、新たな試みには常に出来損なうかもしれないリスクは付きまといます。ブドウ作りを生活の糧にしているのだから、失敗することはそれは怖いですが、より高くを目指し続ける以上、やはり挑み続けるのだと思います。
私のブドウ作りを詳細に語るには本にでもまとめないと無理ですが、素人が物作りの世界に飛び込んだ一つの事例として、参考の一つになれば幸いです。
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2012年01月22日

プランターから農地へ

ブドウの木を一本庭に植えたのだけど、どんな風に作ったらいいのですか、というような問い合わせを時々受けることがあります。生産資材の最小単位からしても、一本や二本作ったりするのはコストが高くなって買うより高くなるから損ですよと言うと、ブドウが好きだから自分で作ってみたいのです、となかなか引き下がりません。ブドウの1年1サイクルを口頭で説明する訳にもいかず、県同士会発行のA3用紙一枚のマニュアルを渡して引き取ってもらうことにしています。私にすれば、問い合わせ先が違うでしょうと言いたくなるような、迷惑な話なのですが、ごく最近になって、趣味的だろうと自給的だろうと、自分で作ろうとすることが大切なのだ、と考えが変わりはじめています。
農業とまで大げさに言わなくとも、花でも野菜でも果物でも、自分で作ってみたいと思っている人は随分居るのではないかと思えます。都会暮らしで土地が無くても、プランター、植木鉢があれば可能です。何かを植えて、或いは種を蒔いて、作ることを始めてみることが、最初の第一歩です。例えプランター一個でも、植物を育てることで、癒しの空間が生じて来るのではないかと思います。
物作りは底無しの深さもありますが、それほど難しく考える必要もなく、対象が何であれ、インターネットでも本屋でも、作り方のマニュアルは簡単に手に入ると思います。まずマニュアルに沿って作ってみることです。プランターでできれば、農地で作っても規模が大きくなるだけで、かえって作り易いかも知れません。
日本の農地は今後農家だけでは支えきれず、耕作放棄地や過疎地が増え、国土は荒廃の一途を辿るように思えます。世界規模では既に食糧難の時代に入っていて、ごく近い将来日本にもそれが波及するだろうことは考えておく必要はありますが、生産コストに見合う販売価格を得られない現状では、専業農家は経営を維持するのが困難になっていますし、農業が平均年齢70歳近い高齢者で支えられているということもあります。
私はこれまで農業=専業農家という考え方でしたが、兼業或いは一般市民参加型の農業、林業にもっとウエイトを置くべきではないかと、考えが変わり始めています。
何時訪れるか分からない食糧難、食糧危機の時代に自分で少しでも備えることと同時に、日本の国土を荒廃させないということを、大げさに言えば、国民総員で背負わなければ無理ではないかと思うからです。週末農業、季節林業等余暇を利用すればできる形もあるのではないかと思います。
自然の中に身を置いて、物を作り育てる農業、林業を通じて学べることは多いと思います。子供の感性を豊かに育てるのには最適ではないかと思います。
プランターから農地へ 一考してもらえれば幸いかなと思います。

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2012年01月15日

後継者

明石園芸の後継者はいるのですか?後継者の有無を訊かれることが、私に関する質問で一番多いと思いますので、その都度の説明省略ということも含めて、ブログに記します。
明石園芸の後継者は居ませんし、今のところ作る気もありません。子供が居ないということもありますが、仮に居たとしても、後を継いでくれとは言わないだろうし、ましてやこの状況下では尚更です。
私が就農したのは38歳の時です。親父に説得されて家業を継いだのではなく、自分の意志です。宮仕えに飽き足りなく、転身のタイミングをどこかで計り続けていた結果です。
言うまでも無く親子でも人生は別個です。自立心が強いほど、家業を継ぐのを嫌がるのが普通です。私も家業を継ぐというよりは、職種の一つとして農業を選んだということです。
50代半ばを過ぎた頃から、60代半ば近くになって自分にそれだけの力が備わっていれば、と弟子の養成を考えたこともありますが、60を過ぎた今、情けないけど自分のことで精一杯で、その余裕がありません。技術の伝承を行うのかどうか、私にも不明です。
もう随分前から、ほぼ15年ほど前から、東京、大阪等の市場関係者や業者等等、耳にたこができるほど、後継者をなんとかしてください、と言われ続けてきました。
その都度私が最後に言ったのは、私のブドウは私一代限りです、私がどれほど力の限りを尽くして教えても、私が離れればその人の個性で違うものになります、またならなければおかしいのです、それが ものは人なり の所以です、ということです。つまり、園地の後継者が居ようが居まいが、私のブドウは私一代限り、私と共にあり、共に終わるということです。
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2012年01月11日

