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2012年02月18日

苗床準備

今年も3月にブドウの苗木を25本植えつけます。
体力的にもきつくなってきているから、苗床も多少は小さめにと思ってはいたのですが、いざ掘り始めると、今まで以上に大きくしかもよりきめ細かく掘ってしまいます。
自分でブレーキが掛けられない自分に呆れてしまいますが、耕し終わった苗床を見ると、これで育たぬはずがないとすっきりした気分になれます。
苗木1本植えるために25平方メートル前後掘り起こし耕します。苗床と言うよりは木1本の永年床として必要なスペース全域ということです。
一度目はツルハシで11〜12月に、二度目は1〜2月に二本鍬で、完熟堆肥を鋤き込みながら堀り耕します。
活力の高い木を作るためには土作りに精魂傾けることが基本です。きつい作業で手抜きしたくもあるのですが、ここを手抜きすると明石園芸仕様の木が作れないし、木が作れないと当然、明石園芸仕様のブドウも作れないということになります。001.JPG
posted by 明石 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年02月04日

正念場

鳩山政権が普天間基地移設問題に躓いて崩壊したのは周知の事実ですが、私はあの時基地移転受け入れを打診して日本全国がノーといえば、当然のことながら、では日米安全保障をどうするのかというところまで行かざるを得ないと期待していたのですが、やはり肩すかしの呆れるばかりのお粗末話で頓挫しました。この問題は米国の圧力の強まりと共に再び本格化します。国民の声より米国政府の意向を重視するこの国の政治の伝統は、政権が変わってもやはり同じで、辺野古移設の域を一歩も出ないで終始するだろうことは明白です。
民主党は政権発足当初、自民党よりは米国と距離を置こうとするスタンスだったようですが、それが一変したのは尖閣沖事件だったと思います。中国の脅威に震え上がった時の管首相が、以後急速に米国頼みに傾いていったように見えました。尖閣沖事件が9月で、翌10月には管首相の口からTPP参加意向の言葉が、全くの突然に出たのです。米国さん、助けてください、守ってくださいよ、その代わりこれはやりますから、と言ったのかどうかは知りませんが、そのように見えました。唐突と言うこともありますが、それ以上に出方が私には不愉快で、かつ胡散臭く思いました。
日本の農産物は世界市場に打って出るべきだが以前から私の持論であって、私は自由化に反対する立場ではありませんが、TPPは当初から、内容が見えてくるにつれ尚更、あれはちょっと論外だという思いが強くなるばかりです。
それにしてもと思うのは、この国は何時まで米国追従を続けるのだろうということです。日本の独立はまだ早いと言うような国会議員が居るということには呆れてしまいますが、戦後70年近くになっても、独立国であることを疑うような政治外交は情けない限りだと思います。
何故こんな情けない国なのか問い詰めていくと、何時もたどり着くのは、自分の国を自分で守るということを忘れてしまっているからだというところです。自分のことは自分で守る、自分の家族は自分で守る、その総和として自分の国は自分で守る、という明確な意識が無いと、個人としての自立も、国としての自立も、ウヤムヤで訳の分からないものになってしまうのは当然の帰結だと思います。
日本国憲法は平和憲法として宗教書のように素晴らしいとは思いますが、理想に過ぎて現実対応的でない面も多々あるのではないかと思います。時代が変われば直面する現実も変わるし、憲法が現実対応を困難にするというのは本末転倒で、理想社会実現のために、動力源として憲法はあるというのが本筋だと思います。
宗教であれ哲学思想であれ、綺麗ごとを並べて理想社会を描いて見せても、その実現は永遠に遠くどころか、人間社会にはドス黒い欲望が蠢いていて、どんな立派な理念も実際に運用されると、全く違った別の形に捻じ曲げられてしまうのが常だというのが現実です。世界各地から送られてくる映像を見ても、紛争、虐殺、難民、餓死等々、悲惨な光景が後を絶ちません。それが現実であり、その現実に向き合って、少しでも事態を改善する方向で、人は生きてゆかねばならないのだと思います。
一国平和主義的に惰眠を貪っていたかのような日本にも、近年近隣周辺国の不穏な動きが、脅威として増大しつつあります。
日本国憲法も現実にそぐわないところは改めるべきだと思います。私は憲法9条は改めるべきだと思いますし、自衛隊は軍隊に改めるべきだと思います。自分の国は自分で守ると自立宣言をしないと、この国は国としての尊厳を持つことは不可能だと思います。日米同盟、日米安全保障も、その上で対等な関係で見直すことが必要ではないかと思います。米国が自国の利益に無関係に日本を守るなどということは、依存ボケした甘ったれた妄想だと思います。
今仮に周辺の不穏な国と緊急事態が発生して出動要請をされたら、出動する自衛隊員はやりきれないだろうと思います。私ならこんな情けない国のために死ぬのは嫌だと即辞職するか、駄目なら脱走します。日本人であることを誇りに思えるような日本国であれば話は別です。日本の国土と国民の生命及び財産を他国の脅威から守るための軍隊として、尊厳と誇りが無ければ、命がけの任務に就けるはずがないと思います。
自分の国を自分で守るのは当たり前のことであり、基本です。それを米国依存とかウヤムヤの曖昧さで過ごしてきたから、ここまで変てこな国になったのだと思います。脅威は常に存在します。世界のどこかで起きていることは、日本でも起こりうることだと思うべきです。
昨年の東日本大震災から、日本は国としての基本的な在り方を問い直さなければならない、正念場に入ってます。国を取り巻く内外の課題が山積みされ、その一つ一つが国の命運を左右する問題であり、この局面ばかりは、この国の政治お得意の曖昧なグレーゾーンでのウヤムヤの決着ということでは、全く通用しないと思います。
多少貧しくとも、日本人であることを誇りに思えるような、心豊かな日本国であってほしいと願うばかりです。
posted by 明石 at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月27日

