検索ボックス

<< 2020年10月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最近の記事
最近のコメント
天山 裂果とは別に by 大竹博吉 (07/19)
天山 裂果とは別に by ブドウ (07/19)
ハイベリーの出荷は8月10日頃から by 領家政蔵 (06/24)
ハイベリーの出荷は8月10日頃から by ブドウ (06/24)
50年後の20歳 by ひょっこりおばさん (11/26)
最近のトラックバック
カテゴリ
過去ログ
Powered by さくらのブログ

2020年10月22日

母の死

9月9日「救急の日」に救急車で病院に運ばれ、緊急入院した母が10月15日に亡くなりました。14日朝病院から電話があり、血圧が下がったから病院に来てほしいとの連絡があって、昼過ぎに行き10日振りに母を見たのですが、更にやせ細ってここまで骨と皮だけになれるのか生きているのが不思議なほどで、正視できず目を背けてしまいます。「何も心配せんでええよ、楽にしてたらええ。」と声をかけるとこくんと頷いて、反応を示したことに驚いたのですが、目は開かずとも意識はあったようです。
この日家に帰っても、自分の言葉とそれに頷いた母の姿が尾を引いたまま寝床に入ったのですが、寝入った直後に病院から電話で、直ぐ来てくださいと言ってる、と奥さんに起こされました。14日から15日に日付が変わった直後で、病室に入ると担当医が丁寧に説明された後、機械を止めて、もう一度母を見て、時計を見て1時10分ですと告げて深々と頭を下げました。「天寿を全うした立派な生涯です。ありがとうございました。」と私と妻も心からの感謝を込めて深々一礼を返しました。
葬儀屋に行く途中、「あんたの言葉に安心してお母さんは逝ったようね。」と奥さんが言うと、自分の中で尾を引いていたのも同じ思いだったので、やはりそうなのかとぼんやり思い返していました。
母は大正15年生まれの94歳です。死亡診断書に老衰と記されましたが、ひとつの命をそこまで存分に生き尽くした立派な生涯でした。告別式の読経の間、母の遺影を見ていると、断片的に浮かんでくる思い出を辿っていました。母から聞かされた話で一番強く私の記憶に刻み込まれているのは、母の幼少の頃の話です。
両親が離婚して母は幼い時に祖母の家に身を寄せていたのですが、次男(母の父が長男)が嫁をもらうときに邪魔になるので里子に出されたそうです。どれくらいの間里子で居たのかは聞きませんでしたが、次男のお嫁さんを見たい一心で、里家を出て夜の山道を歩いて帰ったそうです。おばあさんが激怒して追い返そうとした時、お嫁さんがこんな小さな子をそんな可哀そうな目にあわしたくない、この子は自分の子として私が育てると言ってくれたそうです。母は実の親に捨てられて叔父夫婦に育てられたのですが、置かれた境遇にめげない母の天真爛漫さと叔父夫婦の暖かさを思うと、泣けてきたのを覚えています。
私と父の激しい確執も長い間母を苦しめ続けたことは未だに申し訳なくもありますが、でも家庭崩壊までには至らなかったし、親子といえども個性と生き方も違うので、一つ屋根の下での軋轢はやむを得ない面もあるはずです。乱暴な言い方かも知れませんが、どんなに激しく衝突しても、一つの個性一つの生き方としてお互いを容認できる日が来れば、それでいいのではないかと思ったりします。
母の大らかで楽天的な気質は、実はそれこそ母の強さの源だったように思えます。悲観的になれば暗くなる一方というような境遇にめげず、自分と言う一つの命を、天寿を全うと言えるほどに生き抜き生き尽くすことができたのも、その持ち前の気質に拠るところが大きかったのではと思えます。父と結婚した直後胃下垂とかの持病で、医者に24歳までは生きられないと言われたとよく笑い話にしていましたが、それ以上はないような立派な生涯だったと思います。告別式の後の挨拶で、拍手で送りだす方がふさわしいと思わず言ってしまいましたが、お悔やみよりはお祝いの方がふさわしいとも思っていたのです。
母の死から一週間も経ち、父を見送り、母を見送って、長男としての務めも果たしたかなと思うとほっとしたというか楽になって、もう何時死んだっていいくらいの自由感を得ています。
70路に入ると周りを見回しても、親世代は探さなければ居ないほど少なくなっていて、世代交代を正味実感します。私に信心は無いのですが、死ねば仏になるというか、不思議なことに死者は、その一番輝いている姿で人々の記憶の中に刻み込まれているようです。正視したくない枯れ果ててミイラのような母の姿とか、死んだその瞬間から記憶を消すかのように忘れる一方で、仏になったのか、今は一番輝いていた頃の記憶のみの残像となりつつあります。私の望むような一番良い姿でこれからは居てくれるのかな、神様になったようだねと言うと、母は得意顔でにっこり笑い返しているようです。

posted by 明石 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2020年10月10日

コロナ騒動後の世界

緊急事態宣言を解除して経済活動再開を本格化させた時から、いずれコロナ感染者は桁違いに増えるだろうと思っていたのですが、そうなることもなく感染者数は横ばいから下がり気味で、日本は米国やブラジルのようにはならないのだろうとほぼ確信できるようになってきました。全国どこでもマスクを着用していない通行人が殆ど居ないだろうほどに、日本人は全体的に見れば申し合わせたように同じような、つまりは秩序だった行動をするという特質が大きいのではないかと思ったりします。先のブログで独立国なら自分の国は自分で守るのは基本だと記しましたが、その源は自分の身は自分で守らないと誰も守ってくれない個としての在り様と全く同じです。
このコロナウイルス騒動の後世界はどう変わるのか、まだ出口は見えませんが、経済至上主義とそれに伴う行き過ぎたグローバリズムが後退して、緑と命を取りもどすような地球再生に努める真に必要なグローバリズムが世界を覆い尽くさないと、そう遠くない数十年後とかの将来、人類は絶滅の途に着くのではないかと思ったりします。
仮に今温暖化ガスの排出をゼロにしたとしても、これまでに排出されたガスでもはや手遅れ的に温暖化は止められないそうですが、何百年何千年かかろうと地球の再生に努めないと、終焉が加速的に早くなるだけです。
地球にはこれまで5回氷河期があって、誕生した命の種の98%は絶滅しているそうですが、何億年とかの時間軸で見ると、誕生した命の種は全て絶滅種とも言えそうで、人間とて例外であるはずはないし、加えて自滅種であるとさえ言えそうです。
地球という命を育む星の自然環境を破壊し尽くした人類が地上から消え、何千年か何万年という時間の経過と共に、地球は再生するのだろうとは思います。地球に浄化作用があると言うのは、人間には及びもつかないような時間軸と共にあるということです。浄化と共に再生した地球は、その度に別の命の種に変わるはずです。そうではなくて、人類がこの地球上にこの先少しでも長く存在したいなら、自ら破壊し続けてきた地球の自然環境の再生に努め、生き残れる可能性を少しでも高めようと努力し続けるのが唯一の道だと思っています。
命の尊さは、生きて在るからではなく、どんな劣悪な環境でも必死で精一杯生きようとするから尊いのだと、もう何度も記してきましたが、今の時代どこまで悪くなるのか将来に不安しか持てなくて、ことに若い人ほどそうなのだろうと思っていますが、命はどんな劣悪な環境でも必死に生きようとする、燃えようとするエネルギーを根源的に秘めている、とだけは伝えておきたいです。
posted by 明石 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言