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2020年06月21日

50年後の20歳

このブログは10年前ブドウの販売をアシストするためブドウの生育日誌として始めたのですが、近年はブドウに関しては殆ど書かなくなっています。ブドウ作りの記事を楽しみにしていた読者もあって、あまりに書かなくなるとブドウ作りを止めたのかなと思われたりもするようですが、私の日々は相変わらずブドウとミカン果樹栽培主体で、昼間の時間はそのためにあるということに変わりはありません。書かなくなったのは生育状況や作業状況を最初の1年で1サイクルを詳しく書くと、同じことを毎年繰り返して書く意味がないからです。その年年のお天気次第で多少の違いが生じたり、出荷できないほどに不出来な時も稀にはありますが、30年間を通して見ると早い遅いと言っても1週間程度でそれほど大きな違いはないようです。問題はこれからで、これ以上気温が上昇して夏場に40度以上が頻発すると、不作の領域に入るのだろうと懸念しています。
私の一つの願いは、生涯を現役の生産者のまま終わりたい、ということです。山の中腹斜面にあるブドウとミカンの園地が、私の日々の生活の中心と言える場所です。私は他の何でもなく、ただの一人の農業人であり、最期までそれを全うしたいと願っています。ここをしっかり確保していれば、ブログや小説に何を書こうが書くということは、それは付録です。

最近大学一回生の頃友人だった倉成氏からメールが入り、その後電話で話もしました。何年か前いたずら心的にネットで「明石国広」を検索したら、まさかの本人が出てきてびっくりしたそうです。今回はそれ以来2度目ですが、電話で1時間余り話しましたが、声は学生の頃と全く同じで、あれから50年も経つのに何でこれほど同じ声なのだろうと、逆に疑問に思ってしまうほどです。余談になりますが、カラオケを5年ほど続けているうちに、人それぞれの声は顔形外見以上に個性が強いのではないかと思うようになりました。声紋判定は多分人相判定より本人識別は確実なのではと思ったりします。
話を戻しますが、倉成氏は私が作家になっているはずだと思っていたようで、そうでないことの方が疑問であったようです。「順番がちょっと違っただけだよ。最初にやろうとしたことが最後になった。あのまま続けていれば多分30歳までにはこの世から消えていたと思う。そんな自分を封印して、生身の燃焼を積み重ねて30年後とか、その時まだ書きたい欲求があるのであれば拾い上げて行こうと思いを定めた。60歳になってブドウの直販のためホームページを立ち上げて、販売アシストのためブドウの生育日誌をブログに書くことにした。それが始まりだ。」と手短に説明したのですが、「やはり私の知っている明石君のままだ。」と倉成氏は感嘆まじりというか嬉しそうだった。そう言えば彼の知っている私は、学生の時も今も、書いている時ばかりの私なのだと思うと、50年と言う時間を隔てているのにその偶然性に少し驚きます。
言い方が適当なのかどうか分かりませんが、一人の人間として命の生身の燃焼が何より大切と方向転換したのは、今振り返っても驚くほどの正解だったと思います。この先何を書いたとしても、それは私にとっておまけか付録なのだと思っています。私の日々の生活の中心はブドウやミカンの園地です。ここが充実した燃焼の場でないと、私もただのつまらない老人になるだけです。
posted by 明石 at 00:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 園主の独り言