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2014年02月28日

舞い降りた神

ソチオリンピックが終わって漸く普段の日常が帰ってきましたが、考えてみるとオリンピックの期間中も日常は日常としてあったわけで、プラスアルファ的にオリンピックを楽しませてもらったということになるのだろうと思います。
アスリート達の熱き闘いにこれほど心打たれるのは何でだろうと考えてみると、アスリート魂が世界の頂点を目指してぶつかり合う混じりっ気のなさと、そこに至るアスリート一人一人のドラマがぶつかって新たなドラマを生み出すドラマ性を伴っているからではないかと思えます。
勝敗がタイムとか距離とか物理的に決着する競技は良いのですが、審判の採点で決まる競技はやはりどこか一抹の??が付きまとうようです。オリンピックという最高の舞台を目指して精進を重ねてきたアスリート達に報いるには、審判員も公平公正に全力で努めないと、スポーツの醍醐味を損なうことになりかねません。せめてスポーツという一点くらいで公平公正な世界を築いて欲しいと思うし、それができるのであればスポーツの世界を規範として、他の分野でもよりまともな世界への展望が開けるではと思ったりします。
真央ちゃんは今回はたして自分の納得できる演技ができるのか、正直疑問に思っていたのですが、ショートプログラムは予想もしないほどの不出来に終わり、翌日の練習の映像も前日のショックに打ちのめされている風で、これではフリーはどこまでガタガタになるのだろうか見るに耐えない思いでいました。
フリー本番スタート位置についたとき、真央ちゃんの表情が一変していて、怒りさえあるような強い意志を感じました。冒頭のトリプルアクセルを今シーズン初めて成功させて降りたった時、神様が舞い降りたように感じてしまいました。GPシリーズからずっと見ていて、練習でできても試合でできない、あまりにもトリプルアクセルに神経質になり過ぎているのと、不安のこちら側を抜け出せないでいるのが結果に出ているようでした。姉の舞さんと佐藤コーチに活を入れられたようですが、短い時間のうちに強い気持ちを呼び起こしたのは間違いなく、それがスタート位置についた時の表情に現れていたようです。
どん底から神がかり的なフリーの舞は見る者を痛いほどに感動させ、浅田真央というアスリートの能力の凄さを存分に示しましたが、それは同時に真央ちゃん自身が自縄自縛の殻を突き破った瞬間でもあるように見えました。
メダルには届きませんでしたが、メダリスト達よりはるかに世界に感動を与えたことは、アスリートとしての真骨頂というか最大の栄誉を得たことになるのだと思います。
真央ちゃん同様上村愛ちゃんもメダルには届きませんでしたが、全力を出し切ったアスリートとしての姿には心打たれました。世界に挑むアスリート達、結果よりその挑む姿に映像を通してではありますが、アスリート魂、アスリートストーリにしびれます。
私的に言えば、アスリートもアーティストも職人も研究者もスペシャリストは、根っこでは共通しています。一事ではありながらその一事に全力を傾けて取り組むと、様々な事象はその姿勢のもとに集積されてきます。どこかで記したことがあるかと思いますが、一事は万事に通じてもその逆は無いのです。
posted by 明石 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年02月22日

会員価格設定しました

昨年10月瀬戸ジャイアンツの販売を終えた直後、ブドウ各品種の販売価格を海外交渉価格に変更して、現在も店頭表示はそのままですが、その時ブログでお知らせしたように、従来通りの価格で出せるよう会員価格を設定しました。トップページの右上「ログイン会員登録」をクリックして、メールアドレス、パスワードを入力してログインしてもらうと、品種ごとに会員価格のページが開きます。
店頭価格を高いままにしておくと国内販売に支障はありそうですが、今年8月にサウジアラビアにサンプルを送ることなど海外との交渉も暫く続きそうで、海外を攻める以上その態勢を取るのは止む無しというところです。
販売価格は従来通りですが、唯一ハイベリーだけは品質が目標レベルに近づいたということから、瀬戸ジャイアンツ並みの価格に変更しています。ハイベリーは東京市場でs単価5000円で取引されていたり、現況では極めて高値のブドウなのです。私の設定価格が市場より低くなると、百貨店等業者さん相手に困ってしまうことも時々あって、海外を攻めるだけでなく対国内業者用としても、店頭価格は今のままが好都合という事情もあります。
4年前ホームページを立ち上げてオール直販に強引に切り替えましたが、リーマンショックと重なったり最悪のタイミングで、販売面はいまだに厳しいものがあります。安くなければ売れないという風潮が何時まで続くのかはわかりませんが、そればかりだと質の高い本物とそれを生み出す技術はこの国から消滅します。私は最後まで私の路線を貫き通す積りですが、今年加温一番手の伊豆錦、ゴルビーの園地は規模縮小、経費削減のため、作るのを止めます。
そのため他の品種が10日程度早くなりそうです。9月にならなければ出荷しなかった瀬戸ジャイアンツが、8月中旬にまで早くなることもありそうです。
今年はまだ商品化できませんが、クイーンニーナの3年生が多少なりとも今年は結実します。こんなに美味しいものができると他の品種は困ってしまうと思うほどの優れものです。たまたまなのかどうかは分かりませんが、私が作る品種は全国的に増える傾向にあって、昨年あたりから新品種は発売まで伏せておこうと思うようになりました。クイーンニーナは仕上がりしだいでは、会員試食サービス的に使うことになるかもしれません。
会員登録など面倒で嫌だという方ももちろん居るでしょうが、私も全国不特定多数よりは、会員登録された手の届く範囲内の方々とのお付き合いを充実させていく姿勢を、これで明確に打ち出したことになるのだと思っています。
posted by 明石 at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年02月15日

