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2019年10月29日

私流(チヌ釣り編)

釣りに行かなくなって6年目になりますが、30年以上続いたことを止めても今のところ、釣りをしたいという蒸し返しは殆どないようです。別に釣りを止めようとか思った訳ではありませんが、宇和島あたりへ日帰り釣行すると疲れが3日も残るので、それが億劫になって行かなくなっただけです。釣りも始めて20年くらいは向上心に燃えてやっていたのですが、今考えてみると地元大屋冨の筏で8時間余りで192枚のチヌを釣りあげ、吐き気がしてもううんざりした時、そこをピークに向上心を失くしていったような気がします。
釣りを始めたのは30歳頃で、当時私は会社でもプライベートでも余暇は野球ばっかりで、会社の上司に3年がかりで口説かれてやむなく釣りに同行したのですが、教えられた通りに釣るといきなり35センチのチヌを釣りあげてびっくりです。その衝撃が強烈でチヌ釣りにのめり込むことになったのですが、釣り方を教えてもらったのもこの1回限りで、後はここを起点に釣りの世界にまっしぐら、10年くらいは仕事をしていても頭のどこかでチヌが泳いでいるほどでした。
海の底は見えていないから想像力でどこまで真相に迫れるかです。竿の穂先に出るアタリだけで海の底の状況を把握するには、経験をどれほど積んでその分析をどれほど正確にやれるか、ということになります。釣りもブドウ作りも対象が違うだけで、基本的に手法は一緒とだと常々私は言ってきましたが、それは今も変わりません。
私の釣りはチヌが主体で、赤土とか壁土とかに集魚剤を混ぜて土ダンゴを作り、エサを付けた針をそのダンゴに包んで海底に届け、着底後タイミングを測ってダンゴからエサの付いた針を抜き出しチヌに食わせる、中四国ではバクダン釣法と言われている釣りです。
ブドウなら生理構造ですが、魚なら習性をどこまで把握できるかで、習性は潮の流れの速い所と遅い所動かぬ所では全く違うため、同じチヌでも共通事項とその土地の独自性があって厄介です。
地元大屋冨の筏でギネス的な爆釣をしたのが多分釣り歴20年ごろのはずで、そこまでは瀬戸内とか鳴門の潮の速い所ばかりで釣っていましたが、その後は高知の浦の内や野見湾5〜6年通って、宇和島の吉田湾、北灘の「チヌ屋くまさか」へと場所を変えました。高知も宇和島も潮の流れが遅すぎて、食性が全くゆっくりしているので、私は特に鳴門の急流釣りでの瞬殺の合わせを得意としているので往生しました。
私の釣り歴は34年ほどで止まったままですが、通った釣り場では殆ど数釣りの記録は大幅に更新しているはずです。34年間でどれほどのチヌを釣ったのか、記帳記録するほどマニアックではないので分かりませんが、多分大雑把に言って2万匹は越えているのではと思っています。私はハラミチヌは釣りたくないので春はチヌ釣りをしませんが、年7〜8か月はチヌをターゲットにしていました。夏から冬まで、潮の急流から動かぬ所まで、いろいろな場所でいろいろな気象環境の中でチヌを釣り続けて、穂先に出るチヌのアタリを見続けると、所によって季節によってまた時間によってもそのアタリは全く違うものであったりします。
それを克服して釣りあげた2万匹は、別にその数がどうだとは思っていませんが、そこまで釣らないと言葉では伝えきれない感覚みたいなものがあるようです。
釣り座に座ってチヌと向き合う時、どんな食い方をしてもチヌのアタリだけは見抜ける確信があると、その自負は多分誰よりも強く持っているのかも知れないとは思います。
posted by 明石 at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2019年10月28日

私流(ブドウ編)

