検索ボックス

<< 2015年02月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
最近の記事
最近のコメント
天山 何処までも大きく by 明石園芸 園主 (07/19)
天山 何処までも大きく by 小西俊雄 (07/19)
天山 何処までも大きく by 小西俊雄 (07/19)
天山 裂果とは別に by 瀬戸口 光弘 (07/02)
苗床準備 by budou83 (01/13)
最近のトラックバック
カテゴリ
過去ログ
Powered by さくらのブログ

2015年02月28日

5年目を終えて

ホームページを開設してブログを書き始めてから、今回で丸5年が終了します。
週一回の更新を一度も休むことなく5年間続けましたが、私には子供の頃からそんな性向があって、自分からやると決めたことは、もういいと思うまでひたすらやり続けます。
例のお茶会も同じです。4年間で欠席したのは入院していた時一回だけで、その時も手術後4日目でありながら、外出許可をもらおうとして担当医に呆れられたり、それほどお茶会に行きたかったのかというと、ひとえに決めたことに穴を開けるのが嫌だっただけです。
これはいったい何だろうと考えてみると、拠点を作ろうとするような動機が自分の中に在りそうです。どこか一か所でも維持集中し続けるところがあれば、後のことはどうでも構わない的な発想が自分の中にあるのは確かで、ブドウ作り一点に本気で集中していれば他のことはどうだっていいとの思いで長い時間を過ごしてきたことと全く同じことです。
これほど決めたことを徹底してやり通す人は随分几帳面なのだろうと思われるかもしれませんが、事実は全く逆で、私は多くのことでいい加減だったり雑であるが故に、それだけだと何も無い自分であるため、どこかに自分を築く必要があるのかとも思ったりします。
だから自分で決めた一点はどんな状態でも続けようとするのだろうと、そんな見方もできそうですが、続けるということはどんな些細なことでも簡単ではありません。
ブログに戻しますが、5年間続けて、これほど書きたくなくて気が乗らないのに何故書くのかと自問することも正直よくありましたが、続けることを大切に思う自分が結局勝っていたのだと思っています。以外に思われるかも知れませんが、書きたくて書いているときより嫌嫌書いている時に良い文章を刻むことが結構あるということです。
書くということは誰かに何かを伝えたいという以上に自分を知ることでありそうだと、5年続けてそんな感想もあります。頭の中に去来する様々な思いは断片的であったり、そのままだといずれ埋没して忘れ去ってしまいますが、書くことで思いを形にして繋ぎとめておけます。
作為とか意図的であることを極力排除して、フリーでランダムに気の向くままを心がけてきたのは、自分の素地というか本質的な部分により近づくためですが、自分ごとでありながらブロックされた部分に踏み入るのはやはり難しいようです。
昨年秋頃からブログも難しい局面に入っています。書きたくないことが増えすぎているためです。悲観的に未来を語るのは簡単ですが、生物の生理構造は光を求め続けるようにできていると思っていて、光を見出そうとすればするほど暗黒面に呑まれそうになったりします。絶望は終着点ではなく出発点だとの思いもありますが、どの道光は闇との格闘を避けられないのだとも思っています。
書き続けて5年を終えた今、必ず毎週更新するというのはもう止めますが、ブログそのものを止めようとは思っていません。次のステップに移るためにはこれまでとは違った新たな形が必要になってきているようです。
posted by 明石 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月22日

時の旅人

どこへ行こうと同じだということはうんざりするほど分かっていたのだけれど、じっとしていると部屋の壁に押し潰されそうになり、アルバイトで金を作っては部屋を飛び出して旅に出るということを繰り返していた学生時代。肩書きは学生であっても、実際は放浪者という方がふさわしい2年余りの期間がありました。
方位は裏か北かで、磁針が表と南に振れることはなく、山陰から北陸、東北の日本海側を経て、一度北海道へ行くと針はそこを指したままになりました。何度訪れたのか正確には思い起こせませんが、網走から根室へ向かうバスの中で、延々と続く直線の道路に他の車を殆ど見ず、民家も無く、地の果てを走っているような寒々しさを覚え、多分その時に旅の終わりを刻印されたようです。
心象と現実の風景は全く別物であり、例えば冬の北海道の原野を倒れるまで歩いてみたいという心象風景などは、実際にその場に立つと一瞬で吹き飛ばされる無知な妄想であることを痛切に思いしらされたり、人など寄せ付けない自然の厳しさを知るばかりです。
無人の荒野を目指すような旅の終わりに、帰ろうと思ったことが収穫といえば最大の収穫であったのかも知れません。
空間的な旅が終わっても、その後も時の旅は続いています。生きている物は全て時の旅人で、刻一刻移り変わり、決して同じところにとどまることはない。
時たま、この年になっても、北海道を彷徨っている夢を見ることがあります。時の彼方に消え去ってしまわない何かが、自分の内にいまだ点滅するのだろうと思ったりします。
posted by 明石 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月14日

