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2015年03月18日

桜の咲く前に

朝10時頃、園地に上がって来たうちの奥さんが、「北村さんの奥さんから電話があって主人が亡くなりましたって。」と言う。春までは持たないだろうとは思っていたのですが、それを聞いて、とうとう逝ったかという思いをただ噛みしめていました。
昨年3月、直腸から前立腺とかいたるところに癌が転移しているため手術は不可能で、抗がん治療で持って半年と医師に告げられていましたが、医師を見返すようにちょうど一年持ちこたえてあっさり逝ったようです。
彼、北村(旧性)登氏は私の高校時代から50年来の友人で、私はずっと悪友だと言い続けてきましたが、私流の定義からすれば、親友が世間常識的に特に良好な関係の友人であるなら、悪友はその枠をはるかにはみ出した関係の友人であるのだから、悪友は親友以上だということです。事実、社会にすんなり適応できないような青年期はよく似たところもあって、20代の半ばになってやっとまともに就職したというのも共通です。
昨年3月に見舞った時、あと半年だと言われたと落ち込んでいるので、「心配するな。お前だけではない。生きてる物は全部死ぬ。早いか遅いかだけだ。元気そうに見えても若くても明日の命は分からない。そんな危うさの上にある命に気づかず、自分は大丈夫だと盲信しているだけだ。」と言うと笑いながら、「相変わらず凄いことを仰る、けど、それはその通りだ。」と少し寛いだ表情をしたので、自分だけがという自縛は解けたように思えました。
以後月に一回は見舞おうと、それはその通りに実行したのですが、次第にやせ細り衰弱して終わりに向かって行く様を見るのが辛くて、これ以上そんなあいつを見たくないとの思いが昨年末頃私の中でピークに達していました。
今年になって、そんな自分が愚図ってなかなか見舞う気になれないでいると、この時期持ち歩かないで机の上に置いてある携帯電話に、やたらと彼から着信が入るようになりました。電話をすると間違って押してしまったととぼけるのですが、何度もそういうことが続くと私も腰を上げざるを得ず、友達なら最期まできちっと付き合えよと自分に言い聞かせました。
彼には私と同程度に見舞っている友人が他にも2人居て、幸い同じ高校の同級生なので、一度3人で一緒にと声を掛けて、2月下旬に3人一緒に見舞ったのですが、結果的にはこれが最後となってしまいました。私的には多分彼の一番親しい友人であるだろう3人と彼とでミニ同窓会との思いもありました。私は高校からですが、他の一人は小学校以来というと60年近い、もう一人は中学校以来という、いずれも50年以上という友人の集いです。彼の頭の中は既に混線や断線がだいぶ進んでいたのですが、3人の話声の中に置かれると意識が焦点を合わせるらしく、呼び起こすようにわざと軽く悪口を言うと目をしっかり開いてはっきりした言葉を返してきて、それで病室に笑い声が響き、何時もだと一時間程度で退室するのですが、この日は二時間余り居てもあまり疲れた表情も見せず、多少でも楽しい一時にすることができたようだとほっとしました。
彼の葬式に出て、何か妙だ様子が違うと思ったのは、葬儀が始まる頃になってもお寺さんの姿は見えないし、花輪も盛花も盛果も無いことです。前日のお通夜のときは半信半疑だったのですが、葬儀が始まり司会者が故人の意志により自由葬としますと告げた時、あいつやったなと漸く合点しました。私は元来冠婚葬祭があまり好きでなく、葬式は特に嫌いで、仏の御心も金次第というような金儲け主義のお寺さんに腹立たしさのあまり、私が死んでもお寺さんにおつとめを頼むような葬式はしてほしくない随分前から広言していたので、無論彼も何度かは聞いていたはずです。その影響なのかどうかは分かりませんが、彼が先に実践してしまったのです。
お寺さん抜きでの葬式はどういう形にしたらいいのか、私が漠然と考えていたのは、参列者が故人の思い出話を語り合ってお見送りする形以外無いのではということです。だから、お通夜が終わった後、特に親しかった何人かに弔辞をお願いできますかと打診された時、まだ半信半疑ではありながら、弔辞という形式にこだわらず思いつくままフリーに語ってもいいのならやりますと答えたのです。そういう葬式を漠とでも私は思い描いていた上に、彼もそういう葬式を望んだのなら、少々恥をかこうとも私も応えなければと思ったからです。ひとつお願いしたのは、私の順番は最後にしてもらえませんか、私が先だと後の人に迷惑になるかも知れませんからということです。
葬儀は黙とうから始まり、在りし日の故人の写真を映像で流しながらのプロフィール、それが終わると弔辞となりました。お寺さん抜きの葬式がどんな形になるのか興味深くもあったのですが、参列者全員そんな葬式は初めてのはずで、戸惑いがあったのは私も皆と一緒です。