私が就農したのは38歳の時ですが、施設栽培で種無しピオーネを作るにあたって、一つ私が心に決めていたことは、作る前から書物などで雑多な知識を詰め込まないということです。実は私の父も、あいつは頭で勝負するタイプだから本など読んで知識先行で理屈ばかり言うのではと懸念していたようですが、私は現場主義というか未経験な領域では先ず白紙状態で経験を積み上げることを優先します。
農家の息子とはいえたまに手伝うことはあっても、主体で作るという意味では農業経験はゼロで、ブドウを作るにあたって手元にあるのは、生産工程及び防除暦を箇条書きに記したA3用紙一枚のマニュアルと父の通り一辺倒な大雑把な知識だけです。ここからブドウ作りをどう展開したかは、以前ブログに記したこともありますが、自分の感性主体のひたすら体験学習です。
毎日園内の最低最高気温とか天気状況を分厚い一冊のノートに記録し、ブドウの生育状況と作業状況をもう一冊のノートに記録しながら、ともかくブドウの状態の変化をひたすら見続けます。特に私が注目し続けたのは葉の状態です。活力の高い樹を作りより高品質な果実を得るには葉と根こそがその源であるはずだから、目に見える葉の状態を目を凝らして見続けます。それは何年も何年も続くと、朝園地に入るとむき出しの腕の毛穴がざわつくような皮膚感覚があって、微妙な変化を目より早く感知していることもあるほどでした。乳幼児とか動物の一瞬で敵味方を見抜くあの直観力をどこかで思い描いていたのかもしれません。感性を研ぎ澄まして真理に迫れ、その思いは私の中では何事に対しても基本となっているのかもしれません。
天気状況と生育及び作業状況を2冊のノートに記録し続けていくと、2年や3年では分析対象となるようなデーターにはなりませんが、5年以上になるとそれなりのデーターとなり、現在では30年以上となって分厚いノートもそろそろ6冊目になりそうです。私はこのデーターを分析して、ブドウの生育状況と温度との関係とか潅水のタイミングとか、すべてを自分の経験値記録値から割り出します。
ブドウに関する著作を読まないようにしていましたが、病気や害虫とか農薬の専門書とかは別で、最初から手元において事あるたびにその正体を調べていました。ブドウに取り組んで20年が経ったころ、ブドウに関するどんな著作を読んでも構わないと、初めて自分に許可を出しました。20年もデーターを取り続けてそれを分析し続けると、ブドウの生理構造を基本的に的確に把握できていたと思うし、唯一のたたき台としていたマニュアルの不備もことに加温栽培での設定温度のでたらめさなど、早々に見抜けていました。またブドウの大産地の常識常道が、作り手の都合でブドウの健全な生育を捻じ曲げているところがあるようだとも早くから思っていました。
20年後に読書を解禁してブドウの作り方的な本を何冊か読んでみましたが、正直そこから得られるようなものはあまりなさそうでした。書かれていることが正しいか否かは自分の把握していることから即座に判断できるし、学説と現場のズレみたいなところが本には多々あって、その後その類の本は二度と読みません。
始める前に雑多な知識を詰め込まないで、何も持たずに現場へ出て、そこで体験学習を通じて生きた知識を積み上げることを基本とするのが私の流儀です。始める前に雑多な知識を詰め込むと、却って真相が見えにくくなり右往左往迷走して、自分を確立するのが遅れるのだと思っています。
ブドウ作り30年余りに渡って積み上げたものが、ブドウに関する全ての著作を上回るほどにブドウの全てを把握しているかと言えば、それはないです。30年を越えてでも新しい発見は次々とあるし、どこまで行っても完璧など到達し得ないのだろうと思っています。自分が相応に確立されているなら、自分以外の他者の視点に触れて新たな発見発想を得ることもあるだろうし、ブドウ以外更には農業以外のところでもブドウに関する新たな発見発想を得られることもあるはずだと思っています。
posted by 明石 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2019年10月19日

方向転換(未知との遭遇)

