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2014年10月25日

最後の仕事

団塊の世代と呼ばれる昭和22〜24年生まれが、年内には全て年金受給年齢に達する訳ですが、この世代はその数の多さ故に行く先々で社会に変動をもたらす、貧乏くじばかりを引かされる世代であるようです。私も出生数最多の昭和24年生まれですが、数の多さで得をした記憶は殆どなく、一山なんぼ的な扱いを受け続けてきたような気がします。
テレビ討論番組などを見ていると、団塊の世代はことに若者達に嫌がられているようで、この世代が全員年金受給者になると社会保障財政を圧迫する元凶のように言われたりするのを、実に腹立たしく見ています。団塊の世代が60歳に達する直前に支給年齢が65歳に引き上げられたこの一事を見ても、この世代が数の多さ故に貧乏くじを引かされ続ける世代であることは明白です。
自分たちの負担増の元凶という若者達の白い眼に腹を立てながら、この世代こそ一部とはいえ学生運動で既存の社会秩序に反旗を掲げた唯一の世代であり、フォークソングとか独自の若者文化を生み出した唯一の世代であり、どうでもいいけどついでに言えば学力世界一でもあったのです。
私は団塊の世代はまだ一つ大きな仕事を残していると思っています。それはこの世代が戦後の貧しさの中で育ち、数の多さ故競争を強いられながら激動の時代を一身で生きてきたからです。裸電球に竈というところから始まって現在に至る、その生活の変遷を一身で潜り抜けてきているということは、団塊世代の共通体験であり財産であるはずです。この世代が自分の生涯と静かに向き合えば、より望ましい暮らしや生き方がどこにあるのか、その答えが一人一人に深く内包されているはずだからです。
10歳前後までの日々はその人にとって原風景であり、意識するか否かにかかわらず、必ずその人の記憶の底に宿っているはずです。現役最前線から既に離脱の途にある団塊世代は、自分の原風景に照らして、豊かになったのか、幸せになったのかを問い返せば、時代や社会が透けて見えてくるのではないかと思います。
先日「四国羅針盤」というNHKの地方番組で、欧米の旅行者達が四国の祖谷地方を訪れて、そこでの人たちの暮らし振りに触れて感動している様子が映し出されていました。自給自足的な質素でつつましやかな暮らしぶりはいわば日本の原風景とも言えそうで、それこそ彼らが触れたかった日本であったようです。
戦後の貧しさの中で育った団塊世代の原風景は、地方で育った者ほどこの祖谷の映像とほぼ重なりあうように思えます。日本の田舎の原風景ともいえる時代に育ったという意味で、この世代は最後の希望であるのかも知れません。団塊世代の最後の仕事は、自分の記憶の底に宿る原風景を後の世代に語り継ぐことなのだろうと、そんな風に考えます。
posted by 明石 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年10月18日

イノシシ防止柵

10月に入ってミカンの園地周りにイノシシ防止柵を作っています。
園地の周囲を2m間隔で木柱を建て、地際から20p以内の間隔で高さ120pまでパイプを張り巡らします。イノシシ小僧とアライグマはこの間隔では素通りですが、今回は枝を折ったり根こそぎ的食害の親イノシシ対策です。
予定通り10月半ばまでに柱は建て終わり、10月末までにパイプを張り巡らす積りですが、遅れるとイノシシの食害が始まるので、時間との勝負的な忙しさはあります。
ミカンの品種は普通温州青島系金峰で、苗木を植えてからまだ20年以内の本来なら今が最盛期の木々達です。3年前親父殿の最後の年、販売金額が9万円、農薬肥料等生産資材が20万円というあほらしさもあって、親父殿の死後切り倒そうかとも思ったのですが、上手く作れば糖度13〜14度で酸味とのバランスも良く、その美味しさとさよならは私自身忍びがたくて20a程は残すことにしました。
残すと決めてから、高く立ち上がった枝をダイナミックに切り詰めたり、間伐をしたり再生に取り組んできましたが、今年は低く広がった枝枝に綺麗な実が沢山付いて、やったことが間違いでないことを証明しているかのようです。
農業もどれほど生産コストを上げても販売額でそれを回収できるのなら、お天気対策、獣害対策等相当なことはできますが、例えばこのイノシシ防止柵に数百万円使ったら、それを回収するのは到底不可能です。
だから、柱もパイプも廃材を使っています。お天気対応、獣害対応に追い詰められながら、なおかつ生産コストを可能な限り下げるよう努める、難題続きです。
posted by 明石 at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年10月11日

