検索ボックス

<< 2018年04月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最近の記事
最近のコメント
苗床準備 by budou83 (01/13)
暗欝な日々 by budou83 (11/05)
桜の咲く前に by 楞野昌彦(かどの) (04/01)
クイーンニーナ by 宮下正之助 (09/08)
桜の咲く前に by ぶどう83 (03/20)
最近のトラックバック
カテゴリ
過去ログ
Powered by さくらのブログ

2017年10月15日

老いた子供

2年余りブログの更新はしませんでしたが、この間も月1回定例のお茶会とか年に数度の飲み会とか、同級生と付き合いは変わりなく続いていて、お茶会などここまで長く続くとは予想していなかったので、メンバーそれぞれが相当くたびれるかなり大詰めまで続くのではと、改めて考えると驚きも混じってきます。
70という歳が近くなってきた同級生の集いで不思議なのは、共に過ごした小中学生時代を起点にして、そこから老いた現在のお互いを見ているのか、現在から共に過ごした子供時代を手繰り寄せているのか、両方が入り混じって判別しづらいということです。どちらの割合が大きいのかあえて判定すれば、多分子供時代から現在を見ている方だと思えるのは、私だけなのかどうかそのうち皆に聞いて見るつもりです。
いずれにしろ私が思うのは、同級生の集いとかで顕著ですが、人の記憶に10歳前後の頃が何時までもまざまざ鮮明に在り続けるのは、この歳になってみると驚くほどです。私自身振り返っても、30代から50代の記憶の残像は薄く、20代前半までが圧倒的に鮮明であるようです。
何故なのかひとつ言えるのは、人それぞれ感受性が鋭敏で豊かであるのはおそらく10歳前後を頂点に若い時ほどで、大人になって社会化されるほどに感受性は鈍化しているのだと考えます。
個人が社会に組み込まれていくほどに感受性を失っていくとすれば、人間の成長ってなんだろうとふと思ってしまいます。
この歳になってもその頃の同級生が集えば、いともたやすく子供心に帰り着くのであれば、年齢を重ねるほどに外側は劣化して老いても、浸食され尽くさないかぎり、内側コア部分には子供心が刻まれていて、老人とは老人の衣装を着た子供なんだ、と考えると少し楽しくなってきます、「俺たちは子供だ!俺たちは自由だ!これからはやりたいことをやるんだ!」と。
posted by 明石 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/181288240

この記事へのトラックバック