別れの雄叫び

ポンタと一緒に過ごした日々の思い出があまりに鮮烈で、その息子 シロ は14年も一緒に暮らしたのだけど、特にこれと言った鮮明な場面が記憶にありません。シロがポンタと一緒に過ごしたのは生後1年半足らずで、その間終始父親ポンタの行動を見ていたはずなのだけど、性格や行動に似通った所は殆ど無く、何度か私をがっかりさせました。
カラスがハウスに入った時、シロを連れて入ったのですが、一向にカラスを追う気配を見せず、怒鳴って追い立てると、10メートルほどカラスを追うと腹這いにへたり込んで、それ以上動こうとしませんでした。何て奴だ、それでもポンタの子か、私も呆れ返りました。
それでも気の強さとプライドの高さはポンタ譲りなのか、自分より大きな犬に散歩の途中出会うと、飛び掛って行こうとするのです。一度とんでもなく大きな土佐犬に遭遇したことがあります。飼い犬が離れたのかどうか、向こうからじゃれるように寄ってきたのを、シロが案の定飛び掛っていったのですが、気がつくと土佐犬の腹の下にスッポリ入っていました。シロは当時体重25キロ近く、中型犬としては大きい方だったのですが、それでもそれくらいの体格差がありました。どうしたらいいんだ、シロが助けを求めるように私を見るので、仕様が無い、と思い切り土佐犬の胸を蹴り上げ、おすわり!と一喝すると、土佐犬はちゃんとお座りするのです。その間にシロを連れ出し、暫く歩いて振り返ると、土佐犬はまだお座りをしていました。野放し状態の土佐犬は、その直後散歩中の飼い犬をかみ殺して、保健所行きになりました。
ポンタが死んだのが何月何日だったのかは覚えていませんが、シロの命日が今日1月11日なのは覚えています。その2週間後に40センチ前後の積雪で全ハウスが全半壊した、明石園芸史上最悪の年であったためです。
5年前、1月11日の朝、起きると奥さんがシロが居なくなったというので、見るとすっぽり抜けた首輪が紐と共に残っていました。あんなにヨボヨボの体で何処に行ったというのか、既に14歳の老犬で後ろ足が不自由になり、散歩してても動けなくなって、抱きかかえて連れ帰ったことが何度かある程なのに。明け方オオーンと雄叫びを上げたよ、発情期に入ったんじゃない、と奥さん。馬鹿な、と思った次の瞬間、あっと気づきました。シロは別れを告げたんだ。お迎えが来て、それで行ったんだ。別れを告げる最期の雄叫びだったんだ。それを眠りこけて聞いてもやらなかったとは、何と言うことだ。それにしても、飼い犬なら飼い主の所で死んでくれよ、最期だけ野生に戻って死姿を隠したら、飼い主がケジメをつけられなくて困るよ。シロの死姿を探して、近くの山や池や竹やぶやら、折々歩いたのですが、やはり見つかりませんでした。
シロの別れの雄叫びを聞かなかったことが、気づいてやれなかったことが何だか切なくて、聞かなかった雄叫びがかえって胸にこびりついてしまいました。オオーン、この時期になると、何処からとも無く、シロの雄叫びが聞こえてきそうになるのも、私流の供養です。
posted by 明石 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月07日

頭の中には魚が

ブドウの剪定作業を始めています。頭の中はまだ魚が泳いでいるのですが、本業に立ち還って、いよいよ2012年作も始動です。今年がどんな年になるやら、考えると八方塞りで重苦しくなるばかり、新年早々なのだから少しはプラス志向で行きたいものです。
私の農業暦は今年で25年目に入ります。24年間農業に従事した感想は、食って行けるならこれが一番良い、です。物作り、職人の世界が自分には実にぴったりで、それ以前のサラリーマン時代を、もっと早く辞めてれば良かったと、何度か悔いたことがある程です。
農業の良さは短期間では分かり辛いです。対象作物が何であれ、1シーズン1サイクルの作業工程を全部経験するのが、最低限必要です。作業工程一つ一つが、何のためにそれをするのか分からないうちは、自分の好き嫌いで作業内容を見がちです。同じ物を作っても、果物の場合だと、1サイクルの作業工程が頭に入るまでには、ほぼ3シーズンは必要ではないかと思います。石の上にも3年ではないですが、物作りの世界は入門期間にそれくらいの時間が必要なのではないかと思います。
農業では作物と作り手と天気とがひとつの有機体となります。より良い物を作ろうと、努力すればするほど、作物が応えてくれるし、手を抜けばその通りの結果がでます。作り手と作物に、働きかけば応えてくれる、生命の交感する世界があります。
時として、自然の猛威というか、悪天候に急襲され、一瞬で作物を台無しにされたり、一作一作に喜怒哀楽のドラマがあります。ままならぬお天気と格闘しながら作り上げた作物には、良いにせよ悪いにせよ、そのドラマを終えた到達感を作り手にもたらします。
農業は生命の営みの源、大地に根ざしてあります。農業、林業は経営難に喘いではいるのですが、現代社会を方向転換させるキーワードが、農業林業のなかにこそあるのではと、私はそう思い続けています。24年間農業に従事して、それが私が学んだことではないかと思います。
趣味的であろうと、自給的であろうと、規模の大小を問わず、一人でも多くの人が、農業あるいは林業に参加して、そこで感性を研ぎ澄ませば、現代社会が違った角度から見えてくるのではないかと思います。
ただ、前述したように、ごく短期間では、農業林業は見えてきません。ぽつぽつでも、生活の中に組み込んで、継続して行くことが必要かと思います。
posted by 明石 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言