虚と実

ネットで世界各国の貧富の格差を見てみると、富裕層への富の集中と急速に増加する貧困層というのが、予想をはるかに越えて現実化しているようです。
米国統計局から出された資料では、米国の貧困層は5000万人で全体の16%と記されています。ちなみに貧困層とは一世帯4人家族で年収22314ドル以下とされています。
国際NGOオックスファムが2014年1月22日にダボス会議に先立って発表した報告書によると、世界人口の1%の最富裕層が世界の富の半分を独占し、その上位85人の資産総額は世界人口の半分の資産総額に匹敵するとされています。
以下世界の富裕層、貧困層をどこで見ても出されている数値はあまり変わらないようで、富の集中と貧困の拡大は先進国途上国を問わず世界的であるようです。
日本においても非正規雇用は40パーセントに達し、そのことだけからしても生活苦の貧困層は過激に増大してきていると思われます。
この3日間毎夜ネットで調べ続けてみたのですが、すでにここまで来ているのかという驚きと、それでもまだ格差拡大に向かい続けている今日社会には愕然とします。
共産主義はすでに崩壊していますが、資本主義の自由主義社会もまさに崩壊局面に入っているのだと思います。1%の富裕層が支配層として君臨するために経済も政治も動いているとしたら、法の建前上の人権、自由、平等は見せかけに過ぎず、民主主義も空手形同然の形骸に過ぎないということになります。
共産主義あるいは社会主義は理念そのものは立派ですが、権力者にとって己の欲望を実現させるのにあれほど好都合な体制は無いわけで、その欲望によって理念が恣意的に捻じ曲げられ続けた結果、理想社会とは正反対の腐敗社会という結果を招いて崩壊したのだろうと思います。
米国を代表とする自由主義も、貧困層の増大と共に社会崩壊は加速し始めているようです。こちらもごく一握りの富裕層が実支配する社会で、本当のところはその暗躍する欲望によって社会が動かされ続けているとするなら、その他圧倒的多数の市民は実は在りもしない自由や民主主義の上で踊らされているに過ぎないということになるのだろうと思います。
アメリカンドリームは実はほぼ幻想であるようです。貧困層に生まれるとよほど高学歴をつけないと貧困層を抜け出すのは困難なようで、米国の富裕層は親が富裕層であったことがほとんどだとされています。ヨーロッパでもそれは同じで、がちがちの門閥学歴主義で特権意識の富裕層ががっちりガードを固めているようです。日本でも少し前NHKの「クローズアップ現代」で取り上げられていましたが、貧困層に生まれると貧困層から抜け出せない負の連鎖を生きることを余儀なくされ、いわば社会に階層が生じてきているとレポートされていました。
貧困は本人の努力が足りないのではなく、社会の構造が貧困を作り出しているのです。人類の歴史はごく一握りの権力者、支配者の欲望に振り回され続けてきた、姿形を変えても根っこでは同じことの繰り返しの社会史ともいえるように思います。「共存共生」のモラルを中心に打ちこまないと活路を開けないのではと思ったりします。
posted by 明石 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年02月08日