雨にも負け 風にも負け

「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」の裏バージョン的に「雨にも負け 風にも負け」を書きたくなることがよくあるのですが、宮沢賢治氏を冒涜することになってはいけないのでその都度自重します。私は賢治さんの詩のように立派な人を目指したことは一度もなく、行く手を遮るものはお天気だろうと誰だろうと、悪態をついたり喰ってかかったり蹴飛ばしたり、阿修羅により近い側なのだろうと自分では思っています。
阿修羅の剣のカラクリに少年の頃より気づいていましたが、斬り捨てたと思う度に斬られているのは自分の方で、斬りかかる度に自分のどこかが傷ついて血を吹きだしても、世の中は全く何事もなかったかのように平穏な日常が展開しているばかりです。
この年になるとさすがにきな臭さは無くなりましたが、持ち前の反骨精神だけは如何ともし難いところがあるようです。農業が急加速で崩壊するその局面で農業人として歩んだことを、自分では結構気に入ってるというか、らしい、ふさわしいと思ったりもします。
高品質高価格の実現を目指して、一人でもこの八方塞がりの状況を突破できれば、農業に希望を取り戻せるのではと努めてきましたが、それも叶わぬ夢で終わりそうです。既に昨年から規模縮小コスト削減に本格的に取り組み、どうにか食っていけたらあとは楽しむ農業に方向転換して、重荷を解いてしまっています。
全身全霊を賭けて打ち込めるものなら何でもよかったというところはありますが、劣悪なお天気に一瞬で駄目にされる農業に、職人なら百%自分の力で勝負したいと他の職種を羨むことも時たまありました。全力を尽くしても及ばない、届かない、人からすれば無限とも言える広がりが農業にはあって、故に無限に学べる可能性もあるのだと考えると、百%自分の力で勝負する世界より却って良いのかなと、最近そう思えるようにもなりました。
雨にも負け 風にも負け 負けて負け続け、されど負ける度に学び、一歩でも前に進めたら、それが人の在り様ではないのかと、そんな風に思ったりします。
posted by 明石 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2015年02月07日

時折農林漁業に飛び込む若者たちが報道されたりしますが、こちらの方がどこか緊張して映像画面に見入ってしまいます。動機が立派であるほどに、ままならぬ現実にどこまで耐えられるか、凌ぎ切れそうか、つい覚悟のほどを見定めようとしてしまいます。
専業で生活するのが困難な時代であるだけに、農林漁業に飛び込みなさいと無責任なことは言えませんが、本音ではそう願っているのは確かです。
私はこのブログで日本の農業は終わってしまう的な言い方はよくしますが、農林漁業は消滅してしまうのかと言えば、決してそうはならないと思っています。
食糧問題と環境問題とでいずれ世界危機となれば、国としての自給力は死活問題になるだろうし、作る能力があって作らない国は、国際的に非難の集中砲火を浴びるのは間違いなさそうです。
問題は何時どのタイミングでということですが、温暖化による気候変動は科学者の予想をはるかに上回って急加速してきたことを考えても、今年でも来年でも何時でも起こり得るところまで来ていると思っています。
例えば世界の穀倉地帯と言われる地域で、その何割かが猛暑や干ばつで不作となれば、世界的な食糧パニックは必至だし、ここまで来るとそんなことは起こらないと楽観視するほうがおかしいように思えます。じわじわとではなく突発的に来るのが食糧危機だと考えておいたほうが良さそうです。
世界が食糧危機に陥ると、より経済性に重きを置いた価値観は一変するのだろうと思います。
農林漁業は国の基盤であり、ここに自給力のない経済大国など、瞬時の夢的な危うさと共にあるのだと思います。状況次第では世界はグローバルであったり、個別であったり、豹変することも頭に入れておくべきではないかと思います。
不安定な富を目指すより、確かさを求めて国づくりがなされないと、これから先の生き残りは厳しくなりそうです。
農林漁業は自然の中での生産活動であるが故に、自然との調和を願い、大地や海を慈しみ、生命の尊さを思う心が自ずと育まれます。
農林漁業に飛び込む若者たちが、厳しい現実に直面しながらも、新たな未来、新たな価値観を切り開くことを心から願っています。
posted by 明石 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言