イスラム国

イスラム圏の紛争は民族紛争であったり宗教紛争であったり、日本人には到底理解できないと長い間そう思っていましたが、果てしなく続く紛争とテロに次々登場するイスラム過激集団を見ていると、彼らは戦争ごっこばかりをしたがる実は怠け者ではないのかと、ここ数年来私の中ではそういう見方が強くなってきています。宗教は単なる衣装、口実に過ぎず、その下で蠢いている動機は多分全く別物で、同じ宗派で枝分かれを重ねていくつもの別グループが存在するということは、日本でもどこにでもある派閥争い権力闘争と全く同質に見えます。
宗教は本来人間を救済するものであるはずですが、自神だけが唯一絶対の神であり異教徒は認めないとなると、信仰故に殺戮が行われ戦争が起きるあまりのパラドックスが待っているだけです。唯一絶対神宗教は世界を征服するまで戦い続け、これは覇権争いを繰り返してきた人類史とその動機では何ら変わりなく、人間を救済することはあり得ないように思われます。
イスラム過激集団でシリア紛争以来急速に勢力を拡大しているのが「イスラム国」です。巧妙なプロパガンダで世界中から兵士を募り、世界の各地からそれに呼応して参戦する若者たちが急増しているという現象は、他人事ではない怖さがあります。
イスラム国に飛び込んだ若者たちの動機は各人それぞれだとしても、共通しているのは社会に夢も希望も自分の居場所も見出せないということであるようです。イスラム過激主義に共鳴しての参戦というのとはどうも事情は違っているようで、対世界の戦場であるということが彼らを駆り立てる理由であるならば、その矛先はいずれ自分の母国に向けられているはずです。
イスラム国は社会に夢も希望も持てない世界の若者達の格好の受け皿となりつつあり、その流れが加速すれば対イスラム過激派との戦いが気がつけば対自国の若者達という構図になり変り、事態は混迷を深めることになりそうです。
日本も米国もヨーロッパも先進諸国といえどもその社会構造は、若者達(若者に限らず)が息が詰まって窒息死しそうになるほどつまらないものになっているということの方が、イスラム過激派よりはよほど深刻な問題だと思えます。
posted by 明石 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年10月04日

道標

菜園に種蒔きした大根、ホウレン草が発芽してすくすく育っています。
畑仕事を終えた夕方毎日菜園に立ち寄りますが、生育ぶりを見ることで私の方にも癒し効果が生じているようです。畑の方も昨年から植え付け始めた紅みかん、栗、リンゴが雑草に埋もれても負けもせず根付いて育っています。
植物とはいえひとつひとつの生命であることに変わりはなく、育つ様を見ていると生命の温もりが伝わってくるようで、植物と向き合って育てていれば話し相手が誰一人居なくとも、私は多分大丈夫なのだろうと、ふとそんな思いが湧き起こってきます。
植物と言葉を交わせる訳では無論ありませんが、育つ環境を整えたり障害を取り除いたりすると、生き生きと活性を満開にして生命が輝く様は、育てる喜び、育つ喜びが交錯する生命の相互交感作用が存在していて、語らずとも無言の会話はあたかも成立しているかのようです。
農業は自然の中での営為であり、自然のなせる術に人間が無力であるが故に、天候とか自然との調和をひたすら願い続けます。大地を愛おしみ自然の恵みに感謝する心も、無力であるが故に自ずと育まれます。
農業の中にこそ社会をより良き方向へ転換させる人間の根源的な在り方、精神があると、その思いは私のなかでは確信めいています。
農業が滅びるということはそんな精神、心が無くなるということであり、社会は惰性のままに破局へ向かうだけなのだろうと思えます。
私は専業の販売農家ですが、農業には市場経済には収まりきらない深さと広さがあり、どうにか食っていければこれほど充実感を得られる仕事は他に無いと思っています。
全身全霊総力を挙げて完全燃焼する場として、農業は私にとって最適であるようです。
posted by 明石 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言