続 プランターから農地へ (私の事例)

私はブドウ作りを誰にも教わってはいない、と言うと大抵の人は驚くのですが、私のブドウ作りの入り口にあったのは、県普及所から貰ったA3用紙一枚のマニュアルと、親父の通り一遍の大雑把な知識だけです。
前記ブログで、マニュアルがあれば始められると記していますが、私のブドウ作りも、実はその程度のところから始まったのです。家が農家とはいえ、それまでの私は、たまに手伝うくらいで、農業知識と経験の無さはほぼ0に等しく、学歴も文学部卒と全く無関係です。余談になりますが、学歴や職歴に全く整合性が無い人生を歩んできたということを、自分では結構気に入ってるのです。
農業を始める前に、専門的な予備知識は、かえって無い方が良いというのが、私の農業暦25年間の一つの結論です。光合成は光と水とCO2とか肥料の3要素とか、中学生程度の知識で差し支えないと思います。
物作りに一番大切なのは感性です。物作りとしての感性を研ぎ澄ますためには、生半可な雑多な知識はむしろ邪魔です。言葉以前の幼児の鋭い直感力が理想なのかも知れません。
私は就農時ブドウ作りを始めるにあたって、頭を先行させないために、病害虫の本一冊は別に、専門書を読むことを自分に禁じました。知識が先行して目が曇るのを避け、徹底した現場主義で臨もうと決めていたのです。ブドウの事はブドウに教えてもらう、それくらいの心構えだったと思います。
今でもまだ続いていますが、新芽が開いて展葉が始まると、園地に入ると腕とか肩とか体の皮膚が、センサーが作動するかのように、ざわつきます。見るということにそれくらい神経を集中させてきた結果です。
私がブドウを作るにあたって、もっとも神経を集中させていたのは、葉の状態です。(あいつは何だってあんなに水ばかりかけるのだ、葉呆け,木呆けしてしまうわ。)親父の怒鳴り声が聞こえてはいたのですが、一切無視、果実が製品で葉が工場なら、葉を傷めずに活性を保つことが何より大切、西も東も分からなくても、私は私の流儀でいくと決めているのです。
見るということは、天気や作り手の働きかけが木や葉や果実にどう作用するかを、見るということです。ブドウ作り6年目から加温栽培を始めて、各ハウスの日々の最高最低温度を記録し、温度とブドウの関係のデータ取りも本格化させましたが、作業及び生育日誌とこの天気及び室温の記録という、三つのデータを取り続けることで、ブドウの生理構造に自分でメスを入れることができました。と同時に作業工程一つ一つを洗い直し、これは今後も続くことですが、ベストな方法を探し続けてきました。産地の常道には、作り手の都合を優先した、健全な生育から捻じ曲げられたやりかたが、基本的なところで結構あるということも見えてきました。
私のブドウ作りの最初はピオーネ一筋で、ブドウ作り9年目に日本のトップ市場でピオーネのトップ生産者という位置に到達しました。ズブの素人が自分の流儀で、わずか9年で、いわば日本の頂点に突き抜けたということです。活力の高い木を作ろうと、葉を傷めないような管理に努めたことが、結果的には最短距離を走ったということになりました。産地に学べ、産地に倣えばかりの産地追従では、産地を越えることはできず、そういうことにはならなかったと思います。
私が言いたいのは、素人だから未経験だからということは、問題では無いということです。農家と言えども、新しい物に取り組む時は、素人同然です。物作りはむしろ捉われの無い素人的な発想が必要なのではないかと思います。勿論失敗も多々あります。同じ失敗を繰り返さないよう、徹底的に検証して、どうすれば出来損なうかを消去法的に塗り潰して、技術という階段を一歩一歩上がっていけるのだと思います。まさしく失敗や躓きこそ師なりです。
より高き品質を目指し続けるということは、技術革新を図り続けるということでもあり、新たな試みには常に出来損なうかもしれないリスクは付きまといます。ブドウ作りを生活の糧にしているのだから、失敗することはそれは怖いですが、より高くを目指し続ける以上、やはり挑み続けるのだと思います。
私のブドウ作りを詳細に語るには本にでもまとめないと無理ですが、素人が物作りの世界に飛び込んだ一つの事例として、参考の一つになれば幸いです。
posted by 明石 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月22日