明日のジョー

探し物をしてあちこちひっくり返していたら、本棚の片隅から「明日のジョー」の単行本が出てきました。全20巻のうち最後の完結編一冊ですが、我が青春の愛読書のページを久々にめくり、この年になっても変わらない思いが自分の中にあることを懐かしさと共に感じました。
「明日のジョー」は私が18歳の頃週刊少年マガジンで連載が始まったのですが、その頃私は熱烈なボクシングファンで、進学するかプロボクサーになるか秘かに悩んだりもしていたのです。受験で上京した折ボクシングジムを訪れ、サンドバッグ打ちをしてみせると、「良いパンチをしている。打ち方の基本はできている。」と褒められたのですが、「顎が細いから打たれ弱いだろう。」と欠点も指摘され、「本気でやりたくなったら何時でも来なさい。」という言葉に送られてジムを出ました。死ぬまで戦い続ける闘争本能だけになりきれない自分は分かっていて、本気度を知りたくてジムを訪ねたのです。
「明日のジョー」はボクシングをやるならそのように在りたい、私には叶わない願望でした。「矢吹丈」にとってボクシングは、命を燃焼させる唯一の場としてあり、しかも完全燃焼という形で描かれていました。ボクシング以外は皆無に等しく、いわば虚無の上に描かれた一つの命の完全燃焼ですが、フィクションだから可能だとしても、生身の人間には不可能であるが故に憧憬的存在となります。
その後「明日のジョー」は映画化されたりアニメ放送されたりしましたが、役者が演じたり声優が演じたり生ではイメージダウンも甚だしく、本には太刀打ちできないのが「明日のジョー」です。
私はボクシングを選択はしなかったのですが、その私と交錯するように連載が始まった「明日のジョー」は、私の願望を託すようにストーリが展開し、毎週指折り数えるくらい発売日が待ち遠しかったです。
古今東西の書物を読破するために大学に進んだ私は、文学哲学思想書を猛烈に読み漁っていましたが、例えばサルトル、フロイト、マルクス、ドストエフスキーと矢吹丈が私の中で混在していても何の不都合もありませんでした。
40年以上が過ぎて、読み漁った書物は断片的にしか記憶に残っていませんが、「明日のジョー」はストーリを思い起こせるほど記憶の中に刻まれているようです。「明日のジョー」と菅原文太主演の「仁義なき戦い」は、私の青春の代名詞といっても差し支えないようです。
posted by 明石 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2014年02月01日

内なる国

私は48歳まで自らのチームを率いて草野球を続けたほどの体育会系ですが、下半身が衰えて走れなくなって野球を止めた後はスポーツはもっぱら観るほうで、TV画面のこちら側でアスリート達の熱き戦いに胸をときめかしている一人です。
日本のアスリート達が頂点を目指して世界で戦っているのを観て、アドレナリン噴出で必死で応援している圧倒的多数の全国の人々、私もその一人なのですが、そこには熱烈な同胞愛、愛国心が迸っているようです。
例えばこれが世論調査的に電話か街頭で、「あなたには愛国心はありますか?」といきなり問われると、私もそうですが「?」となる人が多いような気がします。「愛国心」という言葉自体に陳腐さを覚えるし、「国」と言われて政治や行政を思い浮かべると、とてもではないが「愛」とは結びつかなくなります。オリンピックとかサッカーのワールドカップとかで熱烈に日本代表を応援しながら、「愛国心」を問われると「?」となるこの落差は何なのだろうと思ってしまいます。
スポーツに限らずノーベル賞とかアカデミー賞とか世界的音楽コンクール等々、日本人が受賞すると嬉しく誇らしく日本全体が高揚感に包まれることを考えると、日本人としての連帯感があるのは疑いようがありません。
「国」とは何なのかいうアプローチの仕方を変える必要があるようです。
政治や行政といった自分の外側にある「国」を、自分の家族、親兄弟、親族、友人、知人と自分から近い順に関係を広げて行き、その総和としてあるものが「国」だと捕らえると、「国」は違った形で見えてくるのではと思います。
何よりも自分の家族が大切で、親兄弟友人達も大切で、その人達が大切にしている人達も大切にしようとなると、友達の友達は皆友達だ的に関係の輪はどんどん広がり、その一つの総和がやがて「国」という形で描かれ、更に関係の輪は「国」にとどまらず「世界」へと広がって行くのだと思います。
自分から始まった関係の総和としての「国」日本を大切に思うなら、「世界」をあるいは「地球」を大切に思うところまで関係の輪は広がり続けねばおかしいのではと思います。
日本を強調しようとするとナショナリズムとか言葉で簡単にレッテル化するような傾向がみられますが、順を辿れば自国を愛さずに世界を愛することができるのかということで、過程的には必然であるだろうし、自分が一番大切、自国が一番大切という点では、誰でも何処の国でも同じなのだと思います。
ソチオリンピックが間もなく始まりますが、真央ちゃんや羽生選手の競技が楽しみです。より高くその一心で自己進化に全精力を傾けるアスリート達には心打たれます。真央ちゃんは先のオリンピックの後佐藤コーチに師事してジャンプを一から見直したそうですが、幼少の頃から体で覚えたものを変えることができるのか無理なのではと思ったのですが、とうとう後一歩のところまで漕ぎ着けたようです。トリプルアクセルが決まってスケート人生がひとまず完結するのを見届けたいのですが、そこまでの困難なストーリを思うと観るこちらの方が固まりそうです。羽生選手も果敢に挑み続けるガッツが男らしくて胸がすかっとします。
オリンピックとなるとテンションが更に上がって、日本全体が日本のアスリート達を熱烈に応援します。極めつけのナショナリズムと言えそうなのに、さすがにそれを言う人は居ないようです。レッテルを貼るように簡単に言葉を貼り付けても、本質に迫ろうとすると、そんな言葉は無意味化されているのです。
posted by 明石 at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言