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2019年04月15日

消息不明

何処へ行っても同じだと頭で分かっていても、今ここに居ることに耐えられず、アルバイトで旅費を作っては行ったことのない地へ飛び出す、20歳の終わり頃からそんなことを繰り返すようになっていました。旅とかいうそんな余裕とはおよそかけ離れていて、日常性を絶たないとパンクしそうになって、それを避けるために飛び出す放浪というよりは彷徨だったのだと思っています。
以前ブログに記しましたが、中学生の頃授業を受けるのが苦痛でその限界に達した時、筆箱を黒板に叩きつけて教室を飛び出したことがありますが、それと全く同じことだったような気がします。ここに居れないとしたら住めば地獄で、どこだろうといずれ居れなくなるのは必至なのは分かっていますが、動き回ることで多少の時間差や未知との出会いとかで自分が持ち直せて、その積み重ねの中どこか別のところに新たな自分が熟してくるのを願うところもあります。
2回生になると大学へは殆ど寄り付かず、講義を受けることは全くなく取得単位はゼロで、3回生になった時にさすがに心苦しくて、もう大学は辞めるから授業料は納めなくていいと実家へ葉書を送り、この時から表向きは学生でも本業はアルバイターとなったのです。様々な職種のアルバイトをして分かったのは、私は決して働くのが嫌いなのではなく、肉体酷使の重労働でもそれほど苦にもならず、資質的にも肉体的にも仕事人としての適性能力は高いようで、大学を辞めるならうちへ来ないかと様々な業種で声を掛けられたりしました。
アルバイトで旅費を作っては旅に出る、その繰り返しが正味2年は続いて、網走から根室に向かうバスの中で旅の終わりを感じて一段落したのですが、私にとってこの期間が無ければこの世から消えていただろうと思えるほど、それほど重大な期間であったのだと今そう思います。
母が授業料を収め続けてくれていたので大学に籍は残っていて、4回生になって大学に戻った時に何年かかっても卒業だけはしなければ申し訳ないと思い直して、結局6回生で卒業したのですが、2,3回生時が全く抜けているので実質4年で帳尻は合います。4回生になった頃には喫茶レストランのバーテンが本業で、学生は付録のようでした。満席だと105人お客さんを収容できるほどのお店で、ここで3年間シェーカーからフライパンまでマスターにみっちり仕込まれて、プロのバーテンを使うまでになっていました。卒業して店を辞める時、「大学を出てバーテンはもうやらないだろうけど、全国どこでも一人前のバーテンとして立派に通用しますよ。」とマスターが太鼓判を押して送り出してくれました。45年前のことですが、ブドウを感謝の気持ちを込めて送ったりマスター夫婦との付き合いは途切れることなく続いています。
それで旅は終わったのかと言えば、そんなことはなく、旅はいまだに続いています。命は生まれ、育ち、真っ盛り、老い、衰え、そして終わる、その一生で同じ状態で同じ場所にとどまるものは何一つない、時は無常の旅を強いています。私が時々不思議に思うのは、昨日があって明日があるように私たちは慣らされているが、本当にあるのは永遠に今という瞬間であるのだろうということです。この時の不思議さをいつか大天才が説明してくれるだろうかとふと想ったりします。
posted by 明石 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言
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