プランターから農地へ

ブドウの木を一本庭に植えたのだけど、どんな風に作ったらいいのですか、というような問い合わせを時々受けることがあります。生産資材の最小単位からしても、一本や二本作ったりするのはコストが高くなって買うより高くなるから損ですよと言うと、ブドウが好きだから自分で作ってみたいのです、となかなか引き下がりません。ブドウの1年1サイクルを口頭で説明する訳にもいかず、県同士会発行のA3用紙一枚のマニュアルを渡して引き取ってもらうことにしています。私にすれば、問い合わせ先が違うでしょうと言いたくなるような、迷惑な話なのですが、ごく最近になって、趣味的だろうと自給的だろうと、自分で作ろうとすることが大切なのだ、と考えが変わりはじめています。
農業とまで大げさに言わなくとも、花でも野菜でも果物でも、自分で作ってみたいと思っている人は随分居るのではないかと思えます。都会暮らしで土地が無くても、プランター、植木鉢があれば可能です。何かを植えて、或いは種を蒔いて、作ることを始めてみることが、最初の第一歩です。例えプランター一個でも、植物を育てることで、癒しの空間が生じて来るのではないかと思います。
物作りは底無しの深さもありますが、それほど難しく考える必要もなく、対象が何であれ、インターネットでも本屋でも、作り方のマニュアルは簡単に手に入ると思います。まずマニュアルに沿って作ってみることです。プランターでできれば、農地で作っても規模が大きくなるだけで、かえって作り易いかも知れません。
日本の農地は今後農家だけでは支えきれず、耕作放棄地や過疎地が増え、国土は荒廃の一途を辿るように思えます。世界規模では既に食糧難の時代に入っていて、ごく近い将来日本にもそれが波及するだろうことは考えておく必要はありますが、生産コストに見合う販売価格を得られない現状では、専業農家は経営を維持するのが困難になっていますし、農業が平均年齢70歳近い高齢者で支えられているということもあります。
私はこれまで農業=専業農家という考え方でしたが、兼業或いは一般市民参加型の農業、林業にもっとウエイトを置くべきではないかと、考えが変わり始めています。
何時訪れるか分からない食糧難、食糧危機の時代に自分で少しでも備えることと同時に、日本の国土を荒廃させないということを、大げさに言えば、国民総員で背負わなければ無理ではないかと思うからです。週末農業、季節林業等余暇を利用すればできる形もあるのではないかと思います。
自然の中に身を置いて、物を作り育てる農業、林業を通じて学べることは多いと思います。子供の感性を豊かに育てるのには最適ではないかと思います。
プランターから農地へ 一考してもらえれば幸いかなと思います。