最初の人の弔辞が始まると、私もやっと何をどう語ろうか考え始めたのですが、何も考えないでマイクの前に立つと決めているので、前もって考える気がしません。弔辞ということにこだわらなくてもいいということで受けたのだから尚更です。それに自由葬と言うなら、本当の自由葬に少しでも近づけたい思いもあります。
順番がきてマイクの前に立つと、「自由に語ってくださいということで受けましたが、私がフリーで語るとなると、登君が何を言われるやら心配で目を覚ますかもしれませんが。」と切り出していました。
「彼とは高校時代から50年に渡る付き合いで、大学も彼が大阪、私が京都なのでしょっちゅう行き来していました。一時期彼が太宰治にメロメロになっていたので、太宰治の気に食わないところを3つか4つでも見つけてみろよと言ったことがあります。そんな文学的なところもあり、一緒にヤクザと喧嘩したこともあり、世間的な見方からすれば悪友になるのだろうと思います。」
「今日は彼の葬式ですが、私は彼が死んだとは思っていません。私の中では彼は生きているし、私が死ぬまで彼が私の中に居るのは間違いありません。3年前大学時代の友人が亡くなってから、死とは何だろうと改めて考えるようになりました。死んだら確かに本人は消えて居なくなりますが、関係性の中で消滅するかと言えば、彼のことを覚えている人が居る限り、関係性の中では存在し続けるということになります。彼を知る人が一人も居なくなった時、そこで彼という存在がこの世から消滅するのだと思います。」
何を語るか考えながら同時に不都合がないよう整理して言葉にしなければならず、綱渡りのようにとつとつと続けて、「不安とか寂しさで彼がじたばたするようなことがあれば言おうと思っていた言葉があります。必要がなかったので言いませんでしたが、今彼に言います。心配するな。お前一人ではない。皆そのうちそっちに行く。お前は先に逝ったのだから俺らに良い場所を探しといてくれよ。」と結んだのですが、さすがに口が粘って、水でも飲まないと、いっぱいいっぱいになっていました。
型破りなのは元々で、誰にどう思われようとか構わないというのもとっくに骨肉化していますが、北村よ この程度で勘弁してくれという思いだけは残りました。
葬式当日の午後10時頃、彼の奥さんから電話があって、「明石さん、今日は本当にありがとうございました。明石さんの言葉が私も息子も本当に嬉しかったです。」と礼を言われて、届いて欲しいところに届いたのならそれで十分です。「奥さん、私が言うのもおかしいかもしれませんが、あそこまであいつの面倒をみてくれたこと感謝しています。奥さんで良かったです。あいつにとっては奥さんがベストです。」と感謝すると、弾けるように奥さんは喜んでいました。
電話が終わってしばらくして、何かおかしい、親でも兄弟でもないのに何であいつのことで奥さんに感謝するのだろうと考えていました。
悪友が親友以上だとは思っているけど、ひょっとすると気がつかないうちに、あいつとは兄弟以上になっていたところがあるのかと、振り返ると社会からはぐれていたような青年時に辿り着き、あの頃を思えば不思議ではないと納得します。
これから先私の中で居続けるのはあの頃のあいつであるのは疑いようがなく、この一年間病室で見てきた見たくなかったあいつは既に忘れ去ろうとしています。相手が生きていようと死んでいようと、記憶に残るのはその人の印象度の一番強い場面であるようで、50年来の付き合いといっても就職後の印象は薄く、多分何も残らないのだろうと感じています。
死後他者の記憶の中で、良くも悪くも一番輝いていた頃の印象が生き続けるなら、それも悪くはないと少しは和んできたりします。

あいつが逝って2週間が過ぎようとしていますが、そんなこととは関係なく、畑では桃の花が満開となっています。001.JPG

posted by 明石 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 園主の独り言
この記事へのコメント
Posted by ぶどう83 at 2015年03月20日 16:23
前略ぶしつけで失礼なメールをお許し下さい 小生五年前ハイベリーを植えました 何故この品種を選んだかは思い出せませんが栽培技術の向上をはかるべく貴兄の記事に到達しました レベルの違いを実感しながら真摯に農業経営に取り組んでおられる姿を拝見しブログを楽しみにしていました 二月のブログ内容と親友とのお別れから更新間隔が長くなるのは予想していましたが 体調を崩されておられるでしょうか もしお元気でしたらド素人ですがブログ見ていますのでよろしくお願いします 早々
Posted by 楞野昌彦(かどの) at 2016年04月01日 14:05
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