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2021年02月20日

前記続き

小規模家族農業に戻りますが、今から60年ほど前私が小学生の頃日本は貧しかったのですが、今のように極端に二極化するような格差社会ではなく、隣近所回りも皆同じように貧しかったので貧しさが苦になることはあまりありませんでした。農家であろうとなかろうと皆庭先にでも野菜を作ったりして、隣近所とお裾分けし合ったり可能な限り自給生活に努めていました。砂糖すら貴重な物の乏しい時代、夥しい量の食物を廃棄するような今と比べようもありませんが、自分で作った物を分け合ったりしてごく普通に助け合っていたあの頃が、何かあれば一瞬で路頭に迷うな今よりはるかに生活に確かさがあったと思っています。
最近国連が自給型を含め小規模農業を推奨しているのをよく見ますが、穿った見方をすれば自分の食は可能な限り自分で作れと言ってるようで、それほど切迫した危機感を持ってるのかと思ってしまいます。その目で我が日本国の国会議員とかを振り返ると、「NHKスペシャル2030」の危機感などどこにも誰にも見出せず、その脳天気さに呆れるばかりです。「今国として総力を挙げて取り組まなければならないのは、国民の食糧を自給する体制を確立することだ。国として自給自足できないと、このコロナ禍でも食糧輸出国が輸出量を減らそうとしたように、何時世界的食糧危機パニックが勃発しても不思議ではない時代に入っているし、日本のように自給力が低いと他国から食料を買えなくなるととんでもなく餓死者が出る!!」そんなことを言う政治家が一人もいないのだから、国として温暖化気候変動とかそれに絡まる世界の食糧問題に全く危機感が無いのだと思えます。警察が事件があって始めて動くのと似て、政治も事後処理に没頭するあまり事が起きなければ動けなくなっているのかとも思ってしまいますが、2030の危機は起きてから慌ててもあの津波のようになすすべもなく呑まれてしまうだけです。
時代は地球の危機に直面して有無を言えぬ転換期に入っています。何時までも経済至上主義の余韻に囚われている政治では機能不全で期待もできません。国があてにならないのなら自分で備えなければなりません。土地が無ければプランターからでも、私の子供の頃のように自給は僅かからでも始められます。今地方は都市部を一歩出るとここ5〜6年は過激に休耕地、放棄地が増えてるはずです。農業の主力の平均年齢は私と同じだからほぼ70歳で、10年後にその大半が辞めているとしたら、全国で作られなくなった農地が荒れ地となってどれほど広がるのか、地方から国が荒廃して終わっていく絵図のように思ってしまいます。全国の地方の自治体は今移住者を求め続けていますが、増え続ける空き農地や空き家の無償貸与等等をエサに呼び込みをしているくらいだから、週末とか休日を利用して自家用自給野菜を作りたいと思えば、借りられる農地はどこにでもあるはずです。農家にしても誰かが作ってくれれば、荒れ地になるより農地として維持できるのだからありがたいです。
かつて民主党の政権下、TPPに関して「農業は国民総生産の1,5%に過ぎない。T,5%のために残り98,5%を犠牲にできるのか。」とある大臣が言ったとき、私はその大臣を割と高く買っていたのですが、こいつはとんでもない馬鹿だと呆れてしまいました。食糧は絶対量が不足すれば、不足の度合いによってその値段は10倍でも100倍にでも高騰します。1,5%は非常時には150%でも更には天井知らずにでも跳ね上がる、生きていくには最も大切な食の部分あるという考え方が無いのが怖いです。危機感の無さから言って他の国会議員も大抵はこの大臣と同じなのだろうと思ってしまいます。
世界が挙って温暖化対策に向けて舵を切り始めると、人が住める地球環境や生きていけるだけの食糧が最大の目標になって、経済至上主義的な価値観は薄れていくのだと思うと、自ら蒔いた種とは言え、存亡の危機に結束して立ち向かう意味は人類史上初と言えるほど大きいのだと思います。




posted by 明石 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2021年02月13日

10年後 2030年

2月7日にNHKスペシャル2030の第2弾「未来への分岐点」が午後9時から放送されました。第1弾は1月9日に「暴走する地球温暖化」がこれまでにない踏み込んだ内容で放送され、第3弾は2月28日に放送予定だそうですが、やっと真正面から取り上げたかと思いもしたのですが、それ以上に2030年までの10年間をどう過ごすかで未来は決まるということに、あの番組を見た人のどれほどが本気で受け止めるだろうかと思いました。人の心理は、あれは映像の世界でここでそんなことが起きるはずがない、自分にそんなことが起きるはずがないと思っているのが常だからです。世界の何処かで起きることは日本でも起こり得るし、世界の誰かに起きることは自分にも起こり得るとという思考回路を持たないと、総ては他所事他人事になり中身のない自己盲信の挙句にパニックに陥るだけです。
例えば今回の「食の問題」、食糧輸出国が輸出しなくなると日本のように自給率の低い国は極端に食糧不足になり、貧しい者から餓死せざるを得ない、そんな状況になってから慌てふためいても手遅れです。私は日本人はどうしてこんなに危機感が乏しいのだろうと、近頃では殆ど諦めていますが、自分は大丈夫だと何の根拠もなく盲信するのは止めていい加減に目を覚まさないと、無為無策でその時を迎えたなら日本は壊滅するだけです。
最近国連が小規模な家族農業の重要性を次第に声高く強調するようになってきています。何を根拠にと調べようとしたのですが、いずれも字が薄く小さくて読み続けられません。読まなくても小規模家族農業は私自身もそうであるし、60年前の私の小学生の頃を思い浮かべてもピンとくるものがあります。多分国連は環境に優しい持続可能な農業を根拠としているのだと思います。
人口の増加に備えて現在でも南米をはじめ世界のあちこちで、農地を増やそうと森林は伐採され続けているし、既存の商品生産の大規模農業も土地が疲弊してきて悲鳴を上げ始めているとされています。日本人には分かりにくい問題ですが、水という資源の不足が既に世界的に深刻になってきているようです。世界の資源で真っ先に枯渇するのは何だろうと調べてみると「水」だと分かり、ブログにそれを記したのが2013年1月「グローバル考 2」だからもう8年も前のことで、世界の水資源枯渇状況は更に深刻になりつつあるようです。土地が疲弊して水資源が枯渇して世界の農産物食料生産の未来を更に暗くしていますが、南米などの焼き畑農業的な生産も取りつくしの一過性農業で、むしろ森林破壊、環境破壊で、更に温暖化気候変動を加速させるだけなのではと思えます。
私は経済至上主義と世界の人口の急激な増加が環境とか様々な問題の根本原因だと思っていますが、何故か人口については恐らく故意に、国連すらそのことに触れようとしません。世界が結束して温暖化対策に本気で取り組まないと気温上昇1度5分未満の実現は不可能だし、もう一方で人口抑制に取り組まないと、増え続ける人口の中では不可能に思えます。とりあえず世界の人口を50億まで戻すというような取り組みがないと、地球の回復再生は不可能に思えます。
posted by 明石 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言