posted by 明石 at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月15日

後継者

明石園芸の後継者はいるのですか?後継者の有無を訊かれることが、私に関する質問で一番多いと思いますので、その都度の説明省略ということも含めて、ブログに記します。
明石園芸の後継者は居ませんし、今のところ作る気もありません。子供が居ないということもありますが、仮に居たとしても、後を継いでくれとは言わないだろうし、ましてやこの状況下では尚更です。
私が就農したのは38歳の時です。親父に説得されて家業を継いだのではなく、自分の意志です。宮仕えに飽き足りなく、転身のタイミングをどこかで計り続けていた結果です。
言うまでも無く親子でも人生は別個です。自立心が強いほど、家業を継ぐのを嫌がるのが普通です。私も家業を継ぐというよりは、職種の一つとして農業を選んだということです。
50代半ばを過ぎた頃から、60代半ば近くになって自分にそれだけの力が備わっていれば、と弟子の養成を考えたこともありますが、60を過ぎた今、情けないけど自分のことで精一杯で、その余裕がありません。技術の伝承を行うのかどうか、私にも不明です。
もう随分前から、ほぼ15年ほど前から、東京、大阪等の市場関係者や業者等等、耳にたこができるほど、後継者をなんとかしてください、と言われ続けてきました。
その都度私が最後に言ったのは、私のブドウは私一代限りです、私がどれほど力の限りを尽くして教えても、私が離れればその人の個性で違うものになります、またならなければおかしいのです、それが ものは人なり の所以です、ということです。つまり、園地の後継者が居ようが居まいが、私のブドウは私一代限り、私と共にあり、共に終わるということです。
posted by 明石 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月11日

別れの雄叫び

ポンタと一緒に過ごした日々の思い出があまりに鮮烈で、その息子 シロ は14年も一緒に暮らしたのだけど、特にこれと言った鮮明な場面が記憶にありません。シロがポンタと一緒に過ごしたのは生後1年半足らずで、その間終始父親ポンタの行動を見ていたはずなのだけど、性格や行動に似通った所は殆ど無く、何度か私をがっかりさせました。
カラスがハウスに入った時、シロを連れて入ったのですが、一向にカラスを追う気配を見せず、怒鳴って追い立てると、10メートルほどカラスを追うと腹這いにへたり込んで、それ以上動こうとしませんでした。何て奴だ、それでもポンタの子か、私も呆れ返りました。
それでも気の強さとプライドの高さはポンタ譲りなのか、自分より大きな犬に散歩の途中出会うと、飛び掛って行こうとするのです。一度とんでもなく大きな土佐犬に遭遇したことがあります。飼い犬が離れたのかどうか、向こうからじゃれるように寄ってきたのを、シロが案の定飛び掛っていったのですが、気がつくと土佐犬の腹の下にスッポリ入っていました。シロは当時体重25キロ近く、中型犬としては大きい方だったのですが、それでもそれくらいの体格差がありました。どうしたらいいんだ、シロが助けを求めるように私を見るので、仕様が無い、と思い切り土佐犬の胸を蹴り上げ、おすわり!と一喝すると、土佐犬はちゃんとお座りするのです。その間にシロを連れ出し、暫く歩いて振り返ると、土佐犬はまだお座りをしていました。野放し状態の土佐犬は、その直後散歩中の飼い犬をかみ殺して、保健所行きになりました。
ポンタが死んだのが何月何日だったのかは覚えていませんが、シロの命日が今日1月11日なのは覚えています。その2週間後に40センチ前後の積雪で全ハウスが全半壊した、明石園芸史上最悪の年であったためです。
5年前、1月11日の朝、起きると奥さんがシロが居なくなったというので、見るとすっぽり抜けた首輪が紐と共に残っていました。あんなにヨボヨボの体で何処に行ったというのか、既に14歳の老犬で後ろ足が不自由になり、散歩してても動けなくなって、抱きかかえて連れ帰ったことが何度かある程なのに。明け方オオーンと雄叫びを上げたよ、発情期に入ったんじゃない、と奥さん。馬鹿な、と思った次の瞬間、あっと気づきました。シロは別れを告げたんだ。お迎えが来て、それで行ったんだ。別れを告げる最期の雄叫びだったんだ。それを眠りこけて聞いてもやらなかったとは、何と言うことだ。それにしても、飼い犬なら飼い主の所で死んでくれよ、最期だけ野生に戻って死姿を隠したら、飼い主がケジメをつけられなくて困るよ。シロの死姿を探して、近くの山や池や竹やぶやら、折々歩いたのですが、やはり見つかりませんでした。
シロの別れの雄叫びを聞かなかったことが、気づいてやれなかったことが何だか切なくて、聞かなかった雄叫びがかえって胸にこびりついてしまいました。オオーン、この時期になると、何処からとも無く、シロの雄叫びが聞こえてきそうになるのも、私流の供養です。
posted by 明石 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月07日