やっと秋らしく涼しくなってきて、我に帰るというか、暑さの中影を潜めていた書くことに向き合おうとする自分に辿り着きそうです。無理をしてまで書くことに向き合う必要はないとの思いは常に何処かにありますが、書くことへの欲求がそれを上回れば自ずと従うまでです。雑念や邪念から離脱して、ごく単純に書きたいことを書きたいように書くだけです。大切なのは自分の内に湧き起こる欲求です。70歳を迎えるにあたって更に活性を取り戻そうと、私は私の内なる欲求に耳をより傾け続けています。
先日ミカンの苗木を70本予約注文しました。ミカンはある程度採算が出るようになるのに10年は要しますが、70歳だと10年後は80歳だから自分でも笑ってしまいますが、でもこれをやるとやる気と元気がみなぎってきて活性が高まります。10年後の80歳でも苗木を植え付けるほど元気であればと、そう思うとなんだか嬉し楽しくなってきます。
私は60代半ばから生き方を真逆に方向転換してきているのです。あまりに早すぎた終活というか、奥さんと二人でできる程度に生産規模の縮小を60歳ごろから始めて、気づけば終活サイクルに入ってしまっていました。終活とは終わり支度だから面白くなさが募るばかりで、60〜65歳ごろは秋が来ると早くお迎えが来ることを願ったりしていました。終わるための準備は終わりそのものを引き寄せる結果を招き、終わりを待つだけなら自分で終わらせてしまおうかと思うくらいストレートで短絡的なところが私にはあるのですが、60歳を過ぎての自死はさすがに今更なんだと思ってしまいます。まして終わりたい理由が生きるのに飽きたというのではプラスにもマイナスにもエネルギーの充填ができません。
60歳に到達したとき、60歳まで生きられたのならもう何時終わってもいいとの思いに包まれたりしました。八方塞がりで今日死ぬのか明日死ぬのか、死の想念に囚われていた20歳の頃、自分を叩き壊して濁流に身を投げるように生の側へ帰還したのですが、30歳までは生きられないだろうと思っていた自分からすると、60歳を迎えたことは十分すぎるほどの到達感がありました。
60半ばからの方向転換は、活性を取り戻すために自分の欲求に耳を傾け、年齢とか外的要因でそれをスポイルしないことです。先日ミカンの苗木を70本注文したと言いましたが、本格的に出荷販売するのに10年は要するものを70歳で植え付けると80歳でやっとということになります。終活路線だと在り得ないことですが、5〜6年前からブドウを止めたハウス跡にミカンの苗木を植え付け始めてから、次第に加速して、それが終活サイクルを打破したのです。特に4年ほど前から毎年50本以上の苗木を植え付けて、その度にやる気と元気が出て私は活性を取りもどしています。
65歳から始めたカラオケもその一つで、カラオケ大嫌いだった私がまさかカラオケ通いするようになるとは、未だに何かの間違いみたいな感はありますが、予想もしなかったような自分と出会うことは可能性が新たに広がるようで楽しいです。よりフリーに生きようとするなら、自分はどうなのだと自己規定するのをやめて、自分の欲求に耳を傾けてそれを大切にすることです。最近は週一回程度の一人カラオケが多くなっていますが、確か5年目に入って思うことは、思いっきり声を出すことはストレス発散とか呼吸器系統とか心身ともに凄い健康法になってるようです。CDに自分の歌を取り込めば別に文章なんか残さなくてもいいか、と時たま思うことがあるほどです。
そのうち若い彼女ができたりするかもと奥さんに言うと、「あんた金持ちじゃないから若い子が相手にしないわよ!」とばっさり。活力を高めて元気でいようとするなら、自分から老け込まないことです。年輪は年毎に刻まれて外側へと広がりますが、コアの部分は動脈硬化とか起こさない限りあまり変わらずにあるようです。そこを枯らさずに持続することが活力を高め活性を得る最大のポイントなのだろうと、私の方向転換は年齢に背きます。
posted by 明石 at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言