頭の中には魚が

ブドウの剪定作業を始めています。頭の中はまだ魚が泳いでいるのですが、本業に立ち還って、いよいよ2012年作も始動です。今年がどんな年になるやら、考えると八方塞りで重苦しくなるばかり、新年早々なのだから少しはプラス志向で行きたいものです。
私の農業暦は今年で25年目に入ります。24年間農業に従事した感想は、食って行けるならこれが一番良い、です。物作り、職人の世界が自分には実にぴったりで、それ以前のサラリーマン時代を、もっと早く辞めてれば良かったと、何度か悔いたことがある程です。
農業の良さは短期間では分かり辛いです。対象作物が何であれ、1シーズン1サイクルの作業工程を全部経験するのが、最低限必要です。作業工程一つ一つが、何のためにそれをするのか分からないうちは、自分の好き嫌いで作業内容を見がちです。同じ物を作っても、果物の場合だと、1サイクルの作業工程が頭に入るまでには、ほぼ3シーズンは必要ではないかと思います。石の上にも3年ではないですが、物作りの世界は入門期間にそれくらいの時間が必要なのではないかと思います。
農業では作物と作り手と天気とがひとつの有機体となります。より良い物を作ろうと、努力すればするほど、作物が応えてくれるし、手を抜けばその通りの結果がでます。作り手と作物に、働きかけば応えてくれる、生命の交感する世界があります。
時として、自然の猛威というか、悪天候に急襲され、一瞬で作物を台無しにされたり、一作一作に喜怒哀楽のドラマがあります。ままならぬお天気と格闘しながら作り上げた作物には、良いにせよ悪いにせよ、そのドラマを終えた到達感を作り手にもたらします。
農業は生命の営みの源、大地に根ざしてあります。農業、林業は経営難に喘いではいるのですが、現代社会を方向転換させるキーワードが、農業林業のなかにこそあるのではと、私はそう思い続けています。24年間農業に従事して、それが私が学んだことではないかと思います。
趣味的であろうと、自給的であろうと、規模の大小を問わず、一人でも多くの人が、農業あるいは林業に参加して、そこで感性を研ぎ澄ませば、現代社会が違った角度から見えてくるのではないかと思います。
ただ、前述したように、ごく短期間では、農業林業は見えてきません。ぽつぽつでも、生活の中に組み込んで、継続して行くことが必要かと思います。
posted by 明石 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2012年01月01日

年始

年始の挨拶が晴れやかに言えないほど、昨年から大変な状況が続いています。
この先どうなるのだろうか、瀬戸際に追い詰められていくような重苦しさが、国全体を覆っているようです。
だからこそ、何時もより大きい声で、挨拶をしたいものです。


新年明けましておめでとうございます
本年が皆様に 私自らにも 新たな決意の一歩が刻み込まれる年となりますよう
心より希望いたします


ついでながら 明石園芸のブドウも
ぜひ一度はお試しくださるよう
お願い申しあげます


                       明石園芸 園主 明石国広
posted by 明石 at 19:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2011年12月30日

小規模自給(持久)型農業

まるで火事場泥棒のようだと思ってしまいます。肥料、農薬、農具、ビニール等々、生産資材が歯止めがかかることなく、今年も値上がりしています。経営を維持するのが困難で喘いでいるのに、搾り取れる限りとことん搾り取ってやれと、四方八方から農業を食いつぶそうとしているように見えます。生産コストは、生産資材の過激な値上がりとともに、下げようとする農家を嘲笑うかのように、上昇し続けています。
農業も他産業と同じように海外に生産拠点を移さないと、この国ではコストがかかりすぎて、やっていけないのは明白です。農業誌などには、既にポツポツではありますが、海外に生産拠点を移した人達が紹介されています。
が、土地に生きる農業までもが海外に出て行くなら、一体この国は何なのだろう。空っぽの国、不要な国、さながら幽霊島と化すのだろうか。
海外に生産拠点を移した他産業の企業は、より低コストを求めて移転を繰り返して、地球全域を彷徨い尽くしたら、その後は宇宙にでも飛び出すのだろうか。グローバル化も結構だけど、自分の立脚点が何処にも根ざしていなかったら、経済という名の亡霊に成り果てるだけではないかと思います。
農業に生き残る道はあるのだろうかと思いを巡らしても、マイナス要因ばかりに取り囲まれてしまいます。政治がこの国の農業を再生させることは、今までも無かったし、これからも更に無いだろうことは、ほぼ間違いないと確信しています。
ただ、世界規模で考えると、既に食糧難の時代に入っていて、温暖化による気候変動の問題もあり、農業の重要性は今後増大する一方だと思われます。気候変動による不作域が拡大すれば、世界が食料パニック陥ることも、何時でも起こりうると思います。戦後よりひどい食糧難の時代が来ない保証はありません。この国は危機感が欠如しているから、食物を求めて都市部の人々が農家に行列をつくるような時代が、来ないような保証も備えもありません。
最近私の頭の中に、小規模自給型農業ということが、芽生えつつあります。都会から過疎の田舎に移り住んで、自給自足の農業を始めた若者たちの映像を、何度か見たことがありますが、私はそれを否定し続けてきたのですが、農業にとってこの不遇で厳しく困難な時代、生き残り策として、小規模自給(持久)型農業は、一考の余地があるように思えます。
収入がそれほど多くなくても、自給体制をしっかり確立すれば、なんとか凌げるのも農業農家の特性です。何とか凌いで農地を維持しながら、同時に少しずつでも直販を増やすように努力し、販売力を農家自身がつけることが大切です。
今後日本の農地はこれまで以上に急激に、放棄地や過疎地が増え、荒廃することが予想されます。自給自足や趣味で農業を目指す人達とともに、農業、林業など第一次産業から、或いは価値観の転換が図れるのではと思ったりします。
posted by 明石 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 園主の独り言

2011年12月23日

チヌ屋くまさか その後

チヌ屋くまさかパートWから釣行の記事がありませんが、実はその後も毎週 くまさか へ釣行していたのです。未だにドツボを抜けきれず、40センチ前後のチヌ50匹以上並べて写真撮りということには、とうとう相成りませんでした。
12月に入って漸く水温が下がり始めましたが、11月下旬頃までは水温の高さは夏の海で、魚の生理サイクルも相当におかしくなってしまっているようです。
4年前の年末40センチ前後のチヌ70匹の釣果を出したポイントの周辺には、ほぼ二ヶ月エイの大群が居座って、意地になって攻め続けたのですが、目立たしい釣果は出せませんでした。直径1メートル近いエイを1日に何回も掛けているようでは、チヌが釣れないのも止むなしです。
が、同じ場所で3週連続のボウズを食らわされると、頭に来てしまって、男前船頭が他のポイントをいくら薦めても頑として聞かず、6週間同じポイントを攻め続けました。なんと頑固なんだと言われましたが、自分でもこの意固地さは何なんだろうと思ってしまいます。
それでも5週目あたりからぽつぽつチヌの姿を見るようになり、6週目に二桁近く釣って、チヌを寄せ帰すのに成功したことを確信しました。
釣れない時があるから釣れる時が楽しい、釣れない時があるから今度こそはとますます釣りにのめりこむ、いつも釣れたら面白みがなくなり飽きてしまいます。おかげでこの二ヶ月、久々にチヌ釣りに燃えることができました。
ブドウの販売が終わってから、キノコ探しや釣行を毎週1回のペースで重ねてきましたが、私の場合、仕事も遊びも自然の中に身を置いてということになります。天気や季節の移り変わり、自然の変化に、自ずと感性が研ぎ澄まされてきたのだと思います。
陸が荒れれば海は更に荒れることなど、釣りを通して実感しています。ここ5〜6年魚の生理サイクルが非常に読み辛くなってきています。また魚の生態分布も急激に北上し始めているのではないかと思います。陸地の変動よりは多分海の変動のほうが大きいと思います。海の生態調査を地球規模で詳しく行えば、多分驚くような変動があるように思えます。
posted by 明石 at 19:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 園主の独り言